熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・・・文楽「本朝廿四孝」吉田玉助襲名披露公演

2018年05月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   早くからソールドアウトになっていた吉田玉助襲名披露公演の文楽「本朝廿四孝」。
   信玄と謙信の確執に想を取った作品で、今回は、よく上演される前半の武田勝頼と八重垣姫が主人公のメロドラマ風の「十種香」や「狐火」ではなくて、軍師山本勘助の二人の遺児の確執と二代目山本勘助誕生をテーマにした舞台である。

   本来の「廿四孝」は、中国の話であって、歴代中国王朝は、儒教を重んじて孝行を特に重要な徳目としていたので、後世の範として元代郭居敬が編纂した書物で、この浄瑠璃にも引用されている子供を捨てる郭巨や筍掘りの孟宗や、有名な理想の天子舜など、孝行が特に優れた人物24人を取り上げていて、非常に興味深い。
   この歌舞伎では、母が、足利義晴公の遺児松寿君を救って守護し将軍家を救ったのは、父の名を上回り、中国の廿四孝にも優ると言って、勘助に、軍法の一巻を与えるところで、この廿四孝が言及されており、このくだりが、「本朝廿四孝」のタイトルの謂われであろう。

   口上の後、「景勝下駄の段」と「勘助住家の段」が演じられており、
   人形は、兄横蔵後に山本勘助を、襲名した玉助が遣い、弟慈悲蔵実は直江山城之助を玉男、勘助の母を前勘十郎・後簑助、女房お種を和生が遣っており、華を添えている。
   義太夫と三味線は、景勝下駄の段は、織太夫と寛治
   勘助住家の段は、前を、呂太夫と清介、後を、呂勢太夫と清治
   大変な熱演である。
   私は、二列目、正面やや上手よりで聴いていたので、迫力と緩急自在の語りに、浄瑠璃の凄さを実感して感激していた。

   母の溺愛を良いことに、傍若無人に振舞っていた横蔵が、廿四孝にも優る孝人で、山本勘助だという設定が面白いのだが、元々、山本勘助の史実が定かではないと言うことであるから、フィクションとしても面白い。

   この横蔵を、襲名なった玉助が、エネルギッシュに豪快に遣っていて、その迫力と格好良さが秀逸で、見得の夫々が錦絵になっていて、流石に、襲名披露公演の雄姿である。
   玉男の遣う慈悲蔵は、母に疎まれて平身低頭の孝行息子で、本来の直江山城之助も折り目正しい武将であるから、徹頭徹尾優等生であり、今回は、玉助が玉男のお株を奪った感じである。
   簑助の勘助の母は、正に、人間国宝の別格。
   女房お種の和生と母の勘十郎も、素晴らしい人形ぶりを披露。
   
   この時、同時に、「義経千本桜」の「道行初音旅」が上演されて、華を添えた。
   美しい吉野の桜風景と、正面に雛壇模様に設えられた床に、咲太夫と燕三を真ん中にして、太夫と三味線が並んだ綺麗な舞台をバックに、美しい姿の静御前(清十郎)と狐忠信(勘十郎)が、華麗な舞を披露する。
   単なる美しい踊りだけではなく、八島での戦いの「錣引き」や矢に倒れる継信の死などの悲劇に涙するなど、物語のあるのが面白い。
   
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