5月国立劇場の文楽は、吉田玉助襲名披露公演の「本朝廿四孝」などの第一部は、販売直後にソールドアウトで大人気だが、第二部の「彦山権現誓助剣」も、非常に意欲的な舞台で、素晴らしい。
長門国郡家の剣術指南役:八重垣流の吉岡一味斎の高弟で彦山の麓毛谷村に住む六助(玉男)を主人公とする浄瑠璃である。
同じ指南役:微塵流の京極内匠(玉志)が御前試合で、一味斎に負けた恨みで暗殺したので、長女お園(和生)と次女のお菊(勘彌)が息子や弥三松(簑太郎)を伴って敵討ちに旅立ち、途中で、お菊が内匠に殺され、苦難の末に、お園が、父が許嫁と決めていた毛谷村の六助宅に辿り着き、事情を聴いた六助が再び御前試合で内匠を打ち据えてお園たちに仇討をさせると約束する。
この舞台は、お菊が暗殺される「須磨浦の段」から、「瓢箪棚の段」「杉坂墓所の段」と続き、「毛谷村六助住家の段」まで演じられ、
裃姿に威儀を正した六助に、梶原源太景季の故事に倣って、お園が梅の枝を肩に挿しかけて武運を祈るシーンで幕となっている。
普通演じられるのは、「毛谷村六助住家の段」で、2年前の歌舞伎座の四月大歌舞伎で、「杉坂墓所・毛谷村」の場で、仁左衛門が六助を演じて、素晴らしい舞台を見せてくれている。
この物語は、戦国時代の武将であり、加藤清正の家臣であった剣豪貴田孫兵衛の若かりし頃、毛谷村に住んでいた六助として、女の仇討ちの助太刀したという物語が脚色されて、これが、人形浄瑠璃『彦山権現誓助剣』として上演されて、歌舞伎化もされたと言うことである。
この毛谷村の段だけをとっても、結構、話が面白く、特に、六助のキャラクターである。
免許皆伝の達人武芸者でありながら、望まれても仕官せずに毛谷村に隠棲しているのだが、底抜けのお人好しで、人の老婆を背負ってやってきた仇の弾正(実は内匠)に、親孝行したいので、御前試合で六助に勝てば召し抱えると言うことなので、負けてくれと頼まれたので、六助は、恥を忍んで頼む浪人の孝心に痛く感じ入って負けてやるのだが、直後に、居丈高になった弾正に嘲られて扇で眉間を割られても、母を亡くした直後でもあり、供養になったと喜ぶ始末。
したがって、先の内匠が背負ってきた老婆が、樵仲間の老母で、その亡骸を持ち込まれて仇を取ってくれと頼まれて、初めて内匠に騙されたことを知って、形相を変えて微動だにせず棒立ち。
仁左衛門は、血相を変えて憤怒の形相に変わったのだが、その日、「身替御前」で、愛人との後朝の別れから、ほろ酔い機嫌で帰宅して恐妻にこっぴどく懲らしめられるにやけた締まらぬ右京を演じていて、その落差の激しさを感じて面白かったのを思い出す。
それだけに、先に、一夜の宿を乞う老女(実は一味斎の妻:勘壽)が来て「わしを親にせぬか」と言われて、とにかく、奥に入れて休ませ、また、六助と名前を聞いただけで女武者のように荒々しかったお園が、「天晴れよい殿御じゃ」とうっとりとして、前に寄り添い後ろに立ち迫ってくると、何のことか分からず、周章狼狽、
ところが、この騙した弾正が師の仇だと分かると一気にテンションがアップして、仇討モードに変換。
したがって、立役のエース玉男の人形が、雄々しく勇壮に見えるのは、ラストシーンの梅の花を背負った出陣の雄姿のみ。
しかし、やはり、この舞台では、魅せて見せるのは、この六助の人形、
玉男は、実に上手く、その朴訥で純粋無垢な達人を浮き彫りにしていて魅せてくれた。

今回、観ていて、和生のお園に、感激しきりであった。
男勝りの虚無僧姿で現れたお園が、六助が許嫁だと分かると、急に女らしくしとやかになって甲斐甲斐しく変わっていく様子が、実に面白いのだが、相手の素晴らしい男が、父から言われていた許嫁だと分かった瞬間のお園の中空を仰ぎながら、夢心地になってうっとりとする表情の神々しさ、
このお園のかしらは、老女方だと言うことで、ややふっくらとした感じの顔で、能面の如く表情は変わらないのだが、丁度、この時は、正面少し下手よりの最前列で見上げていたので、女の人は幸せの絶頂期には、このような表情になるのか、生身の婦人のようなリアルな美しさに、ドキッとするほど感動したのである。
素晴らしい能面や仏像を仰ぎ見て、動く表情や見る位置や角度を変えると、生きた人間の顔のように変化するのを経験しているので、今回は、和生の遣うお園の人間を直に感じて、そのビビッドな美しさに感激しながら、楽しませて貰った。
もう一つ、幼児の人形一子弥三松を遣った勘十郎の子息簑太郎だが、今回は、出ずっぱりと言う程の重要な登場キャラクターを器用に演じていて、進境の著しさを感じた。
毛谷村の段の奥、千歳太夫と富助の感動的な浄瑠璃も忘れ難い。
通しの面白さも当然だが、素晴らしい舞台であった。
長門国郡家の剣術指南役:八重垣流の吉岡一味斎の高弟で彦山の麓毛谷村に住む六助(玉男)を主人公とする浄瑠璃である。
同じ指南役:微塵流の京極内匠(玉志)が御前試合で、一味斎に負けた恨みで暗殺したので、長女お園(和生)と次女のお菊(勘彌)が息子や弥三松(簑太郎)を伴って敵討ちに旅立ち、途中で、お菊が内匠に殺され、苦難の末に、お園が、父が許嫁と決めていた毛谷村の六助宅に辿り着き、事情を聴いた六助が再び御前試合で内匠を打ち据えてお園たちに仇討をさせると約束する。
この舞台は、お菊が暗殺される「須磨浦の段」から、「瓢箪棚の段」「杉坂墓所の段」と続き、「毛谷村六助住家の段」まで演じられ、
裃姿に威儀を正した六助に、梶原源太景季の故事に倣って、お園が梅の枝を肩に挿しかけて武運を祈るシーンで幕となっている。
普通演じられるのは、「毛谷村六助住家の段」で、2年前の歌舞伎座の四月大歌舞伎で、「杉坂墓所・毛谷村」の場で、仁左衛門が六助を演じて、素晴らしい舞台を見せてくれている。
この物語は、戦国時代の武将であり、加藤清正の家臣であった剣豪貴田孫兵衛の若かりし頃、毛谷村に住んでいた六助として、女の仇討ちの助太刀したという物語が脚色されて、これが、人形浄瑠璃『彦山権現誓助剣』として上演されて、歌舞伎化もされたと言うことである。
この毛谷村の段だけをとっても、結構、話が面白く、特に、六助のキャラクターである。
免許皆伝の達人武芸者でありながら、望まれても仕官せずに毛谷村に隠棲しているのだが、底抜けのお人好しで、人の老婆を背負ってやってきた仇の弾正(実は内匠)に、親孝行したいので、御前試合で六助に勝てば召し抱えると言うことなので、負けてくれと頼まれたので、六助は、恥を忍んで頼む浪人の孝心に痛く感じ入って負けてやるのだが、直後に、居丈高になった弾正に嘲られて扇で眉間を割られても、母を亡くした直後でもあり、供養になったと喜ぶ始末。
したがって、先の内匠が背負ってきた老婆が、樵仲間の老母で、その亡骸を持ち込まれて仇を取ってくれと頼まれて、初めて内匠に騙されたことを知って、形相を変えて微動だにせず棒立ち。
仁左衛門は、血相を変えて憤怒の形相に変わったのだが、その日、「身替御前」で、愛人との後朝の別れから、ほろ酔い機嫌で帰宅して恐妻にこっぴどく懲らしめられるにやけた締まらぬ右京を演じていて、その落差の激しさを感じて面白かったのを思い出す。
それだけに、先に、一夜の宿を乞う老女(実は一味斎の妻:勘壽)が来て「わしを親にせぬか」と言われて、とにかく、奥に入れて休ませ、また、六助と名前を聞いただけで女武者のように荒々しかったお園が、「天晴れよい殿御じゃ」とうっとりとして、前に寄り添い後ろに立ち迫ってくると、何のことか分からず、周章狼狽、
ところが、この騙した弾正が師の仇だと分かると一気にテンションがアップして、仇討モードに変換。
したがって、立役のエース玉男の人形が、雄々しく勇壮に見えるのは、ラストシーンの梅の花を背負った出陣の雄姿のみ。
しかし、やはり、この舞台では、魅せて見せるのは、この六助の人形、
玉男は、実に上手く、その朴訥で純粋無垢な達人を浮き彫りにしていて魅せてくれた。

今回、観ていて、和生のお園に、感激しきりであった。
男勝りの虚無僧姿で現れたお園が、六助が許嫁だと分かると、急に女らしくしとやかになって甲斐甲斐しく変わっていく様子が、実に面白いのだが、相手の素晴らしい男が、父から言われていた許嫁だと分かった瞬間のお園の中空を仰ぎながら、夢心地になってうっとりとする表情の神々しさ、
このお園のかしらは、老女方だと言うことで、ややふっくらとした感じの顔で、能面の如く表情は変わらないのだが、丁度、この時は、正面少し下手よりの最前列で見上げていたので、女の人は幸せの絶頂期には、このような表情になるのか、生身の婦人のようなリアルな美しさに、ドキッとするほど感動したのである。
素晴らしい能面や仏像を仰ぎ見て、動く表情や見る位置や角度を変えると、生きた人間の顔のように変化するのを経験しているので、今回は、和生の遣うお園の人間を直に感じて、そのビビッドな美しさに感激しながら、楽しませて貰った。
もう一つ、幼児の人形一子弥三松を遣った勘十郎の子息簑太郎だが、今回は、出ずっぱりと言う程の重要な登場キャラクターを器用に演じていて、進境の著しさを感じた。
毛谷村の段の奥、千歳太夫と富助の感動的な浄瑠璃も忘れ難い。
通しの面白さも当然だが、素晴らしい舞台であった。