【教務主任通信(2)】 「障害児教育は教育の原点」といわれるわけを考える

私は大学を卒業した後、養護学校高等部に着任しました。障害児教育の知識もなく、大きな不安を感じながらの教員生活をスタートしました。
その養護学校は「重度重複障害」といわれる最も障害の重い肢体不自由児養護学校で、半数の生徒が衣服の着脱、用便、食事など「全面介助」を必要としました。着任から約半年間、私は「どうしてこの子たちに教育が必要なのだろうか?」と疑問に思い続けていました。

養護学校の研修で必ず教えられたことがあります。「障害児教育は教育の原点」という考えです。
それはいったいどういうことなのでしょうか?
本校には幸いなことに「仲よし学級」がありますのでイメージしやすいと思います。

(1)障害がある故に、一人一人の個性がはっきり分かる。一斉授業はできない。その子に応じた教育を考えていかないとならない。つまり「一人の子に寄り添った教育」が障害児教育である。

(2)生徒のほんのわずかの成長を、まるで宝物を探すかのように見つけようとする教師。私自身も、最重度障害の生徒が、小指をほんの少しだけ動かして私を呼んでいることに気づいた瞬間、初めてコミュニケーションを取ることのできた喜びで感無量になりました。

(3)教科書じたい生徒の実態に合わない。だから教師は年がら年中「教材開発」に明け暮れる。その結果として授業の幅が広がる。

(4)「生きる」ということ、「生命」ということを考えないと、障害児の指導はできない。実はこのことが、通常学級の教育でも、やっと理解されはじめましたね。学習指導要領の「生きる力」ということです。

(5)障害児教育に真剣に取り組むことは、「社会を変える」ことにもつながる。真剣に考えれば考えるほど、私たちは「心やさしい社会」を創造し続けていく使命があると気づかされる。


さて、どうしてこのような記事を出したのかといいますと、「二十四の瞳」運動(本校のOJTです)のひとつとして、仲よし学級の授業を参観させてもらうことをおすすめしたいからです。

教科書を使った通常学級の指導に慣れている教員は、どうしても指導内容に追いかけられ、授業時数に迫られて、大切なことに気づくことのできない危険があると思うのです。仲よし学級で行われていることは、今、目の前にいる一人の子どもの実態から教育を考え、安心できる教育環境の中で心や体を開放してあげ、思う存分に力を発揮させていく。そんな教育だと私は把握しています。

加えて、仲よし学級で行われている教育から感じた何かを、通常学級の担任が自らの振る舞いを通して、こどもたちに伝えることで、きっと全校の子どもたちの新しい「心の宝物」を見つけることができるのではないでしょうか。

教師は最大の教育環境ですから。


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