【教務主任通信(7)】利他の心

利己主義の正反対にあるのが「利他主義」です。
茂木健一郎先生の著作『カラヤン 音楽が脳を育てる』の中に「利他」に関する一文があるので、引用が少々長くなりますが紹介させていただきます。

「本来、「利己的」といわれる脳のはたらきが、例外的に「利他的」になるもの、それが「愛」だと科学者は考えている。いわば、愛とは「他」への働きかけであり衝動であり、その源は「知りたい」「わかりたい」と思わせる空白、すなわち「脳の中の不在」である。つまり、愛の対象とは常に、不在を孕んでいるといってもいい。
(中略)
 つまり、愛とは脳の中の「無」から「有」を創り出す営みであり、自分で働きかけを続ける限り、無限の能動性を持つ精神運動である。愛が命の根本だといわれる所以である。どこまで「他」を愛せるか。
 それは同時に、脳内で「他」をどこまで実在的に想像できるか、ということではないだろうか。」


 これからの教育の現場に求められているものは、ここに述べられているような「利他の心」から創造される他者の存在を尊重していく営みであると思います。これまでの歴史の中でも当然この「利他」の精神というものは尊ばれてきたわけですが、残念ながら日本の教育は日に日にこの精神が薄れているように感じられてなりません。私がここで述べている「教育」は、学校教育という狭い範囲のものではなく、「人間が行っている教育活動のすべて」を対象に論じているつもりです。

 教育の範囲をしぼって、学校現場のことを言えば、親と子、子と子、子と教師、親と教師、教師と教師、そして裏から学校を支えている職員の方々、地域の方々。つながりを持っている人々すべての精神性の大河の中に、「利他」という深層を流れる安定した潮流があるならば、相互にいがみ合ったり、安易な批判をくり返すようなことなく、豊かで美しい教育の花を咲かせていくことになるでしょう。
その教育の花の象徴として「こどもたちの太陽のような笑顔」がにじみ出ると私は感じています。

 先人の言葉で私の記憶に強く刻まれている言葉があります。

「親をも愛することのできない現代の若者に、他者への慈愛を教えていくのだ。そこにしか時代を変革できる可能性はない。」

 慈愛とは、愛し慈しむと書きますが、私のイメージとしては、大切な大切なものをそっと両手の平に乗せて温めているような映像が浮かびます。私は親や教師の心根には、このようなイメージがあった方が良いだろうと思っています。



 我が師から学生時代に教えていただいたこと。教師としての条件です。自分自身が原点に立ち返る意味でも書き残しておきます。

一、絶対の確信に立って指導をすること。

二、子どもたちを心から愛し、親切に、暖かく擁護していく責任感を持て。

三、包容力。子どもの境遇や立場をよく理解し、どんな子どもでも幸福にしきっていこうと忍耐強く指導をすること。

四、公平であれ。自己の感情や情実に動かされず、正論であれば耳を傾けて、間違った意見や感情論にはたとえ先輩の言葉であっても厳戒に戒める厳正公平さを持て。

五、自信がなくてはならない。決意、勇気、果断な行動により、全員を守り、張り合いを持たせ、楽しく前進させきってみせるという自信がなくては教師は務まらない。

カラヤン Herbert von Karajan ―音楽が脳を育てる (CD付き:茂木健一郎選曲 脳を育てる名曲11曲58分)
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