いつも当ブログをお楽しみ頂きましてありがとうございます m(_ _)m このたび、当ブログは40万アクセスを達成しました。30万アクセスからは僅か1ヶ月と20日! その背景には、E655系の登場という超弩級の話題に伴う一時的なアクセスの急増がありますが、それだけにアッという間の40万アクセスには今ひとつピンと来ないのも事実です (^^;)。最近はふたたび、マイナーで濃いぃ話題が続いているせいか、ようやくアクセスの乱高下も収まり (それでも毎日1000超とは……)、もっぱら地味でシブい車両をしみじみと味おうという方を中心にお楽しみ頂いているのではないかと思います。今後も当ブログはあくまで自己流で、時間の余裕がある限りぼちぼちと更新するつもりですので、お楽しみ頂ければ幸いです。m(_ _)m
今回は40万アクセス記念として、国鉄色の復活でにわかに注目が集まりつつある (?) 秩父鉄道の20年前を回顧してみましょう。これらのシーンを撮影した1987年初春は、ちょうど秩父鉄道が国鉄から購入した101系が1000系としてデヴューして間もない頃でして、秩父オリジナル半鋼製釣掛式電車の100系 (デハ100・クハニ20・クハ60の総称) が消滅の危機に瀕しておりました……。
昭和20年代半ばに登場した100系は、当時の他の私鉄の新車と同様の運輸省規格型ですが、デハ100は扉の位置がかなり内側に寄った2扉である一方、クハ60は3扉で、さらにクハニが存在するなど、扉の位置がまちまちなあたりが独特の雰囲気を醸し出していました。そして車内は、見事すぎるほどに艶光りしたニス塗りの木製内装……半鋼製釣掛式電車命だった変わり者の少年 (^^;) にとっては、素晴らし過ぎて目まいがするほどの電車でした (*^^*)。
そんな100系に揺られ、谷間にこだまする豪快な釣掛サウンドを聴きながら、緑豊かな秩父の風景を眺めれば……そのときだけは中学・高校でのイヤなことの連続を忘れることが出来ました (笑)。この100系をはじめ、急行用の湘南型300系、そして各停用の湘南型500系といった、じつに堂々とした風格の電車を自社オリジナルで揃えている秩父鉄道という会社は、その長大な路線や、今とは比べものにならないほど活発だった貨物輸送とあわせて、地方私鉄にしてはとんでもなく立派な会社だなぁ……という強烈な印象を抱いておりました。
そんな100系が、何と国鉄101系によって置き換えられてしまうことを知り、実際に置き換えの過渡期の光景を眼にしたとき……親しい存在が突然消えるという限りない寂しさを覚えたものです。今でこそ超貴重な存在の101系改め秩父1000系ですが、当時は103系が全盛で、このスタイルの電車は最もありふれた存在のひとつだったことは否めません。というわけで、愛すべき秩父鉄道が、そんな車両によって塗り固められてしまうつまらない路線になってしまうのか……と思った当時の私は、1000系を見るたびに「ク○1000」と呼んでおりました (^^;;)。
しかし今思えば、秩父鉄道が101系を購入して丁寧に使い続けてくれたことは、趣味的に見て非常に有り難いことでした。この交代劇からはや20年……。「ク○1000」などと呼んでいた10代の自分の浅薄さを「フフン」と鼻で笑い、100系の現役時代や登場直後の黄色い非冷房1000系の姿はただただ懐かしい……と思えるほど、いつの間にか長い年月が流れてしまいました。
デハ100とクハニ20が三峰口駅の車両公園で現存しているのは実に幸いなことですが、外装は最近塗り直されたのに対し、内装の劣化は気になります。ニス塗りの壁の艶光りは最早戻らないのでしょうか……。