仕事でグッタリ疲れると、頭の中を空っぽにしたまま別の何かを無我夢中でやりたくなる……そんな経験をお持ちの方は少なくないことでしょう。というわけで、個人N工作史上最凶のケツ作・相鉄3000系をはじめ、未完成の仕掛品が山のようにあるというのに、またやっちまいました……いつ完成するとも知れない新たな切り接ぎフリーランス工作を! とにかく何も考えず、脳内の片隅におぼろげに浮かんだイメージに促されるままに、寝る間も惜しんでシコシコと、GMの板キットをみじん切りにしてくっつけヤスリまくる……。ほとんど病んでますね、はい (爆)。
そんな、完全に終わってる脳内風景の写し絵のような最近の切り接ぎケツ作のうち、一点目はクモハ12 040の側面を流用した17m級車両です。事の縁起は……今から遡ること約4年前に、飯田線旧国の中でも珍品の中の珍品と思われるクハ47 011を製作するにあたり、正面・運転室扉・屋根についてはGM板キット・クモハ12 040を流用したのですが、その結果余った客室部分側面は長らく放置状態が続いておりました。しかし昨年、相鉄3000系旧国車体(タイプ)の製作に着手し、ロクサン車両であっても側面窓の大部分はクハ76のそれを利用することにしたため(GM73系板キットをそのまま使うと、3段窓を2段窓にするために1段分切り落とした跡がズラリと並ぶことになって美観を損ねるだけでなく、上段と下段の間が不自然に太くなってしまいます)、側面客室部分を活用したあとには湘南顔パーツと運転席扉部分の余剰が大量に発生……。そこで、クモハ12側面と、クハ76正面まわりを組み合わせ、ボロいけどキュートな (笑)電車を作ろうと思った次第です。気が変わってDCにしてしまうかも知れませんが……。
いっぽう二点目は、戦災復旧客車オハ71にインスパイアされた準戦時設計大型電車というイメージです……(汗)。個人的に、堂々と美しい風格の車両は大好きですが、その一方で海千山千なやっつけ車両や、諸々の必要に迫られて出現した地味過ぎる車両にもグッとくるものでありまして、とりわけ「折角それなりに整ったデザインでありながら、一時的な間に合わせ的性格が強く、状況の変化により呆気なく消えた車両」には、実物をナマで見てみたかった……という思いとともに強く思い入れてしまうものであります (^^;)。そんな車両のひとつとして激しい思慕を抱かざるを得ないのがオハ71! とにかく戦後間もなくの極端な車両不足を補うために戦災車両を叩き直したポンコツ車両に過ぎず、昭和20年代末までに救援車や荷物車に用途変更されてしまい、20m級3扉客車というジャンルを確立することはなかったわけですが、もし鋼体の強度・ドアの幅(極端に狭い)・車内アコモ(戦時ロクサン同然の酷い椅子)を大幅に改良した量産型が登場すれば(勿論その際には形式名は変わったことでしょう)、日本の客車列車史は相当変わっていたものと推測します。とりわけ、台湾で普通車・平快車用として引き戸・片開き2ドアのロングシート客車(日本製で、一部は行包列車で現役)、あるいは回転クロス・両開き2ドアのインド客車を目の当たりにしたり、あるいはミャンマーで日本風デザインな3扉・4扉のロングシート客車がガタピシ走っているのを目の当たりにしますと、なおさら「嗚呼!オハ71!」という思いが募ってしまうのであります (アホか!)。
というわけで、だったらオハ71を作ったろか……と思うものの、あの小振りな2段窓をどうやって、マシ35板キットを湯水のように消費しつつ切り接げば良いというのでしょうか (鬱)。そして、あの狭い引き戸も板キットでは手に入りません。したがって、オハ71そのものを作ることは、酔狂で完成させた撫順ジテタイプ電車を作るよりも壮絶な困難が予想されるのです。模型メーカーが、オハ71などという恐ろしくマニアックな車両に手を染めて完成品やキットを売り出すことは未来永劫ないでしょうし……寂しいのぅ。
しかし、オハ71的なデザインを活かして別のフリーランス車両を勝手に作るのであれば、それほど難しいことではありません。というわけで、マニ60(ドア間窓)・マニ35(車端部窓)・73系(ドア)・クハ47 050 (運転室扉)という組み合わせで、20m級電車を作ってみることにしました (笑)。具体的な設定としては……「WWⅡの推移により戦時輸送の需要が高まり、製造工程と部品を簡略化した通勤車両を大量に補充する必要が生じたものの、まだ決戦色(=敗戦色)は強くなく、戦前の段階で培われたデザインセンスも活かした20m車が設計され量産に移行した」という感じでしょうか。鉄道省の場合、戦前型国電の華やかな時代が、両開き扉のサハ75(山手線用試作で終わり戦災焼失)を経て、一気にロクサンへと移行してしまったわけですが、私鉄の場合には東急3650形や名鉄3550形など、試みがなかったわけではないでしょう。いっぽう、もう少々時局が進んでしまうと、幻の東急戦時設計電車のように、屋根が平らで窓配置もナゾな怪物の出現にもつながる可能性があったわけですが……。
というわけで、そんな実在する私鉄車両と「ロクサン&東急戦時設計的センス」の間を取って、「灯火管制のことを考えて戸袋窓は省略し、日除けを一段落としの鎧戸とすることから、窓は小型化して幕板を深くするものの、極力デザイン面でのガックリ度を避ける」という考慮がなされた……という空想設定をしてみた次第です (滝汗)。そして、ロクサンがその後大量に量産されたという歴史ではなく、こんな車両が鉄道省・私鉄を問わず昭和20年代半ばまで大量に量産され、昭和50年代まで活躍を続けた……という感じでしょうか。
問題は……何色に塗るかですな (汗)。車体組みはこれからですし、一応まずは2連での落成を目指しますので、ゆっくり考えれば良いのかも知れませんが……。