去る5月17日の秩父広瀬川原まつりのうち、ある意味で7500系とC58の並び以上に「これぞ秩父マジック!」と唸ってしまったのが、5002FとC58の並びです! 単にC58や12系客車を目当てに、あるいは既に消えた1000系を目当てに秩父を訪れるのみであったヲタにとっては、元都営三田線6000系改め5000系は、東急軍団以上にどうでも良い車両なのかも知れず、そのC58との並びを眼にしてもハズレ気分しか湧き起こらないのかも知れません。しかし、都営三田線時代からその質実剛健さを秘かに見守ってきた者としましては、ついに広瀬川原の晴れの舞台で5000系がC58と並んだことこそ、秩父鉄道の5000系に対する最大のねぎらいを意味しているのではないか……と思います。
しかも改めて考えてみれば、1000系なき今となっては、5000系こそ唯一の幕装備車となりましたので、幕回しイベントをするのであれば欠かせない存在となりました (笑)。そこで、秩父到達100周年HMも凛々しい5002Fが、東行田、武川、秩父……とネタ幕を表示するごとに、C58との並びを撮るシャッター音が高らかに響き渡ったことは言うまでもありません。
さらに深く深~く考えてみれば……インドネシアのSLが約70年前の日本軍政期以来、基本的に日本鉄道省と同じような発想によって形式を割り振られてきたことに鑑み、そして都営6000系のジャカルタデビュー当初は都営時代のカラーリング+特製スカートという組み合わせであったことに鑑み、この組み合わせは時空を超えたインドネシア国鉄の「なんちゃって」並びにも近かったりするのであります (→穿ち過ぎだろ!爆)。あ~、秩父5000系にインドネシア帯を巻いて、観光交流キャンペーンなど実施しないものでしょうか (^^;)。もっとも、江ノ電と台鉄平渓線のように、それをやったからといって同じカラーリングにして遊ぶことになるとは限らないという事例もあるわけですが (滝汗)。