地味鉄庵

鉄道趣味の果てしなく深い森の中にひっそりと (?) 佇む庵のようなブログです。

泰緬鉄道の旅 (5) ベルギー製古典客車

2014-06-25 00:00:00 | タイの鉄道


 先日久しぶりに3月のヤンゴン鉄活動記録をアップしたついでに、そういえば帰路にストップオーバーしたバンコクでの鉄活動記録も間が開いてしまったことに気が付きました。そのあいだには周知の通り、タイで政変が……。まぁ総じて平静であるとはいえ、政変の前と後では長い時間が過ぎ去ってしまったかのような錯覚がしなくもありません (滝汗)。それでも、少しでもタイの事情が良い方向に向かうことを願って、3月の記録のつづきと参りましょう。
 さて今回、泰緬鉄道=ナムトク線の旅を楽しむにあたり、当日利用した4連のうち旅客が利用できた3両は、旧塗装を維持した日本製客車(10系客車風の客車は日本からのライセンス・部品供与でマッカサン工場にて製作)であったわけですが、業務用スペース&僧侶専用スペースのため利用できなかった新塗装車は、恐らく1949年製のロングシート改造客車をしのぐ最古参客車(戦前製?)なのではないかと思います……。台枠が露出し、優雅に弧を描いた屋根端。そして、堂々たる大きさの窓……。そこでその素性をネットで調べたところ、どうやらこの客車は戦前ベルギー製の最後の生き残りであり、同じ車両が数両現存するうちの一両とか何とか……! そこで確かに言われてみれば、世界に冠たる欧州の豪華列車・オリエント急行の車端部形状を激しく思い出すではありませんか! 乗ることは出来ませんでしたが、そんな客車と遭遇出来ただけでも儲けものでしょう~。



 それはさておき、ナムトク発では罐をバンコク側に連結するのを撮り終えたのち即座に列車に乗り込み、実際に間もなく発車……(滝汗)。折角雰囲気が上々な山間の小駅という風情であるのに、ロクに駅前散歩する時間もなければ、高い位置に留置されているもう1本の編成(ノーンプラドックを早朝に出発し8時台にナムトクに着いた後、夕方まで留置)をのんびり撮影するヒマもなかったということで、何とも後ろ髪を引かれる思いです。こんなドタバタを避けるためには、カンチャナブリー、またはナムトクの手前のワンポーに連泊し、2泊3日ほどかけてじっくりと乗り鉄・撮り鉄・駅前散歩などを楽しむことが必要なのかも知れませんし、週末のみ運転されるクルンテープ発ナムトク(サイヨーク・ノイ)行のDC観光列車を利用して末端部での時間を稼ぐのがベターなのかも知れません。
 何はともあれ、こうしてバンコクへの帰路に入ったあとは、午後の最もクソ暑い時間帯であることに加え、カラッカラな季節につき盆地の中に大量の土埃や焼畑の塵などが残留しているため、もうとにかく暑熱と埃のダブルパンチに参ってしまい、ボックスシートでグッタリとしてしまいました (苦笑)。カンチャナブリーに着くまで、まともに目が覚めていたのはタムクラセー桟道橋とクウェー川鉄橋を通過する際くらいか……。なお帰りの列車は、タムクラセー~ターキレン間を除けば、往路のように混雑することはありません。


 クウェー川鉄橋を渡ったところ。白人女がデッキから足を出しまくり。



 爆薬節約のため人海戦術で削り出したというチョンカイの切り通し。



 タムクラセー(アルヒル)桟道橋ゾーンの全貌!



 これまた岩を削った壮絶な区間……。



 帰りも再びタムクラセー桟道橋を撮る!



 帰路のクウェー川鉄橋手前の風景。雨季の方が絶対キレイだなこりゃ……。


第五ジャカルタ炎鉄録 (48) 東急8611F

2014-06-24 00:00:00 | インドネシアの鉄道


 飛行機の東京~ジャカルタ線が、仁義なき戦いになっていて凄い……。
 今年春、JM党に優遇された青航空が羽田からの便を飛ばすようになり、国営神鷹航空も今月半ばから従来の成田便に加えて羽田便を飛ばし、新聞紙上にビジネスクラスのサービスぶりをアピールする広告を打ちまくっておりますが、JM党に嫌われて羽田枠をもらえず旗色が悪い鶴丸航空は、ニッチな時間帯において成田便の増便を図り対抗を始めた今日この頃のようです。
 ただ個人的には青航空との相性が悪く、乗るとロクなことが起こらないので選択外。(以前北京線で、自分と隣のオジサンのみ機内食超!後回しという不可解な仕打ちを食らったことがあるほか、青航空のジャカルタ就航直後、超!プロモ価格につられて「まぁ北京線での出来事はたまたまだったのだ……」と思い往復利用したところ、あろうことか膝を骨折してしまい、帰りは超!狭いシートピッチに耐えることになりましたとさ。まぁ青航空全体の責任ではなく、とにかく個人的に相性が悪いというだけの問題に過ぎませんが、総じて下克上で台頭した分だけ何だかサービスがセコいと思う。先日、青航空の機長が鶴丸航空を罵倒したという話題がありましたが、こういう勝者の奢りというべき心理がはびこると、長期的にみて組織の運命が傾くのは世の習いでしょうか)
 いっぽう国営神鷹航空は、機内に入国係官が乗っているため、ジャカルタで事実上の入国料徴収に等しい空港着地ビザの大行列に並ぶ必要がないという大サービスが超魅力的です。しかし、事故率が高いですし、如何せん機内におけるムスリム率の高さゆえ、一応提供される酒を彼らの脇で大っぴらに飲む気にはなれないためパス(特にラマダーン中の機内サービスはどうなっているのだろうか……)。



 というわけで、今度のジャカルタ撮り鉄遠征も鶴丸航空の一択としたのですが (いくら官僚的という世間の批判があろうとも、やはりゆとりが感じられるサービスだと個人的には思います)、増便分はジャカルタ午前1時着、午前6時発という、団体ツアーや会社持ちの送迎つき出張リーマンでない限り極めて使いづらい時間に設定されていますので、結局これまで通り、往路は昼で帰路は夜行というチョイスに。増便分はさぞかし空いているのかも、と思うと気移りしそうですが、あるいは成田での乗り継ぎの関係で増便分の方が便利になる地域もあるのかも知れません。

 いや~それにしても、初めてジャカルタに遠征した5年前は、直行便といえば鶴丸航空の1往復しかなかったわけで、5年間のジャカルタ線大躍進は瞠目に値するでしょう。しかも、5年前は以下の諸要因のため、鶴丸航空のジャカルタ直行便は往復ともにすっげー空いていたのが懐かしいです (汗)。
 (1) 独占路線にして倒産前の殿様経営時代だったため格安チケットなし。
 (2) ゆえに、個人で乗る場合一番安い航空券は燃油代込み16万円……泣。
 (3) リーマンショック直後でそもそも日本企業の活動が低調。
 (4) しかも日本企業は短期的利益に目がくらんで一層、潜在的リスクばかりなC国にずるずるべったり (あ、ちなみにダメリーマンな私ではございますが……昔からあらゆるレポートで「C国マンセー」的な内容は一言も書いておりません。学生の頃はC国で貧乏旅行をしたというのに、現地に対して何という恩知らずなヤツ ^^;)。長い目で見て親日的で市場規模も結構デカいインドネシアにはまだ光が当たらず。
 (5) インドネシアは内需が大きいため、リーマンショックの衝撃を余り受けず。このために世界中の注目を集めて高度成長が始まるのですが、2009年頃はその寸前の微妙な状態。

 ……とまぁこんな状況だったと記憶しておりますが、今や情勢は大幅に変わりました。何と言っても三大航空会社が仁義なき戦いに打って出ているのみならず、日本企業のインドネシアへの熱い視線、インドネシアにおける日本観光への熱い視線(間もなく観光ビザ免除!) などなどが絡んで、増便すればその分だけ客が増えるという可能性もあります。それでも、当面は突然の輸送量倍増のため、やはり三つどもえの客の奪い合いが続くとみて良さそうです。そこで、鶴丸航空のエコノミーもシートピッチが10cm広がるとは嬉しい話です♪ 客にとってはいろいろと余得があるということで……(^^

 というわけで、以上の全然鉄道と関係ない話題についてのコメントはご遠慮下さい (汗)。全く見当違いの可能性が高い放言は、まぁジャカルタ撮り鉄遠征において欠かせない話題ということで御容赦を (笑)。そこで、かつて鶴丸航空の大株主であった東急の8611Fをアップしておきます。
 この編成の外観は基本的に8612Fと全く同様になったのですが、唯一の区別策として、貫通扉下に車番ステッカーが貼られています。これは有り難い……というわけで、同じことをKAI・KCJ職員の皆様も思っているためか、最近は昨年夏時点で正面に車番が無かった編成にも追加でステッカーが貼られつつあるようですが、字が小さいのが何ともトホホ。やはり本家と同じくらいの大きさですと視認性も高いと思うのですが……。でもまぁ都営6000系の車番も小さく、お世辞にも見えやすいとは言えませんので、貼られるだけマシと思わなければならないのでしょう。

京急2014鉄道フェスタ (2) 赤一色1501

2014-06-23 00:00:00 | 大手民鉄 (京急)


 先月下旬に開催された京急久里浜ヲタ祭りから早いもので間もなく1ヶ月。しかし……このイベントは余りにも多くのヲタが押しかけ、余りにも多くのブログ記事等が既にネット上に流されている以上、今さらその続編をアップしても新鮮味などは一切ゼロ! (爆) したがってこの記事は、あくまで自分自身が後々ブログ内検索を使って、忘れた頃に思い出すためにアップするものです……(滝汗)。
 というわけで、京急ヲタまつりにおいて、西武、もとい黄色い新1000と並ぶ超目玉として押しくら饅頭の大賑わいとなっていた、赤一色な1501編成です~。いやはや……この画像をPCで眺めるだけで、激しくもみ合うヲタの汗と体臭が眼前でむせ返るかのような心地がします……(鬱爆)。



 周知の通り、この赤一色となった1501編成は、京急発祥の地として切っても切れない関係にある川崎大師において、10年に一度の秘仏御本尊の大開帳が執りおこなわれることを記念して、ダルマよろしく白帯を消して赤一色としたというものですが、どうせダルマにするのであれば800形と同じく顔面を黒から白にして欲しかったと思うのは私だけでしょうか? とはいえまぁ、1000形の引退以来このかた、話題といえば正月のHM程度しかなかった (?) 大師線においては、新鮮なオドロキを振りまいたことは確かでしょう。
 そんな赤い1501編成、私も御開帳拝観がてら (本厄年に骨折をやらかして「これはまずい」と思い、翌年の新春に初めて川崎大師で厄除け護摩供養をしたところ、以来運勢は上向き……霊験あらたか♪)撮影してみたかったのはやまやまですが、結局仕事やら何やらのため、5月中は川崎界隈を訪問出来ませんでした (苦笑)。御開帳が終わった翌日の6月1日、別件 (笑) で川崎を訪れたところ、もちろん御開帳は終わっていたのみならず、1501編成もさっさと任を解かれて白帯に戻ったという……。というわけで、赤一色姿を撮影したのはこれだけとなってしまいましたが、何が何でも時間を捻出して大師線を訪れようとしなかったあたり(とゆーか、訪れても新町や川崎で昼寝だったらヤだな……と思うにつけ、多忙の中でわざわざギャンブルをする必要があるのかと……)、自分自身の1500形に対する愛の薄さを図らずも思い知ってしまったのでした (爆)。

相鉄3000系 (旧国車体) を作る (7)

2014-06-22 00:00:00 | 超へっぽこ模型製作


 旧国ボディ2連2本の離合! 嗚呼……この時代の相鉄に乗りたかったです。



 モハ3005完成写真。いやはや……難産でした。



 パン無し側。今さらジャンパ栓の位置が逆なことに気づき、激しく鬱……。



 クハ3503。何となく歪みがあるのは、それだけ切り接ぎが過酷だから……。 

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 先日の相鉄さよなら赤帯撮影会は、長年沿線に住む相鉄ファンにとって誠に感慨深くツボで素晴らしいひとときであり、なおさら相鉄愛が深まろうというものです。タラタラと出掛けたところ、記念硬券入場券セットが既に「今から並んでも購入出来ません」状態となっていたことだけは痛かったですが……(汗)。
 というわけで、記念品は自分で作る! (爆) 旧国ボディから6000系とほぼ近似のボディへと載せ替えられてから今年で50周年の節目を迎えた相鉄3000系をかねてからシコシコ製作していたわけですが、このうちモハ3005とクハ3503の製作について、かなりイイところまで進んでいながら多忙のため放置が続いておりました。そこで先日のイベントを目にして「これは最早放置を長引かせるわけには行かない!」とスイッチが入りまして、撮影会後某駅前通りでラーメンをすすったあとは速攻で帰宅し、一心不乱に超面倒臭い窓貼りを進めてついに完成!! 全く以て、気分がノリノリになるかならぬかでいじるスピードがこれほど変わるとは……ダメダメな私です (汗)。
 今回落成分のうち、クハ3503については去る黄金週間に完成したクハ3501と同様ですので、技術力のヘボさゆえ何となく切り接ぎに伴う歪みが残っていることを除けば特筆することはとくにありません。とはいえ、本当に面倒臭かった車両がまた1両落成したということで「ふぅ~~やれやれ……」という気分です (^^;)。
 いっぽうモハ3005につきましては、サハ48を電装して両運転台化・3扉化したという空前絶後の珍車ですので、いま改めてこうして完成したブツを眺めておりますと、さてどう作ってやろうか……と頭をこねくり回した記憶が蘇って参りまして、実に感慨深いですね……!あくまでマスクを活用する都合から、GM板キットのクモハ43がベースになっておりますが、正面の雨樋切除→水平な雨樋をプラ線で再現というプロセスを経て屋根をヤスリ整形したことで、無理矢理サハ48出自の車両っぽくしたつもりです。しかし……結局は、何時まで経っても初心者の域を出ないドシロウト工作のため、どうしても不格好なアラが出てしまいますね……(汗)。でもまぁ、何とかそれっぽく見えるので良しとします♪ 切り接ぎ地獄にヤスリ地獄を経て、生まれる前に消滅したため昔の画像でしか見たことがなかった一品が、こうして目の前で縮小簡略版の立体として存在していることの不可思議な幸せ……♪♪
 さて残るは、ロクサンのくせに火災復旧車のためカマボコ屋根ではなく2列ガラベンを装備しているという珍車・クハ3504と、3000系の中で最も華麗な (?) 車両であったノーシルヘッダーのモハ3004 (鉄道省モハ60) ですが、これからしばらくまた多忙ですので、果たして何時完成することやら……(滝汗)。

新ヤンゴン熱鉄記 (13) アッパークラス客車

2014-06-21 00:00:00 | ミャンマーの鉄道


 標準的なアッパークラス寝台車。いつか乗りたい……(眠れなさそう ^^;)。



 標準的なアッパークラス座席車。リクライニングシートで尻ジャンプ! (笑



 如何にも英国流儀なドア沢山のアッパークラス車両 (たぶん寝台車)。



 如何にもインド製なアッパークラス冷房車。(現在はVIP用&貸切用?)

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 落花生。様の一時ご帰国とインドネシア鉄道をめぐる単著のご刊行を祝う一昨日のインドネシアの宴では、もう一つの奇跡的なシーンがありました。かねてからインドネシアの宴の常連でおられながら、しばらくカンボジア赴任などのため御無沙汰の参加となったH様が、ヤンゴン~バガン急行のアッパークラス寝台車で何と以前落花生。様と全くの同室となられ、今回の宴で感動 (?) の再会を果たされたのでした……! いや~世の中狭いもんです (笑)。
 というわけで、しばらくすっぽかしたままであった今年3月のヤンゴン訪問ネタのつづきとしまして、アッパークラス客車を撮影した画像をいくつかアップしておきます。かつてはビルマ=ミャンマーにおける陸上輸送の花形として君臨したアッパークラス車両も (ちなみに、ミャンマー国鉄にはファーストクラスもありますが、これはクッションがあるボックスシートであり、オーディナリーに毛が生えたような存在でしかありません。したがって、一部の急行を除けば余り連結されていないのが実情)、最近は道路の整備により続々と登場する豪華ツアーバスに客を取られ、冷房なしに加えて激しくジャンプするという乗り心地の悪さも手伝って相当旗色が悪いように思われます。まぁ、乗ってみればそれなりに埋まっているのですが、2~3日前であれば余裕で切符ゲット可能ということで (マンダレー&バガン行の急行は分かりませんが……)、やはり落ち目は否めないのでしょう。
 しかし、今後は日本政府の援助による急速な軌道整備や、金回りが良くなったことに伴う客車の新造により、これまでの良く言えば「古き良き」、悪く言えばボロいアッパークラス車両は脇へ追いやられて行くのかも知れません。まぁ金を払って乗る分には、4枚目に紹介したような冷房車がもっとガンガン増えて欲しいものですが……。
 なお、寝台車にしても座席車にしても冷房車をもっと増やす場合、その気になればインドの背の低いメーターゲージ車両を買ってくれば良いわけで……。余りにも車体がデカい日本のブルトレ中古は、貸切列車としてデビューしたことが既に伝えられながらも、まぁ全ての陸橋や跨線橋を高く改築しない限り入線出来ない区間が多すぎるため、一般的な車両になることはあり得ないでしょうなぁ……。タイ国鉄とはえらい違いです (苦笑)。