東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

幾何学的序列2 富田未亡人大いに語る

2006-09-02 10:47:16 | 社会・経済

合祀について

ニの一 富田メモの問題点:

いわゆる富田メモについては次の三点が問題になる。

二の一の一 信憑性、受け手の日ごろの願望と一致:

メモの信憑性が疑わしいのは一瞥明瞭であるが、信憑性があると主張する専門家、マスコミが多い。理解に苦しむところである。拙稿 富田メモ演習シリーズ、富田未亡人国会参考人招致シリーズで縷説。

メモの受け手の日ごろの思想、信念、願望と一致するが故に信じるようだ。保阪正康なる文士などは昭和天皇の遺書だと血迷ったことを言うが、あれが、遺書の体裁をとっているか。遺書というのは死を前にしておこなう厳粛なものだ。あんな得体の知れない殴り書きが遺書とは、一般人の場合でも認められまい。裁判所で遺書として検認を受けることなど思いもよらない体裁である。第一、シンカン(自筆)ではない。

二の一のニ  世論誘導、合祀問題の論じ方:

あのメモをもとに菊の御紋を振りかざす如く世論を誘導しようとしている。最初からそれが目的で仕組んだように思われる。それも、日ごろ天皇制を批判している連中が菊の権威を大衆に振りかざす。墳飯ものである。あるいは加藤紘一のように日ごろから中国の意向を受けて平気で天皇の政治利用を行ってきた前科のある連中が格好のものが手に入ったと浮かれている。

二の一の三 公務員の倫理基準

明らかに公務員の守秘義務に違反する。最近の警察官による内部情報流出の風土を作り出した元凶といえる(拙稿「警察不祥事の風土」参照)。遺族の取り扱いも訴追の対象となる。諸君10月号に出た上坂冬子氏の訪問記によると、富田未亡人は確信犯的で活動的であり、積極的に自己の正当性を主張するエネルギッシュな人物らしい。

81歳でも手の指にブルーのマニュキュアをしているという。きっと人前に出て公の場で喋ることが好きな人物であろう。十分に国会の証人喚問に耐えうる健康状態と判断する。特定のマスコミを選んでゴチャゴチャと都合のいい記事を書かせるのではなく、国会で、国民の前で主張すべきである。

二のニ 戦前の合祀基準、手続き

戦前の靖国神社の規則には「国事に斃れたものを祀る」とある。幕末15年間に死亡してまつられた人物のなかには戦死したものはいない。いずれも、刑死、獄死、自刃、誅殺、活動中の事故死である(諸君10月号 小堀桂一郎氏 天皇のお言葉とはなにか)

二の三 戦後の合祀基準、手続き:

昭和28年第十六国会で全会一致で、戦争犯罪裁判での刑死者と獄死者は公務死とみなす決議を採択した。これがA級戦犯合祀の根拠であると上述の論文で小堀氏はいう。この間の事情はもう少し精査する必要がある。決議の目的は軍人恩給の支給を可能にすることであると思われるが、当然のこととして靖国合祀が含意されていたのか。あるいは決議に明瞭にその旨記されているのか、確認する必要がある。この決議はA級のみならず、B、C級戦犯も含めての話であると思われるが、ABCを区別した議論があったのか、など。こういうことがデータとして示されないと、にわかには判断しがたい。

二の四 国会決議、厚生省の合祀名簿作成、提出:

上記決議後、靖国合祀までにかなりの経緯がある。この間、合祀問題がマスコミ、国会で話題になったことがあるのか。なければ、そこに何らかの合意が存在していたのか。その後の経緯は次の通り。

1953年(すなわち昭和28年) 公務死とみなす国会決議

1959年 厚生省が戦犯裁判での公務死亡者も靖国神社への合祀対象となる通達を出す(上記小堀氏の論文による)

1966年 厚生省がA級戦犯の「祭神名票」を靖国神社に送付

      筑波宮司は合祀を実施せず(預かり)

1978年 松平宮司が合祀する

その間、国会、言論界、マスコミでこの問題に対する議論があったのか。なければ暗黙の、合祀するというコンセンサスがあったとも言える。

それでは遅滞は何を意味するか。

1953年から1959年までの6年間の遅滞

1959年から1966年までの7年間の遅滞

1966年から1978年までの12年間の遅滞

何らかの政治力学的な要素が存在したのか。これらを明確にしないかぎりこの問題に対する十全な議論は期待しえない。この辺をあきらかにするのはマスコミ、論者の責任であろう。


三代四皇子のわがまま

2006-09-02 08:08:48 | 社会・経済

昭和天皇と良子妃との婚約問題、いわゆる宮中某重大事件である。お互いに表立っては周りのものが騒いだ事件だが、昭和天皇は元老たちの意見を採用しなかった。ある意味で最初の「自己主張」であった。このことの評価は難しい。ただ一ついえることは、大正デモクラシーという汚泥のなかに狂い咲いた右翼の言論活動、大衆示威運動を勢いづかせ、自信を付けさせたということである。太平洋戦争末期には軍部が右翼を押さえ込んだが、昭和初期には「税金泥棒」と電車のなかで罵られ軍服を着て町を歩けなかった軍人がのしてくるのに右翼の力は大いに貢献した。

次は今上天皇と民間財界人の家庭からの美智子妃である。戦後の象徴天皇制に一つの形を与えるのに成功している。美智子妃のご性格と実家の慮りがよい結果に結びついている。

さて、現皇太子と雅子妃殿下である。女性週刊誌ではないが、大きな問題を抱えている。将来も皇室制度の根幹に影響する波乱が予想される。

秋篠宮の場合もご意志(わがまま)を通された例であろう。しかし、報道から拝察するに、ご本人の性格と実家の配慮から美智子妃のケースに似ているように思われる。

ご結婚にあたって相手の性格と実家の心構えが重要なのは、恐れ多いことながら地下の事情と異ならない。しかし、皇室の場合は、とくに民間出身者を選ぶ場合はこのことはきわめて重要である。