ハイシー ドウドウ ハイシー ドウドウと一直線にやってまいります。
ローレン ローレン ローレン とカウボーイ・ハイドが西へ向かいます。
懐かしいですな。西部劇の最高傑作ですよ。
前回はアメリカ政界にも国共合作があることをご紹介したわけである。国共合作といっても分かるかな。説明しているヒマもないが、内戦を棚上げして抗日統一戦線を組んだ国民党(後に台湾に逃げる)と中国共産党の野合だ。
さて今回はカウボーイ一直線の物語だ。極東軍事裁判ではアメリカは歴史を満州事変で区切ったからああいうストーリーが出来た。存外このストーリーは客が呼べるということが分かった。この古臭い話が今でも朝鮮半島とか中国大陸のドサまわりの芝居小屋に行くと客に受けるというのだからいやになる。
今日は1923年から始まる物語をしよう。この年からはじめるとアメリカの行動が一直線の電車道であることがよく分かる。1923年8月に日英同盟は更新されないまま満期失効となった。長年にわたるアメリカの執拗な工作が実ったのである。イギリスも第一次大戦が終わり国際連盟も出来るという状況で日露戦争当時のような熱もさめていた。
なお、日本の一部の評論家が第一次大戦でイギリスの要望に応じて欧州戦線に地上軍を送らなかったのが、イギリスが同盟を延長しなかった理由だと機会があるたびに云うがこれは疑問である。日本はインド洋、地中海に海軍を派遣して、ドイツUボートからの輸送艦船の護衛、海上補給路の確保などに活躍して相当数の死者を出している。イギリスをはじめ欧州各国から非常に感謝されていたという記録がある。もう少し、史実に即してものをいうべきだろう。最大の理由は大戦後のイギリスの疲弊とアメリカの工作だろう。
1921年、日本、イギリスに加えてフランスとアメリカを加えた四カ国条約というものが出来たが、これは日英同盟つぶしを狙ったものである。この四カ国条約そのものはなんらの実績も上げない有名無実のものであった。
1923年日英同盟の失効でアメリカは日本と戦争になってもイギリスから攻撃される恐れがなくなった。あとは日本に無理難題を吹きかけて自滅を待つだけである。この時期はちょうど明治政府を立ち上げ育てた元老が次々と死んでいった時期と一致している。高齢のために活動の最盛期は過ぎていたとはいえ、1921年の宮中某重大事件で政治的に失脚した山県有朋は1922年死去した。入れ替わって権力を握ったのが、ようやく成熟してきた高級軍事官僚の集団である。現在の経済官僚とまったく同じで、無責任集団である。政治的センスは皆無。外交的には鼻がきかない。臭覚異常をおこした痴呆犬である。
アメリカにとって1923年から1945年までの22年間は一直線のシナリオが描けた時期である。おまけにこの期間の大部分がルーズベルト、トルーマンの長期民主党政権であった。アメリカの大義とはこのようなものである。この大義にけちをつけることはハイド氏には認めることが出来ない。三つ子の魂百までである。遊就館展示の垂れ込みはだれがしたのか、効果抜群だったわけである。