6日に日経の記事が新聞協会賞に決まったらしい。この騒動を業界ぐるみで擁護する雰囲気があったからだろう。選考過程や選考委員の顔ぶれが、いずれどこかのブログで紹介されるだろう。もっとも4つか5つの受賞作があったようだ。さすがに、物議をかもしているだけに、日経だけにというのも気が引けたのだろう。
一般論として、新聞報道なんてものは、もともと厳密なものではないから、もやもやしたものを大胆に予測したりするのはいい。
そういう胡散臭いところはブラック・ジャーナリズムだけではなくて、このマスコミ業界にはある。そういう汚泥のなかから百に一つ良いニュースが生まれる、そういう世界だ。一万人の無頼漢の集団から一人の天才芸術家が生まれるようなものだ。無数の無頼漢、いかがわしいニュースは美しい蓮の花を咲かせる肥料なのだ。
しかし、これは最初に読んだだけでおかしいと判断できるものだ。そのうえ、恥の上塗りで後から業界ぐるみで承認するばかりでなく、表彰するなんてあきれたものだ。汚わいを業界全体で神棚にあげるとなると、こりゃ不買運動だぜ。
もっとも新聞協会賞なんてのは、お手盛り、てんこ盛りの身内の賞ならほっとくか。もし、少しでも公的な意味があるなら、例えば新聞やテレビで報道されるなら公的な性格を持ったというべきだ。受賞者(井上亨という記者だそうだが)は、ワイドショーなどのテレビカメラの前できちんと説明する責任が生じたというべきだろう。
9月5日の産経正論欄で渡部昇一氏が予算委員会でメモの真偽を調べろといっている。当ブログもかねてから富田未亡人、富田家関係者、日経記者、日経お抱えの鑑定士(歴史家、昭和史研究家)、太鼓持ちの評論家を国会の参考人招致なり、証人喚問で呼びつけて究明すべきだといっている(拙稿、富田未亡人国会参考人招致シリーズ、富田メモ演習シリーズ参照)。安倍新首相の下での国会の第一の仕事はこれだね。