東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

メモをとる人は記憶が悪い?

2006-09-09 12:44:24 | 社会・経済

何事につけ、よくメモを取る人が入る。記憶力が悪いからメモをとるのかな、ということも考えないといけない。メモの取り方にも頭のよしあしが現れる。これが殺人事件の法廷であるとしよう。あるいは巨大企業グループのボスの遺産相続をあらそう法廷でもよい。

証拠調べは詳細、厳密を極めるであろう。富田メモの場合、加担する側の思惑は国策の行方そのものである。かれらの騒ぎ方を見ればアカデミックな関心などではない。争われている獲物はとてつもなく大きい。徹底した証拠調べが必要とされる所以である。

遺書の場合を取り上げよう。まず、法的に求められている形式を満たしているかが争われるだろう。富田メモの場合、文章にもなっていないメモが明確な内容を表しているなど、とても認められないだろう。あまつさえ、偽筆、模写の疑いがある。このブログでも紹介したがあのメモは散々画像解析されて、裏に別の紙があるとかさまざまなことが明らかになっている。このことは紙質が薄いことを物語っている。現物を公正な第三者が見れば一目瞭然だが、日経は隠して見せない。

トレーシング・ペーパーとして下に敷いた別の紙を模写できるかどうかがまず確認されなければならない。専門のトレーシング・ペーパーでなくてもある程度薄ければ模写できる。また裏から光を当てるなどすれば、かなりの種類の紙で模写が可能であろう。模写すれば筆跡の偽造も容易である。つぎはぎも容易だ。

また、法廷ではメモを書いた当人の当時の記憶力、判断力が各陣営の厳しい尋問にさらされるだろう。富田氏は当時68歳、記憶力やおつむの状態はいかがなものであったか、物故者であるから、当時の富田氏を知る証人から聞く必要がある。また、当人の日記を検討することによって、存外老化の程度が分かるものである。その目的で私的な日記や手紙も提出を求められるであろう。

すでに指摘されているように、インクや糊の性質、経年劣化からのメモ作成年代の特定も必須であろう。

以上のほかに、メモのフレーズ(文章とはいわない。文章といえるものは一行も無いから)

の分析も必要だ。私は画像解析に詳しくないし、ネットに出回っている資料も持っていないので、文芸春秋9月号113ページの上段に活字に直して出ているものを検討する。それだけでも色々疑問が出てくる。

メモのマル3について(三枚目)

最後の二行すなわち「嫌だと云ったのは奥野国土相の靖国発言、中国への言葉に引っ掛けて云ったつもりである」というクダリはまったく前の文とつながらなく、すわりが悪い。

そのニ、三行まえに「戦争の感想を聞かれて嫌な気持ちを表現したかった」とある。すぐに続けて「それは後で云いたい」、「そして、戦後国民が努力して平和の確立につとめてくれたことを云いたかった」。ここまでは流れがある。そのあとに上記の奥野発言がいきなり出てくる。まったく、脈絡がない。

私だったら、昭和天皇が以下のようにおっしゃっりたかったのではないかと思える。国民の努力に触れた後で、『戦後40年以上たっても戦争の感想は?なんて聞かれるのは嫌な気分だ』。これなら自然な答えだ。なぜ、奥野大臣がどうだとか出てくるのだ。国民の努力で経済大国に復興し、これからのことを聞かれるならわかるが、また戦争の話かとうんざりされる。流れが自然だ。もっと未来志向の話をしないのか、という陛下のお気持ちだったろう。

メモのマル4について(4枚目)

ここに問題の日経の大スクープの素が出てくるのだが、その前4行ほどあり、これが全く次とつながらない。最初の文章とは「前にあったね、どうしたのだろう。:中曽根の靖国参拝もあったか、藤尾文相の発言。:云々」

このメモについてはつとに徳川侍従長の記者会見での発言ではないかと言う指摘がされている。大体徳川氏の422日の会見と推定されているようだが、このブログの前の記事「論評に値せず」にコメントをいただいた城岡辰矢氏は412日の徳川氏の会見の発言ではないかという。根拠はわからないが、メモがあちこちから時系列に関係なく、都合のいい文章を引っ張ってきてつぎはぎして偽造したものだとすると、422日にかぎらず、もっと期間の幅を見て前後の発言を調べてみる必要があるかもしれない。