法改正の目的は本人の同意がない場合にも移植が出来るということらしいが、その要件は明確、一義的、整合的に整備されているのか。余はいない、と法律を読まないで断定した。
悪法を読むのは目がけがれる、だからもっぱら新聞報道にたよるわけ。このくらいの冗談がわからないと当ブログは読めないよ。
閑話休題、マスコミ解説報道によると、本人が生前、明確に臓器移植を拒否していなければいいという。明確に拒否するためには、運転免許証や健康保険証に自分でその旨記載しなければいけないそうだ。
そこで自分の健康保険証を見た。臓器移植を拒否する記入欄があるそうだが、そんなものは影もかたちもない。こぐ最近発行されたものからそういう欄が出来たのか。そうならこれほど重大な、生死の問題にかかわることは、運転免許証や健康保険証が全面的に新様式に移行したあとから法改正を実施すべきだろう。
また、政府は積極的な広報活動をとうして、その趣旨を国民に周知せしめる義務がある。それを怠っていればこの条項は法律的に無効である。
地デジ移行の案内は死に物狂いになって何年も前からテレビのコマーシャルを使い、芸能人を使って、税金をジャブジャブ使ってやりながら、はるかに重要深刻な臓器移植の問題では何もしない、そんな政府があるのか。
さらに根本的な問題がある。臓器移植に適した臓器というのは若い健康な人間のもので今回のように交通事故などで突発的に死亡したケースが臓器屋が舌なめずりするものである。
こういう若い男女が日ごろから、自分が死んだ場合を考えて意思表示をしますか。こういう抹香くさい年寄りくさい考え方そのものが若い人たちには非常識非現実的である。毎日仏壇にお線香を上げるようになった老人ならともかく、未来のことしか考えない若者がそんなことを考えるわけがない。
また「明らかに拒否をしていなければ、臓器を取ってもいい」、というのは極めて横暴な考え方である。どれだけ善意の被害者を生むか知れたものではない。国民をこういう恐怖に陥れるのは政府の取るべき態度ではない。
たとえて言えば、置き引きで物を取られても、本人の不注意、明確な所有の意思表示がないから置き引きをされても文句が言えないというのと同じである。
次回、本人の拒否という意思表示がなければ臓器を取り出してもいいというのが法律なら、なぜ家族の同意があったと水戸のご老公の印籠みたいなものをふりかざすのか。