この人が死亡したというニュースがあった。遺書はあるというが原因は公表されていない。臓器移植の報道自主規制問題で板挟みになっていたということはないだろうな。
改正前のように本人の明確な意思表示が確認できるなら、氏名について公表しなくてもいいかもしれない。しかし、意思確認の合法性など経緯については自主規制をすることは「ジャーナリズムの自殺」だろう。
浅野健一君、自主規制をすることが¥瀕死の状態にあるジャーナリズム¥なんだよ。
まして改正で要件がますます、あいまいで、いかがわしくなっているから経緯の全面的可視化はジャーナリズムの使命となっている。
幼児の誘拐事件で自主規制をするのとはわけが違う。誘拐事件の場合は自主規制をすることによって幼児の危険性を減少させる。
臓器移植の場合は経緯を可視化することによって、犯罪を防止する。プライバシーとか人権とかわめけば良識ある人も沈黙させられると思うのはファッシスト的発想である。
知能未熟な女学生相手にしか通用しない。同志社大学の学生諸君はすこしはましだと思いたい。