東方のあけぼの

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可視化の範囲9臓器移植犯罪

2010-08-14 12:36:19 | 社会・経済

北大和田教授事件を改めて確認したが、この事件は臓器提供者と移植された側両方に対する殺人罪の疑いがあったらしい。

臓器を摘出された側だが、確かに重篤なこん睡状態だったらしいが、脳死だったかどうか全く記録をとっていなかったらしい。おまけにその死亡を確実にするための筋肉弛緩剤などの違法な投薬が行われたと疑われた。勿論本人の同意はおろか家族の了承も取っていない。

一方、移植を受けた側だが、移植を受ける必要がない患者だったらしい。在来の通常の手術の対象だった。そして心臓外科におくられた時には特定の手術(移植ではない)の指示、あるいは示唆が患者を送致した側からあったという。そして移植を受けたこの患者は八十数日後に死亡した。

臓器移植が盛んなアメリカではおぞましい事件が現在までに絶えることなおく多発している。

是に依って之を観るに、犯罪防止にはドナーならびにレシピエント両側の完全可視化による検証が不可欠である。これによる不自由に耐える患者でなければ移植を受けるべきではない。また、完全可視化に合意できない家族は臓器摘出提供をすべきではない。

現にアメリカなどに移植手術を受けにいく患者のニュースが時々あるが、皆カメラの前に出てきているではないか。寄付も必要、多くの関係者の多大な労苦も要求する臓器移植だ。社会に対する感謝の意味でも「プライバシー云々」を言うべきではない。むしろプライバシーを言いたてるのはやましいところのある、後ろ暗いところのある臓器屋だ。臓器屋とは医療関係者とかブローカーのことである。コーディネーターときれいな言葉でいうが要するにブローカーだ。

プライバシーの制限は移植の恩恵を受けるために必須の義務であろう。

& どうせ手術前に「どんな結果になっても医者の責任を追及しません」というお決まりの念書を有無を言わさず患者、家族は病院や医者から取られるのだ。どうせなら、完全可視化してもらって、自分で納得するほうが安心ではないか。

完全可視化されて証拠が残れば医療機関に違法行為、ミスがあればこんな念書など紙切れ同然で効力を失う。患者が泣き寝入りすることもなくなる。結局患者家族の安心のためでもあるのだ。