昭和30年、経済白書は「もはや戦後ではない」と謳った。
昭和36年頃からいわゆる高度成長時代に入る。オイルショックも克服して日本の繁栄、高度成長が続いた。
この時期の特徴は冷戦時代花盛りだったことである。アメリカとソ連という盟主を頂点とする事態だ。第三次世界大戦、すなわち全面的な核戦争と言う地平を明晰に視界に捉えた東西陣営の二分化である。
日本は経済に余裕が出てきた。盟主アメリカの命令で東アジアのヤクザ国家にも金を与え、援助をほとんど無制限に与えた。
つまり冷戦に勝つという至上命題があったのである。中韓は日本をゆするまでもなかった。
ここでシナの位置を一言触れておく必要がある。シナはソ連を盟主とする東側の一員である。しかし4000キロにも及ぶ国境線で対峙した関係でもある。そこにアメリカが目をつけた。中ソの間にくさびを打ち込んだ。ニクソン大統領はキッシンジャーというユダヤ人を隠密で送り込んで国交を樹立する。日本にはひとことの挨拶もなし。
これで泡を食ったのが田中角栄だ。乗り遅れては大変と北京へ飛んで火にいる夏の虫だ。日中国交樹立である。1972年ころだったかな。
とにかく、アメリカの「要請」もある。じゃぶじゃぶ援助を与えた。これが故にシナは二十歳を過ぎても不良息子が金持ちの親から無制限に小遣いを絞るのが当然という思考回路が出来てしまった。
手先と道具:その道具も見つけた。冷戦勝利の目的で長年にわたって日本国内に培養した反日文化人(進歩的知識人とも言う)、反日マスコミ(良心的マスコミとも自称する)、北京の日本駐在員たる社会党などを使って内外から日本をゆする。
馬鹿な日本人にはこれがきわめて有効であった。最初は歴史教科書問題、いろいろネタはあって、こんにちは従軍慰安婦ほぼ一本に絞っている。
歴史教科書問題で大穴馬券を当てた中韓はこの成功体験をいまでも抱きしめている。
昭和36年頃からいわゆる高度成長時代に入る。オイルショックも克服して日本の繁栄、高度成長が続いた。
この時期の特徴は冷戦時代花盛りだったことである。アメリカとソ連という盟主を頂点とする事態だ。第三次世界大戦、すなわち全面的な核戦争と言う地平を明晰に視界に捉えた東西陣営の二分化である。
日本は経済に余裕が出てきた。盟主アメリカの命令で東アジアのヤクザ国家にも金を与え、援助をほとんど無制限に与えた。
つまり冷戦に勝つという至上命題があったのである。中韓は日本をゆするまでもなかった。
ここでシナの位置を一言触れておく必要がある。シナはソ連を盟主とする東側の一員である。しかし4000キロにも及ぶ国境線で対峙した関係でもある。そこにアメリカが目をつけた。中ソの間にくさびを打ち込んだ。ニクソン大統領はキッシンジャーというユダヤ人を隠密で送り込んで国交を樹立する。日本にはひとことの挨拶もなし。
これで泡を食ったのが田中角栄だ。乗り遅れては大変と北京へ飛んで火にいる夏の虫だ。日中国交樹立である。1972年ころだったかな。
とにかく、アメリカの「要請」もある。じゃぶじゃぶ援助を与えた。これが故にシナは二十歳を過ぎても不良息子が金持ちの親から無制限に小遣いを絞るのが当然という思考回路が出来てしまった。
手先と道具:その道具も見つけた。冷戦勝利の目的で長年にわたって日本国内に培養した反日文化人(進歩的知識人とも言う)、反日マスコミ(良心的マスコミとも自称する)、北京の日本駐在員たる社会党などを使って内外から日本をゆする。
馬鹿な日本人にはこれがきわめて有効であった。最初は歴史教科書問題、いろいろネタはあって、こんにちは従軍慰安婦ほぼ一本に絞っている。
歴史教科書問題で大穴馬券を当てた中韓はこの成功体験をいまでも抱きしめている。