詩人の岩谷時子が亡くなった。幾多の作曲家に詩を与えて、世に多くの歌を残してくれた。透明感の満ちた、時には女性の弱さを表現し、時には未知への世界へと夢を馳せてくれた。彼女は男性社会時代にあって、ほとんどが男性の作曲家から「曲先」と言われるが、与えられた曲に詩を当て嵌める作業に明け暮れた。特に、加山雄三の曲を生かした彼女の作詞作業は見事と言える。
例えば、「深いしじまが 星を飾るだろう(旅人よ)」や、「お嫁においで」は内容全般にわたってであるが、加山が述懐するように、曲を越える輝く言葉を与えてくれている。彼女がいなければ、私はいなかったという表現は誇張ではなかろう。
「夜明けのコーヒー 二人で飲もう(恋の季節)」は当時としては極めて斬新発想の言葉であった。ザ・ピーナッツの曲には、女性の恥じらいと想いを表現する作詞家が、これまでいなかったことを知らしめた。
「ウナセラディ・トウキョウ」では、曲に言葉が足らないと注文されて、彼女は「後姿の幸せばかり」という言葉を加えた。この曲は、この言葉が全体を支えるほどの重みを与えることになった。
「なみだ君さよなら」や「夜明けの歌」や「逢いたくて逢いたくて」は、詩の力を存分に聞くものに与えてくれ、曲を聞いたものに詩の広がりを与えてくれた。
彼女の最初の仕事でもある、越路に与えた「愛の賛歌」は、原詩以上の中身と曲を支える詩として、今でも海外を含めた数多くの歌手に歌い継がれている。
彼女が最も愛したのが越路吹雪である。彼女が亡くなった後、呆然とし「越路吹雪よ、越路吹雪よ、あゝ越路吹雪よ・・」と何度も繰り返す、彼女らしからぬ詩を残している。天国で再開をお互いに喜んでいることであろう。
岩谷時子さんありがとう。ご冥福を祈ります。