そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

限界集落すらなくなるのではないか

2013-10-24 | マスコミ報道

私はこの根室原野に住むようになって、45年が過ぎた。今では原野と呼ぶことすら憚れるほど、道路が整備され森は草地へと変わって、のっぺりとした平原のようになってしまった。

先日私とほぼ同時にこの地に移り住んだ、鳥仲間の友人が亡くなった。文筆家でもあった友人は、その当時のことを、広がるお花畑と鳥たちの囀る楽園の地と表現していた。

こののっぺりした土地に、多くの観光客は感動する。北海道らしいと称賛するのである。しかし、50年前までは森がこの地を覆い尽くし、羆が徘徊する土地であった。それこそこの根室台地の原風景なのである。

人が生活するためには、森を切り拓き農地としての牧草地と変えて行くのは、経済活動あるいは生産活動として、脈々と人類が行ってきたことである。

そしてそのことは、人々を豊にし経済的に安定させ、幸福をもたらし繁栄させるためのはずであった。ところが、30年ほど前からこの地のほとんど唯一の産業である酪農が、巨大化してきたのである。牛の餌となるものも、大量にアメリカから輸入して与えるようになった。今では太陽の下で草を自由に食べさせて貰っている牛は、僅か10%足らずになってしまった。

時を同じくして、酪農家がこの地を離れて行ったのである。豊かさの基準は曖昧なところが多くあるが、少なくとも人々が大勢いることこそ優先されることではないかと思われる。とりわけこの地の様に、へき地では人々が支え合わなければならない。人が去ってはその基盤すらなくなるのである。

私が現在診療に行ってるある集落であるが、戦後ここには小学校があり、地域には農家などが40戸近くあった。現在は酪農家が5戸、離農した方が多いが7戸ほど他にある。高校生以下で酪農を継ぐ可能性のある子どもが僅か2人である。明らかに限界集落である。TPPは更にこの動きを加速させる。

せっかく豊かな自然が残されていたこの土地である。日本で最も遅く開拓された地域であるが、それが限界集落となったのでは、徒に土地を破壊したに過ぎない。気が付いたら森がなくなっていたと嘆いていた、亡くなった友人の言葉がいつまでも胸に残る。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

羅臼港

春誓い羅臼港