詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

詩はどこにあるか(83)

2005-12-12 00:20:30 | 詩集
高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社)

 「17」。

書き換えても 書き換えても
消すことのできないのが私の名  (41ページ)

 それは「絶対的存在」であるからだが、絶対的存在は単に自己から独立したどこかに存在するのではない。
 絶対的存在を把握しようとする精神の運動とともにある。
 「書き換えても 書き換えても」という運動があってはじめて「消すことができない」のである。「書き換え」ようとする運動がなければ「消す」以前に存在し得ないのである。

 ここに「詩」がある。
 「書き換え」は生成の別の名前である。繰り返される生成の中、その場(無)のなかに、形にならずに、しかも形を誘うように存在するものとしての「絶対的存在」。
コメント
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