詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

詩はどこにあるか(91)

2005-12-22 14:07:08 | 詩集
高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社)

 「27」。欲望は矛盾する。

見てはならない けっして
見ずにはいられない どうしても  (61ページ)

 すべてはこうした矛盾から起きる。平静は破られ、はてしない運動が始まる。このとき、「未来」は封印される。「予言」は封印される。

井戸のおもてはこなごな
そこに映るあなたは四散し
私は血の瀧となってあふれ
鏡に覆いがかけられる  (61ページ)

 「未来」が封印されても未来がなくなるわけではない。つねに存在し現在を突き動かす。あるいは現在という場で生成は繰り返され、それが現在を未来へ突き動かしていく。



 「28」。過去を継承する。

私の存在理由は 何なのか
父の血を受け継いで
息子たちに受け渡すだけ  (63ページ)

 この詩集のテーマはこの部分に集約されているかもしれない。
 現在という時間のなかにはさまざまな過去が存在している。あるものは根強く、あるものははかなく。それをどのように受け継いでいくか。今、その生成にどのようにかかわっていくか。

 この詩集の表立った主題は「神」である。「神」はさまざまな形で現存する。私たちのそばに、あるいは内部に存在する。それが生成の力となって働くかどうかは、私たち次第だろう。

 高橋は、日本語(日本人の到達した意識)に高橋自身の血を吹き込み、時代に引き継ごうとしている。それが詩人の仕事だと、ここで宣言している。
 どんな形であれ、私たちは日本語(日本人の到達した精神)から逃れることはできない。どれだけ正直にそれと向き合えるかが問われるだろう。
 高橋の作品には「古典」が息づいているが、これは日本語を引き継ごうとする意志のあらわれである。
コメント
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