高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社)
「25」「26」。勝利と敗北、あるいは入れ代わり。
この対になった詩のおもしろさは、「26」に集約されている。「脱力感、無力感の快さ」。否定的価値とともに語られることの多いもののなかにある官能。新しい発見。そこに「詩」がある。
見逃してはならないのは、「脱力感、無力感の快さ」のなかで、「兄」がなおかつ、「わからぬ者には ついにわかるまい」と勝利宣言していることだ。
敗北しながらの勝利宣言。これこそ、真の入れ代わりである。単に兄と弟の地位の入れ代わりではなく、概念の入れ代わり、概念の下克上である。
*
この敗者の勝利宣言は、多くのマイナーポエトリーの勝利宣言でもあるだろう。高橋はマイナーポエトリーの勝利宣言を代弁しているともいえる。
高橋の詩自体には私はマイナーな印象を持たない。むしろメジャーであると感じている。今回の「神話」めぐりの詩は、その構想力においてメジャーなものである。
しかし、高橋が好んでいる詩(評価している詩)にはマイナーな要素が多分にある。
高橋の心理の奥には、どこかでマイナーポエトリーへの憧れがあるのかもしれない。マイナーな詩を書きたいという気持ちがあるのかもしれない。
「25」「26」。勝利と敗北、あるいは入れ代わり。
遠く 小さく へいつくばる兄さん
俺が頼み込んで 取り換えたのは
取り戻したのは こんなものだったのですか
ついた手を上げてください 兄さん (「25」、57ページ)
*
もっと遠く もっと低く しまいは
視界から 失われてしまうこと
この脱力感 この無力感の快さ
わからぬ者には ついにわかるまい (「26」、59ページ)
この対になった詩のおもしろさは、「26」に集約されている。「脱力感、無力感の快さ」。否定的価値とともに語られることの多いもののなかにある官能。新しい発見。そこに「詩」がある。
見逃してはならないのは、「脱力感、無力感の快さ」のなかで、「兄」がなおかつ、「わからぬ者には ついにわかるまい」と勝利宣言していることだ。
敗北しながらの勝利宣言。これこそ、真の入れ代わりである。単に兄と弟の地位の入れ代わりではなく、概念の入れ代わり、概念の下克上である。
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この敗者の勝利宣言は、多くのマイナーポエトリーの勝利宣言でもあるだろう。高橋はマイナーポエトリーの勝利宣言を代弁しているともいえる。
高橋の詩自体には私はマイナーな印象を持たない。むしろメジャーであると感じている。今回の「神話」めぐりの詩は、その構想力においてメジャーなものである。
しかし、高橋が好んでいる詩(評価している詩)にはマイナーな要素が多分にある。
高橋の心理の奥には、どこかでマイナーポエトリーへの憧れがあるのかもしれない。マイナーな詩を書きたいという気持ちがあるのかもしれない。