「現代詩手帖」12月号を読む。(引用はすべて「手帖」から)
白石かずこ「Summer Time」を読む。亡くなった母親を詠んだ詩だ。
永遠の複数の定義がおもしろい。「存在しないことにより存在する 永遠」。それは「わたしの内側で存在するだけだ」。だから「はかない」。
これは表面上の定義である。論理上の定義である。そしてその定義を突き破って存在する定義がある。そこに「詩」がある。
わたしという存在は「果てし」がある。限界がある。その内部でこそ「存在しないことにより 存在する」ものがある。
矛盾のなかの、拮抗する精神の運動。白石の詩にはいつも、そうしたものが輝いている。
白石かずこ「Summer Time」を読む。亡くなった母親を詠んだ詩だ。
存在しないことにより存在する 永遠を
彼女は獲得したのだ ああ、
ありがとう、というのを忘れた あなたがこの世を
去るのが too soon あまりに静かな吐息だったから
永遠というのは はかないネ
わたしの内側で存在するだけだから
この果てしある内側に
果てしない 即ち永遠が いま
たゆたっている
永遠の複数の定義がおもしろい。「存在しないことにより存在する 永遠」。それは「わたしの内側で存在するだけだ」。だから「はかない」。
これは表面上の定義である。論理上の定義である。そしてその定義を突き破って存在する定義がある。そこに「詩」がある。
わたしという存在は「果てし」がある。限界がある。その内部でこそ「存在しないことにより 存在する」ものがある。
矛盾のなかの、拮抗する精神の運動。白石の詩にはいつも、そうしたものが輝いている。