高橋睦郎『語らざる者をして語らしめよ』(思潮社)
「29」。統合・融合。
複数の存在が「一人(ひとつ)」になる。それは一人になることが三人である証でもある。
こうした言い方は矛盾だろうか。
一人(ひとつ)になる運動のなかにすべては統合され、融合され、新しい生成となる。運動のエネルギーそのものがひとつになるということである。
*
「***」。(本文は、*マークが上に二つ、下中央に一つ。逆三角形の形をしている。ここでは表記できないので、*並べて代用しておく。)
本文中、かっこに囲まれた部分が何か所か出てくる。
先行することばを必ず否定する。そして、それが「すなわち」によって結ばれる。相対立することがらが「すなわち」によって結ばれる。ただし、「すなわち」という表現は最初の一回と最後の一回限りで、あとは省略される。
すべては実在のことがらではなく、精神の内部のことがらである。「幸行」はあろうがなかろうが、同等なのである。というより、あることによって、ないことを意識しない限り、あることにはならない。
創作とは精神の運動である。
この運動を統合する力が「すなわち」である。
この「すなわち」は「一即多」の「即」である。
「すなわち(即)」がこの詩集の「詩」のすべてであると思う。「すなわち」の運動の場として「無(混沌)」がある。あらゆる生成が、生まれ、消えて、また生まれる。それを記録することばが「詩」である。
「29」。統合・融合。
だから われら 三人という一人 (65ページ)
複数の存在が「一人(ひとつ)」になる。それは一人になることが三人である証でもある。
こうした言い方は矛盾だろうか。
一人(ひとつ)になる運動のなかにすべては統合され、融合され、新しい生成となる。運動のエネルギーそのものがひとつになるということである。
*
「***」。(本文は、*マークが上に二つ、下中央に一つ。逆三角形の形をしている。ここでは表記できないので、*並べて代用しておく。)
本文中、かっこに囲まれた部分が何か所か出てくる。
幸行(いで)ましき。(すなわち、幸行まさざりき。) (66ページ)
先行することばを必ず否定する。そして、それが「すなわち」によって結ばれる。相対立することがらが「すなわち」によって結ばれる。ただし、「すなわち」という表現は最初の一回と最後の一回限りで、あとは省略される。
すべては実在のことがらではなく、精神の内部のことがらである。「幸行」はあろうがなかろうが、同等なのである。というより、あることによって、ないことを意識しない限り、あることにはならない。
御陵(みはか)は畝火の山の北の方の白檮(かし)の尾(を)の上にあり。(あらず。故、創作(つくら)えし始祖王(はじめのすめらおほきみ)、朕(あ)が事蹟(いさをし)及(また)陵墓(みささぎ)は、創作えし皇統譜(すめらみちすじ)の上(へ)にのみ在り、すなわち在らざるなり。)
創作とは精神の運動である。
この運動を統合する力が「すなわち」である。
この「すなわち」は「一即多」の「即」である。
「すなわち(即)」がこの詩集の「詩」のすべてであると思う。「すなわち」の運動の場として「無(混沌)」がある。あらゆる生成が、生まれ、消えて、また生まれる。それを記録することばが「詩」である。