詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

岩佐なを「亀なく」

2022-07-23 21:57:58 | 詩(雑誌・同人誌)

岩佐なを「亀なく」(「孔雀船」100、2022年07月15日発行)

 岩佐なを「亀なく」は俳句の季語「亀なく」という「ことば」を題材にしている。

例によって
強風にのって
転校してきたはいく君の家では
亀がなくという
まじで。
いじめているのか
亀なかして

 「まじで。」ということばで、突然、現実がはいりこみ、「いじめているのか/亀なかして」にくると、もう季語なんか関係ないね。
 「人間関係」が浮かび上がってくる。どうも、人間関係というのは「ウソ」が入り込めない。「ほんとう」が動いてしまう。「亀がなく」というのは「ウソ」だとしても。
 この詩の場合、最初の「ほんとう」は子供は腹がへる、ということ。そして、何かを食べる。

おかあさんも
おとうさんも
なんの気配がなくても
友情をみしみしと感じて
むはむはと和菓子を食べると
灰苦君がほんとは
亀は家にいない。と
言った
亀がなくはなしは嘘じゃない。と
言った

 ウソ(ことば)とほんとう(肉体)が交錯する。そして、ときどきことばの方が、肉体をリードしてしまう。それがことばと肉体の関係ののおもしろいところだ。ことばの方が、ひとりの人間の肉体よりも長生きしているせいかもしれない。ことばは地区たいを超えてしまうときがあるので、その超越性ゆえに(特権性ゆえに)、「ほんとう」であると肉体を説き伏せてしまうのである。つまり、聞いたことがなくたって、見たことがなくたって、亀は鳴いたってかまわない。だから、そのほかのことだって、ウソではなく、ほんとうだってかまわない。

亀はどうやら任務で
おとうさんの部下の恨死魔さんを
乗せて海底へでかけたらしい
仕事がつらくてなくのかもしれない

 子供というのは、知らないことばというか、聞きかじったことばをつかって「世界」のなかへ強引に入っていく。「任務」とか「仕事がつらくて」とか、ね。これは「亀が鳴く」と同じ。「事実」を知らないけれど、ことばをつかって、「世界」を確かめる。「意味」も知らずに。そこには「ほんとう」と「ウソ」が交錯する。
 などと書くと面倒くさいが。
 このあたりの、ずらし方、が岩佐はとてもおもしろい。
 「ほんとう」と「ウソ」、「ウソ」と「ほんとう」というのは、それを知っていると勘違いしているか、知らないと言えるかの「境目」を動くようなものだ。子供にかぎらず、大人になっても、テキトウに知ったかぶりをすることがある。「ウソ」かもしれないけれど「ほんとう」と言っているのだから、「内容」ではなく、言っている人がそこにいるという「事実」を手がかりに「現実」乗り切ってしまうのである。

ひとごろしの乗りものに
なって海に沈んでゆく姿
を想うと
どうにも
渋いお茶が欲しくなった

ぼくらはもう
すでに子どもっぽくない
亀をきっかけに
友だちができれば
それはそれで
よしとしている

 いいなあ、この終わり方。余裕がある。「どうにも/渋いお茶が欲しくなった」の切り返しがとてもリアルだ。肉体的だ。余裕というのは「事実/肉体の存在」のことかもしれない。でも、そこに「意味/結論」はない。それがいいのだ。

 

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読売新聞の「忖度」

2022-07-23 09:08:04 | 考える日記

 2022年07月23日の読売新聞(西部版、14版)の政治面(13S版)に統一教会と政治家とのことが見出しと記事。(番号は、私がつけた)

↓↓↓
①旧統一教会との関係 注目/自民・野党とつながり
②安倍晋三・元首相が銃撃されて死亡した事件を受け、政治と「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)の関係に注目が集まっている。旧統一教会は反共産主義の「勝共思想」を掲げ、自民党だけではなく野党ともつながりが指摘されてきた。
③安倍派に所属する末松文部科学相は22日の記者会見で、同連合の関係者が自身の政治資金パーティー券を購入していたと明らかにした。末松氏の事務所によると、2020年、21年にパーティー券計4万円分が購入されていた。
④末松氏側は、同連合に関連する集会に複数回、祝電も送っていた。末松氏は「常識の範囲内で何らやましいものはない。選挙活動に関連する支援は受けていない」と述べた。
↑↑↑
 ①は「見出し」。何気なく読んでしまう。そうか、自民党だけではなく、野党議員も統一教会と関係しているのか。野党も関係している、癒着が広がっている、というのがきょうのニュースか。ふつう、読者は、そう思って新聞記事を読み始める。
 でも、これは変だなあ。いままでの新聞報道のあり方からすると、こうはならない。つまり「作文」によってニュースの本質をごまかし、見出しでさらにごまかそうとしていることがわかるのが、きょうの読売新聞だ。「忖度」がいっぱいなのだ。
 この日のニュースは③なのである。つまり、安倍派(安倍と関係が深い)の末松が、パーティー券を統一教会側に買わせていた。(統一教会が買っていた、と読売新聞は書いているが。)2万円が2回、合計4万円。額をどうみるかは別として、資金集めに統一教会が協力していた。金が動いていた。これは、統一教会と安倍派の強い関係を示す「証拠」である。
 こういうとき、いままでの(といっても、かなり前になるかもしれない)新聞なら、

末松文科相パーティー券、統一教会購入/2年間、合計4万円

 という見出しになるはずある。はじめてわかった「事実」を見出しにする。いま、話題になっているのは、国会議員(とくに自民党、なかでも安倍派)と統一教会との関係である。資金集めパーティーに関係していたことがわかった。
 たぶん、このパーティー券購入は、これから次々に表面化するだろう。
 そういう意味でも、パーティー券と末松(安倍派の議員、しかも閣僚)は、絶対に見出しにしないといけない。
 ところが、読売新聞は、いままでの新聞の見出しの鉄則のようなものをあえて踏み外して、末松の名前を出していない。かわりに、「野党とつながり」と、視点を野党に向けるように誘導している。
 パーティー券問題(資金提供)を隠したいからこそ、④の末松の弁明には「パーティー券」ということばは出てこない。そして、「選挙活動に関連する支援は受けていない」とという末松は主張を「紹介」している。
 パーティー券問題を隠す、矛先を野党に向ける、というのが、読売新聞の「忖度」の仕方である。「忖度」は「事実」と「表現」の関係を、きちんと追わないとわからない。(きょうの朝日新聞の「社説」も、上っ面は議員を追及しているようだが、朝日新聞の求めている追及の仕方では、何もわからない。朝日新聞は、「社説」をつかって、わざと「追及しているふり」をして見せている。)
 私は、こういう「表現方法」を非常にきたならしく感じる。
 野党関係については、末尾に、こう書いている。
↓↓↓
⑤日本維新の会の松井代表(大阪市長)は22日、同連合の関連団体の集会に約20年前に出席したことを明らかにした。維新は、国会議員と地方議員を対象に同連合との関係を調査する方針を決めた。
⑥立憲民主党の泉代表も同日の記者会見で、複数の党所属議員が同団体関連の会合に祝電を出していたと説明した。国民民主党の玉木代表は、同連合の関連が指摘される「世界日報」の元社長から16年に計3万円の寄付を受けたと明らかにしている。
↑↑↑
 ⑤は「集会出席」で金の流れはわからない。
 ⑥は「寄付」だから政治資金収支報告書(?)に明記されているだろう。
 「寄付」は「パーティー券」とは違うのだ。「パーティー券」は、実際に、何らかの「パーティー」が開かれ、飲食もともなうから、それの「対価」と言い逃れることができる。「もうけ」を隠せる。つまり「隠れて資金提供する」ことにつながる。「寄付」は「隠れて」はできない。
 だからこそ、「金の流れ」を隠したいときに「パーティー券」を売るわけである。この問題があるからこそ、いつも「パーティー券」が追及される。今回も、それを追及すべきなのである。
 しかし、読売新聞は見出しに、パーティー券ということばをつかっていない。さらに本文を読んでもパーティー券という表現は、③に二回出てくるだけである。こういう書き方(報道の仕方)を「忖度」という。

 報道をしなくなるというだけが「忖度」ではない。すんでしまった東京五輪関係の不祥事を「特ダネ」として大々的に書くのも「忖度」である。安倍(自民党)と統一教会の関係から目をそらさせるための「忖度」である。
 安倍が民主主義を破壊した。それに目を向けないのは「忖度」である。

 

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朝日新聞の「忖度」

2022-07-23 08:01:14 | 考える日記

https://www.asahi.com/articles/DA3S15364477.html?fbclid=IwAR2dy9U45WS9dYBfp2I9OZMBpDfysyAAucmY1ynOq6Sr7wnvxP8liGaCmNQ

朝日新聞の「社説」(2022年07月22日)。

以下の部分、意味がわかりますか?

*******************************************************************************

選挙活動の組織的支援や政策への介入など、教団と政界の関係は種々取りざたされる。岸信介元首相以来の付き合いといわれる自民をはじめ、各党・各議員は自ら調査し、結果を国民に明らかにする必要がある。

***************************************************************************

各党・各議員は、自ら何を調査する?

「選挙活動の組織的支援」

これは、たとえば今回の参院選で、統一教会から何人がボランティアとして活動したか、ということ? 組織票として何票獲得したか、ということ?

これは、「ボランティア」と主張されたら、拒めないのでは?

組織票は、選挙の秘密(投票の秘密)があるから、やはり答えられない。

だれも答える必要はない。

「政策への介入」

たとえば話題になった「こども家庭庁」の問題? これだって、自民党の誰かが「とてもいい案だと思った」と言えば、すりぬけられる。

逆を調べる必要がある。統一教会からの「働きかけ」ではなく、議員側からの「関与」を調べ、公表する必要がある。

国会議員が(安倍が)、何回統一教会が関係する催しに参加したか、関与したか。いつ、どこで、何回、を調べないといけない。

ビデオメッセージもそうだが、雑誌の表紙になるとか、その具体的な媒体と、回数。

「儀礼的なあいさつ(つきあい)」だとしても、全部、公表する。

あるいは、秘書の「身元」をあかし、統一教会の信者かどうかを確認する。(宗教の自由があるから、これはたぶん調査しきれない。答えたくない、と拒否さればおしまい。)

政策にしても、「介入」があったかどうかではなく、何らかの「知恵」を借りたかどうか、統一教会のつかっている文言を「流用」していないかどうか。(これは、偶然の一致」があるからむずかしいけれどね。)

朝日新聞の社説は、さっと読むと「的を射ている(国民の声を代弁している)」ように見えるけれど、実際はあたりさわりのないことを「表面的」に書いて、その場をとりつくろっているだけ。

まともなことを言っているふりをしているだけ。

統一教会が何をしたかではなく、議員が統一教会に何をしたか、その見返りは?

それを議員に聞き、問い詰めないといけない。

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