龍秀美『とうさんがアルツハイマーになった』(花乱社、2022年06月20日発行)
龍秀美『とうさんがアルツハイマーになった』は詩画集。絵も龍秀美が描いている。タイトルにある通り、父親がアルツハイマーになった。その後の生活を書いている。絵がやわらかくて、一緒に生きることが楽しいものだと教えてくれる。もちろん苦労もするのだろうけれど、生きているのはおもしろいと教えてくれる。
「夫婦」という作品。
腰が痛いという父に
母がサポーターを巻いてやっている
ひざまずいてていねいに巻いている
父はこどものように両手を広げている
母が父を見上げて言った
「アタマの上で口笛吹かんと!」
(注・本文の最後の感嘆符は二つ)
なんでもないが、そのなんでもないところが、詩集の始まりとして楽しい。「アタマの上で口笛吹かんと!」の最後の「と」は博多弁。「吹いてはいけないと(言っただろう)」の「と」が残ったものかどうかわからないが、そこまで論理的ではないかもしれない。
「私のこと好いとうと?」は「私のことを愛しているか」の意味だが「私のことを好きと(言ってくれる/言って)」なのかどうかは、わからない。
おもしろいのは、「ひざまずいてていねいに巻いている」の「ていねい」と「吹かんと(言っただろう)」の対比。一方でやさしく接し、他方で叱る。ちょっと、相反する。しかし、「吹かんと!」は単純に叱っているのではなく、注意しているのだろう。
この詩でいいのは、もうひとつ。
父の描写。「父はこどものように両手を広げている」しか書いていない。しかし、「頭の上で口笛吹かんと!」で父のしていることが、突然わかること。父は両手を広げ、何もすることがないので、口笛を吹いているのだ。その口笛を吹いている「描写」を母親の、実際のことばの中に吸収して表現していること。
これで、詩のことばの動きが、一気に早くなった。
龍にとっては、父は「こどものように」両手を広げている。しかし母親にとっては、父は(夫は)「こどものように」口笛を吹いている。「こどものように」ということばがひきつれてくる描写が違う。母は父を「こどものように」叱っている。「こどもを叱るように」叱っている。だかち、この「叱る」は「注意する」なのだ。
こんなことをくどくど書いているのは、私がアルツハイマーの手前だからか。