詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

草間小鳥子『源流のある町』

2022-09-18 23:16:26 | 詩集

草間小鳥子『源流のある町』(七月堂、2022年10月08日発行)

 草間小鳥子『源流のある町』を読みながら、思う。このひとには書きたいことがたくさんあるんだなあ、と。しかし、その長々とつづく行に、私が読みたいなあ、と思うことは書かれていない。長い詩だなあ、と思うだけなのである。なぜ、こんなに長く書くのだろうか。それは、きっと「意味」をこめたいからだ、と思う。
 でも、私は、何を読んでもそうなのだが、意味には関心が持てない。「意味」になるまえの、わけのわからなさに耐えているのに立ち会うのが好きだ。
 たとえば、詩集のタイトルになっている「源流のある町」。

実生の葱に
ようこそ、と声をかける子ども
姉の子どもは数人いるが
実在するのはこのひとり
勢いよく鉢に水をやる
流されてゆく芽もあるところは
人とおなじだ
「どうして」とだれも言わないだけ
土が水を吸うささめき
水が土を通るさざめき
わたしたちにも川は流れているのに
末端の支流まで水は迸るのに
聞こえないね、なにも
手を合わせても 頬を寄せても
耳をふさぐと川の音がする

 いいなあ、と思う。つづきが読みたいなあ、と思う。でも、「つづきが読みたい」というのは、つづきを読むことは違う。
 この感想が草間に届くかどうかわからないが、私は、そう書いておきたい。「実生」や「実在」という硬いことばが、ここではなんともいえず効果的だ。
 「廃村」のはじまりも私は好きだ。

もうずっと長いこと
しずかな手紙をしたためている
幸せな終息もあるのだと
ちいさく暮らしを畳みながら
起点も終点も曖昧にかさなる通奏低音のなかで
わたしたちの村は
たんなるひとつの小節だった

 長く書くのは、「これではわからない」ということなのだろうが、わからなくてもいなあ、と私は思う。
 この一連目のあとに、

これは夕凪
あれは反射光

 この二行だけを置いてみたら、どうだろうか。

 

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Estoy loco por espana(番外篇190)Obra, Calo Carratalá

2022-09-18 09:32:38 | estoy loco por espana

Obra, Calo Carratalá
Oleo sobre cartón seis piezas de 50 cm x 70 cm cada una . Año 2007


Calo sólo dibuja algunas hierbas.
Sin embargo, a mí me parece que la hierba se extiende por todas partes delante de mí. Veo la hierba cubriendo la tierra y abrumando el espacio.
Mientras que los cuadros de Calo tienen "márgenes", lo que yo veo es una forma de vida densa y salvaje sin "márgenes".
Cuando encuentra un pequeño espacio, el verde se expande en ese espacio. Su poder feroz. El poder del verde que se extiende en el aire, sin tomar la forma de una hoja.
Me sorprende la parte de la hoja que no toma la forma de una hoja concreta, sino que se extiende como un color.
Lo que ahora parece ser la forma de una hoja nace del propio color del verde.
Si duermo en esta habitación, cuando me despierte por la mañana, puede que esté sumergido en una mata de hierba.

Caloは数本の草を描いているにすぎない。
しかし、私には、その草が目の前いっぱいに広がって見える。草が土地を覆い、空間を圧倒しているのが見える。
Caloの絵には「余白」があるのに、私が見るのは「余白」のない濃密な野性の生き方だ。
僅かな空間を見逃さず、自己を拡大していく緑。その激しい力。葉っぱの形にならないまま、緑が空気の中に広がっていく、その力。
具体的な葉の形をとらず、色として広がっている部分に、私は驚く。
いま葉の形に見えるものは、その緑の色そのものから産まれてきたのだ。
この部屋で眠ったら、朝起きたときには、私は草の群生の中に沈んでいるかもしれない。

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