詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

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2024-01-05 21:04:54 | 詩集

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白井知子『ヴォルガ残照』

2024-01-05 21:02:17 | 詩集

 

白井知子『ヴォルガ残照』(思潮社、2023年10月20日発行)

 「白樺の木立 ゴリツィ」のなかで船のガイドのイリーナが白井の質問に答えてこんなことを語る。

ロシアは広い とても
他の土地のことは知らない

 それは白井の質問とは直接は関係がない。関係がないが、質問に答えているうちに、ふと出てきたことばである。しかし、この二行が、私にはいちばん印象に残った。
 「他の土地のことは知らない」は、必ずしも「この土地(自分の土地)のことは知っている」とは限らないだろう。自分の土地のことでも知らないことはあるだろう。しかし、いくらかは知っている。だから「他の土地のことは知らない」は、他の土地のことは「まったく」知らない、ということになるかもしれない。しかし、そういうことは別にして……。
 「知らない」と言い切るところに何か不思議な「強さ」を感じた。それが白井の質問とは関係がないから、言わなくていいことである。だからこそ、その「強さ」が気になった。そして、「知らない」と言えることは、とてもいいことだとも思った。
 この「知らない」を起点にして白井の詩を読むと、不思議なことに気がつく。白井は旅行している。基本的に「知らない土地」だ。そして、そこで「知った」ことを書く。ことばにする。しかし、それはほんとうに「知っている」ことなのか。白井がことばにしている以上のことが「そこ」にはある。「世界」にはある。
 だから。
 「知らないこと」はたくさんある。しかし「知ったこと」もある。「知ったこと」を書くとき、その周辺には「知らないこと」(意識できないこと)がたくさんある。それを承知で、しかし、「知ったこと(知っていること)」を書く。そのとき、「書く」という行為には厳しい決意がある。緊張がある。その緊張が、白井のことばを支えている。
 そして書いていると、いま引用したイリーナのことばのように、白井の知らなかったこと、予想していなかったことが、突然、向き合った人やものの向こう側から姿をあらわすことがある。無意識のうちに知ってしまったもの、と言い換えてもいいかもしれない。それが「世界」を広げていく。

ロシアは広い とても

 この一行も、非常に興味深い。「ロシアはとても広い」ではない。「ロシアは広い とても」は、「ロシアは広い」と言った後で、そう言っただけでは足りないと感じ「とても」を付け加えている。そして、「とても」だけでもまだ足りないと感じるから「他の土地のことは知らない」とさらに付け加えるのだが、このリズムが、とても自然だ。ああ、いいなあ、と感じる。
 何かを言って、それだけでは足りずに、さらに何かを付け足す。そのときの意識の運動。その運動そのもののようにして、白井のことばは動いていることに気づかされる。
 たとえば、この「白樺の木立」は、

秋の並木道
キリロベルゼルスキー修道院
濡れた白樺の樹皮を指でなぞっていく
しんとした生いたち

 と始まるのだが、それだけでは足りない。何かを「付け足さない」といけない。付け足せば付け足すほど、「とても」足りないという気持ちが強くなる。「知ったこと/知っていること」の背後に「知らないこと」がたくさんあらわれてくるのがわかるからだ。自覚するからだ。
 だからこそ、白井は質問をするのだ。そこにいる人とことばをかわすのだ。
 「知らない」人同士が「知っていること」を語り合い、何かを通じ合わせる。しかし、その背後には「とても」たくさんの「知らないこと」がある。それを勝手に「知っていること」で判断し、「知っていること」にしてはいけない。だから「知らない」と言う。ここには、不思議な「正直」がある。
 もし、この「正直」を誰もが生きることができたとしたら、たとえばロシア・ウクライナの戦争は起きなかっただろう。「知らない」のに「知っている」と思い、その「知っている」を基準にして、「知っている」を押しつけるとき、そこから戦争のような暴力が始まる。

 世界は広い、とても。知らないことがたくさんある。その「知らない」を「知ったこと」で判断しない。ただ「知ったこと」を「知ったこと」の範囲で書く。「生いたち」ということばがあるから、こんなことを思うのかもしれないが、何かしら、ここには白井が生まれ変わる「瞬間」のようなものが書かれている。他人に触れて、その他人を通して、「知らない」を「知る」に変えていく。そして、同時に、その向こう側に「とても」多くの知らないがあると自覚する。その自覚のなかへ生まれ変わっていくときの、ことばの厳しい緊張がある。「知らない」ということばに共鳴する白井だからできる運動である。

 

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