詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

金野孝子「米研ぎするずと」

2024-01-11 16:52:44 | 詩(雑誌・同人誌)

金野孝子「米研ぎするずと」(「ミて」165、2023年12月31日発行)

 金野孝子「米研ぎするずと」におもしろいことば(言い回し/表現)が出てくる。

米研ぎ 始めっと
たまぁに 昔ァ来るもんなァ

 「昔が来る」。「ミて」発行者の新井高子も、この表現に注目したらしく、どういう感覚なのか電話で問い合わせところ

昔というのは、それを語ったときに自分の中におのずと入ってくるもので、他のお年寄りたちもこの言い方をしたのだという。

 私は、こういう感覚が大好きなのだが、この表現に出会った瞬間、フアン・ルルフォの「ペドロ・パラモ」の一節を思い出した。レテリア神父が、生まれたばかりのミゲルを父親のペドロのつれて言ったときのこと(昔)を思い出している。こういう文章が出てくる。

Tenía muy presente el día que se lo había llevado, apenas nacido.

 杉山晃・増田義郎の訳(岩波文庫)では、こうなっている。

 まだうまれたばかりのミゲルをペドロ・パラモのところへ連れて行った日が、ついこのあいだのことのように思い出された。

 「ついこのあいだのことのように」というのは「Tenía muy presente」にあたる。Tenía は「持っていた」(持ち続けていた)muy は「とても(強調)」presenteは「現在」である。直訳すれば、その日のことを「まるで現在のように(意識の中で)持ち続けていた」ということになろうか。これでは日本語としてなじまないので「ついこのあいだのことのように」と「現在」をと表現されているものを「過去」として言いなおしているのだが、何か、似ていないだろうか。
 「昔」が「いま」として自分の中に入ってくる。「昔」が「いま」のまま、ずーっと自分のなかに存在し続けている。
 違うけれど似ている。その感覚が交錯する瞬間。

 すべての文学(詩)は、ある国語で書かれるのだが、それは「ある国語」というよりも、ひとりひとりの「ことば」。「ひとり語」。たとえば、金野語、あるいは新井語、フアン・ルルフォ語。それを理解するには、自分のことばを捨て、「ことば」がどんなふうに動いているかを直につかみとるしかない。そのとき、何かしら「人間に共通する動き」が見えてくる。
 「昔が自分の中に入ってくる」「昔が昔にならず、いまのまま、自分の中に存在し続ける」。金野語にもルルフォ語にも「自分の中」ということばはないのだが、そして「入ってくる」と「存在し続ける(持ち続ける)」というのは違う動詞なのだが、人間の「肉体/意識」を媒介にすると、その瞬間に同じことが起きているのがわかる。
 私は簡単に「同じこと」と書いたが、これが「同じ」であることを「証明する/論理的に言いなおす」のは、とても面倒だ。こういうことは、「証明する/論理的に言いなおす」よりも、ぱっとつかみ取るに限る。「直観」には、そういうことができる。
 文学(詩)は、こういう直観を共有するための「装置」だろうなあ。

 これは詩の感想というものではないかもしれないが、私がきょう考えたこと。そういう意味では、ある種の「感想」であると思う。

 

 


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池田佳隆と政治資金(読売新聞から見えてくること2)

2024-01-11 12:30:28 | 読売新聞を読む

 自民党安倍派の裏金問題で、なぜ池田佳隆が逮捕されたのか。だれが「情報を提供したのか」ということをめぐって、私は背後に統一教会の存在があるのではないか、と8日に書いたが、2024年1月11日の読売新聞は、とてもおもしろい記事を書いている。

 自民党派閥「清和政策研究会」(安倍派)の政治資金パーティーで、池田佳隆衆院議員(57)(比例東海、自民を除名)を支援するパチンコ関連などの5社が2019~21年、パーティー券を計860万円分購入していたことがわかった。パーティー1回当たりの購入額は各社ともに法定上限(150万円)内だが、5社の代表は同一人物で、合計額は各年ともに上回っていた。識者は「法規制の趣旨に反する」と批判している。

 池田の裏金(キックバックされた金)の総額は「4800万円」とされている。今回の記事は、その総額の2割弱が同一人物(5社)から提供されていると書いている。で、その5社というのが「パチンコ関連」というのだが。
 私は、この「パチンコ関連」にとても驚いた。
 私はパチンコをしないのでよくわからないが、パチンコというのはいわゆる「小銭のジャンブル」であって、それが政治家に献金しないことには「恩恵」が受けられないような企業なのか、いったい政治家に働きかけてどんな「恩恵」があるのか、という疑問である。
 そして、このパチンコ(小銭ギャンブル)と「統一教会商法」はなんとなく似ているなあ、と感じてしまったのだ。パチンコ業界が成り立っているのは、小銭ギャンブルをするひとが、とてもたくさんいるということである。統一教会商法が成り立ったのも、詐欺にあって人がとても多いということ。そして、その「被害」は一気に1億円になったのではなく、少しずつ(といってもパチンコよりは高額)が積み重なって巨額になった。一種の「中毒」といえばいいのか、「依存症」のようなものが被害を大きくしている。何よりも「被害者(依存症の人)」の数が多い。統一教会問題では、被害者の総数、被害総額が把握しきれないという問題が起きたが、パチンコ依存症で苦しむ人(家族)の数も、きっと把握しきれないだろう。「小さな被害」は「存在しないもの」とみなされてしまう。
 「実態が把握できない」。これが似ている。
 実態が把握できない、という点では、今回のキックバック問題も同じ。池田に限って言っても、やっと860万円のパーティー券がわかっただけである。
 もうひとつ。
 統一教会の詐欺が問題になったとき、集められた金の「行方」が問題になった。韓国の組織に送金されているというニュースがあったと思う。パチンコ店の「収入」をめぐっては、たしか利益の一部が韓国だか北朝鮮だかに送金されているということが問題になったことがあると記憶している。統一教会と韓国、パチンコ店と韓国というつながりはないか。つまり、どこかで統一教会と韓国(あるいは北朝鮮)とのつながりはないか、ということも、ふいに気になったのである。
 これは池田のパーティー券を買った5社の「代表者」について調査すればわかることかもしれない。
 5社の代表者の行為は「脱法的な行為」と読売新聞は岩井奉信・日大名誉教授にいわせているが、池田のように厳しく罰せられることはないだろう。言いなおすと、いわば「肉を切って骨を切る」というような感じで、統一教会側からの「情報提供」があり、今回の事件が明るみに出てきたのではないか、と私はまたまた勘繰ってしまったのである。
 だってさあ。
 いろいろなパーティー券購入先があるはずなのに、読売新聞は、なぜ5社の分だけ克明に把握できたのか。記事に「わかった」ということばはあるが、どうやってわかったのか、それが書いてない。「読売新聞社の調べでわかった(政治資金収支報告書を読売新聞が入手し、分析した結果わかった)」とも、「調査期間関係者への取材からわかった」とも書いていない。「情報源」がまったくわからない。
 最後に、申し訳のように、

読売新聞は、5社側に書面などで取材を申し込んだが、10日までに回答はなかった。

 と付け加えているが、5社は、そんな質問に答えなくたって問題ないと判断しただけだ。だって、問われているのはパーティー券を買ったこと(資金提供をしたこと)ではなく、キックバックがあったことなのだから。
 そして、意地悪い見方をすれば。
 この、読売新聞の最後の「言い訳」は、裏金問題を自民党(議員)の問題ではなく、パーティー券を買った方に向けさせるという「自民党方針(池田方針)」に沿ったものかもしれないなあ。これからきっと、パーティー券を買った方にも脱法行為があった、悪いのは自民党だけではないというニュースが増えてくるぞ。

 邪推派の人間にとって、新聞ほどおもしろい「情報源」はない。「ことば」ほどおもしろいものはない。ことばは、何かを表すとと同時に、かならず何かを隠すものである。

 

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