詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ウッディ・アレン監督「サン・セバスチャンへ、ようこそ」

2024-01-21 00:15:19 | 映画

ウッディ・アレン監督「サン・セバスチャンへ、ようこそ」(★★★★)(2024年01月20日、KBCシネマ1)

監督 ウッディ・アレン 出演 ヨーロッパ映画、ウォーレス・ショーン、ジーナ・ガーション

 「インテリア」を見たとき、ああ、ウッディ・アレンがベルイマンのまねをしている、と思ったけれど。ああ、ほんとうにベルイマンが好きなんだねえ。「野いちご」まで出てきた。「第七の封印」「鏡の中の女(だと思う、私ははっきり覚えていない)」も。ほかにも、フェリーニも、トリュフォーも、ゴダールも。いいなあ、昔の映画は。
 やっぱり「主演」は、ヨーロッパ映画だね。あ、「市民ケーン(オーソン・ウェールズ)」はアメリカか。例外だね。
 しかし、まあ、笑いっぱなしだったなあ。他の観客は、ひとり、一回笑った人がいたけれど、みんな「沈黙」。どうして? おかしくないの? この映画、みんなで大声で笑いながら見ると、もっとおもしろくなるよ。
 予告編にもあった「監督と寝たのか」「一回、いや二回、エレベーターを含めると三回、海岸を含めると四回」という会話なんか、そうか、エレベーターの中や海岸はたしかにベッドの中とは違うねえ。英語は聞き忘れたが「寝たのか」と訪ねたとき、ウォーレス・ショーンはどんな動詞をつかったのか。それが問題だね。ベッドでなら二回、でもベッド以外でも……。そんなことを「区別」しなくてもいいんだろうけれど、わざわざ区別して回数を説明するところなんか、ウッディ・アレンの脚本以外ではありえないだろうなあ。笑いが止まらなくなる。
 私がいちばん好きなのは、ウォーレス・ショーン、ジーナ・ガーション、ルイ・ガレルのレストランでの会話シーン。ジーナ・ガーション、ルイ・ガレルがウォーレス・ショーンそっちのけで会話する。テーマ(?)はウォーレス・ショーンが提供するのだが、ふたりはそのテーマを引き取りながらウォーレス・ショーンを無視して、ほとんどいちゃいちゃ状態で会話する。
 しかし、なんだね、ウッディ・アレンは、最近は、やわらかな橙色の光が大好きみたいだなあ。適度な湿度のある夕暮れの光という感じかなあ。「マッチ・ポイント」、あるいは「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」のころからかなあ、若い女の肌がとても美しく見える。それがねえ、今度はなんと、最初のウォーレス・ショーンのインタビューのシーンでも登場する。ウォーレス・ショーンは、この映画では、まあウッディ・アレンを演じているんだろうけれど、そうか、ウッディ・アレンは自分自身をあの光のなかで撮ってみたかったのかあ、と思ったら、それだけで笑えてしまう。実際、その瞬間から、私は笑いだしたのだけれど。
 ついでに言えば、私はジーナ・ガーションの顔が好きじゃない。唇のゆがんだところが。もしかすると、ウォーレス・ショーン(ほんとうはウッディ・アレン)がいい男、と思い出させるためにジーナ・ガーションをつかったのかも。ウォーレス・ショーンに比べると、同じチビとはいってもウッディ・アレンがかっこいいかもしれない。どうでもいいけれど。いや、どうでもよくないかも。きっと。
 それにしても。ちらっと見えるサンセバスチャンの街は美しい。私は、行ったことはないが、スペイン北部特有の緑があふれている。エドゥアルド・チリーダの彫刻も見に行きたい。なんでもそうだけれど、写真で見るのと、実際にその作品を見るのでは印象がまったく違う。サンセバスチャンではなく、ヒホンにある彫刻は、地元のひとが「キングコングのおしっこ」という別名で呼んでいる。彫刻の真ん中に立つと、チョロチョロという感じで水の音(風の音?)が聞こえる。サンセバスチャンにある作品も、近くで見ると何かが起きるのだろうか。

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