杉惠美子「ハプニング」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年01月14日)
受講生の作品を中心に。
ハプニング 杉惠美子
接触事故で電車が止まった
復旧の目途は立っていませんと
アナウンス
駅のホームには既に並ぶ人々
こんな待ち時間は何と説明するのだろう
おみやげにもらった饅頭を
食べたいけれどそういう訳にもいかない
別に焦る気持ちもないけれど
黙って待つより他はない
少しずつ夕暮れ時の空に包まれ
寒気がしてきた
ビルの明かりがより明るくなり
時間を取られたのかもらったのかと考えた
昔、 たまたま帰りの電車で
父と一緒になった時の、父の横顔を
思い出した
「三連目、時間を取られたのかもらったのかと考えた、がおもしろい。二連目の、実際に起きた出来事に、作者の気持ちが重なっていく部分が、とても自然に読むことができる」「日常的な時間の流れ、待つという行為を通じて、別の時間が現われる。それが三、四連目につながる。ビルの明かりがより明るくなり/時間を取られたのかもらったのかと考えた、から時間がゆっくり流れ、過去へ入っていく。その変化が詩的」「胸に迫ってくる。ハプニングから、少しずつ変化し、三連目の、寒気がしてきた、で冬の時間であることが自然にわかる。父に会ったことも、一つのハプニングだとわかる」
とても自然な感じ、ある意味ではエッセイのように淡々とことばが動いていくのだが、最後の連がとても印象に残る。「昔」と書いてあるのだが、まるで、いま、実際に父に会っているような感じでもある。「昔」が何年前なのか、作者にはわかるが、読者にはわからない。それが、特にいい。どんな「昔」でも、思い出した瞬間、その「昔(時間)」は作者のすぐそばに存在している。
「ビルの明かりがより明るくなり」という一行が、そういう「感覚の動き」ととてもよく似合っている。ある意味では、その一行は四連目を先取りしている。遠い昔が、突然、鮮明に輝き出したのである。昔なのに、いまであるかのように、すぐそばにきている。
時間をテーマにした詩はむずかしくなりそうだが、二連目の「饅頭を/食べたいけれどそういう訳にもいかない」というユーモアが、全体をやわらかくしている。
*
まるちゃんの窓 緒加たよこ
撫でてもらったの
おなか
指3本分の
ねむりながら
まるちゃんを撫でたつもりだった
その手は
おなかを撫でてくれた
まるちゃんの気持ちになった
うっとりするね
撫でてって いうね
まるちゃんは きょとんとしてたけど
まるちゃんになったよ
夜 あったかかった
朝も あったかかった
障子を引いたら
まるちゃんの窓が開いてた
昨日 まるちゃんがアツイっていったから
開けてた 指3本分
寒くなかったよ
昨日 まるちゃんは帰ったけど
まるちゃんの 窓をみつけて
笑ったの
「まるちゃんを猫だと思って読んだ。書き出しの、指3本分が体温の温かさを感じさせる。私ということばは書かれていないのだが、私とまるちゃんが一体になってる。指3本分は後半の部分で窓と交錯する。意味はつかみにくいが、あいまいにぼかされていることでより一体感が出てくる。書き方がやさしく、ぬくもりのある詩」「最近の緒加さんの詩は輪郭がつかみやすくなった。いいなあ、と思う。ことばにスタッカートが効いているが、同時に展開にやわらかさ、まるさがある」「猫は飼ったことはないが、犬にはない猫のよさが伝わってくる。一体感がよく書けていて、猫と人とのつながりがあり、気持ちがいい」
作者によれば「まるちゃん」はマルチーズということなのだが、私も猫を想像した。二年目の「その手は/おなかを撫でてくれた/まるちゃんの気持ちになった」の非文法的な(?)ことばの展開がユニークでおもしろい。やわらかいというよりも、不定形な猫の肉体を想像させる。「まるちゃんの気持ちになった」から「まるちゃんになったよ」への変化、「気持ち」の省略がとてもおもしろい。「気持ち」というものも「時間」と同じように、どんなに遠く離れていても、すぐそばにある(一体になっている)と感じさせるものがある。
*
ダンス 青柳俊哉
水中でそばだてる耳
星が響く うえに世界がある
空中の葉が鳴る
一枚が離れ いく枚かがあとを追う
雨が乱れる
水面にふれるかすかな葉音
風のもように斜めにくずれて頭上の水が移動する
耳かしぐ
耳元へ
風が葉と雨と星の声を連れてぐるりに流れをひき起こす
空の呼吸のような渦の中へ
耳はばたく
「風が葉と雨と星の声を連れてぐるりに流れをひき起こす、という一行、一気に言ってしまっているのが珍しく、とても印象的。自由な感じがし、解放されたように感じる」「絵を想像する。いつもはその絵の全体を想像するのとむずかしいのだが、今回の詩は絵が浮かんでくる」「動きがことこまかに書かれている。タイトルがいなあ」
今回の詩は、つかわれていることばが少ない。水と耳、水の中と水の外(世界/宇宙)をつないでいる風と葉。その動きが重なり合う。そして、受講生が指摘した「風が葉と雨と星の声を連れてぐるりに流れをひき起こす」という一行に凝縮しながら、その凝縮が、ビッグバンのような爆発をもたらす。名詞ではなく、動詞が動いて、その動きの中に名詞を誘い込んでいるような緊密感がある。
*
年を越える 石垣りん
そして さしかかる
峠
私たちは登りつめる。
一年の終わりの何日かを
どうしても
どうしてか
越えなければならなかった。
だれと約束したのでもない
そのことじたい目的があるわけでもない。
そういう旅を人は強いられていて
急ぐ。
なぜか この道はさびしい。
多勢の足音がきこえているのに
みんなひとりの峠を越えていく。
「峠にはいろいろな意味が込められていると思う。それに共感する」「年を越す、なぜさびしいのかなあ。毎年、こんなふうに思っているわけではないだろう。深く思ったことがあったのかなあ」「年越し、一生のおわりの何回か。人と時間について考えさせられる。そのことじたい目的があるわけでもない、ということばは、ひとりひとりの誰にでもあてはまるのではないか」「何かを自分で越える。最後の三行、とくにひとりということばに覚悟を感じる」
この詩の書き出しの「そして」はとてもおもしろい。「そして」という表現が成り立つとき、そこには詩人と読者の「共通認識」がないといけない。いままで、こういうことを話してきた。その話のつづきとして、これから話します(語ります)。これから書くことは「つづき」です、というニュアンスがある。
もちろん読者は「そして」の前に何があったか知らない。そのため、突然「そして」といわれると緊張する。この詩は、読者を緊張させる、あるいは読者の関心を引きつける工夫をしていることになる。この緊張感が「さしかかる」という動詞の意味を強める。「峠」は、それがどういう峠であれ、人を緊張させる。何らかの変化が「峠」を中心にして始まることを暗示する。
しかし、おもしろいことにこの詩のタイトルは「峠を越える」ではなく「年を越える」である。「峠を越える」ともちろん比喩としても成り立つが、実際に「峠を越える」という具体的な動きを表わすこともある。「年を越える」は、それに比べると抽象的である。だからこそ「峠」という比喩で、動詞の方に読者の意識を誘っているのだともいえる。
「そして さしかかる」という行の中の「し」の繰り返し。その「し」の音が随所に響いているのも、この詩に緊張感を与えている。
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