詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

2020年08月06日(木曜日)

2020-08-06 14:14:44 | 考える日記
 「常識がない(知識がない)」という批判は、意味がない。だれもが自分を基準にして世界をみているだけだからである。
 考えるか、考えないかが問題である。
 正しいか、間違っているかも問題ではない。
 考えなくても「正しい」ことを言うことができる。借りてくればいい。でも、それはそのひとが考えたことではない。

 借りてきたことばを話しているひとと対話するとき、いったい、私はだれと話しているのだろうか。目の前のひとが。それとも、その背後にいる「正しいことば」を語る別のひとだろうか。
 どんなに「正しい」ことでも、伝達の途中で変わってしまうことがある。「間違い」になってしまうことがある。もしかすると、そういう「間違い」を語る人の方が、考えているかもしれない。考えたから、他人のことばをそのままそっくり語ることができないのだ。自分の考えがまぎれこむから「間違い」が生まれる。「正しい」と違ったものになってしまう。

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