香山末子『エプロンの歌』(皓星社)
この詩集についてはすでに書いた。(http://www.asahi-net.or.jp/~kk3s-yc/yachi/dokunikki/020801dokunikki.html)詩のことばにはいろいろな意味が隠されている。感情が隠されている。前回は「最高」に焦点をあてて書いた。今回は別のことばに焦点をあてる。隠された意味を探る。
初めて東京から来てくれたお客さん
暫く話をしていたが
「香山さん、失礼な事聞いていいですか」
失礼な事聞いていいかと言われた時
私は男のことばしか言えず
俺が俺がと使っていることか
それとも、頭を刈り上げていることか
てっきりその話だろうと
そう思い込んでしまった
「見えないのにどうしてカラーテレビが入っているの」
私の思っていた話と違って
チョッピリきまりが悪かった
「白黒の小さなテレビでいいんでしょ」
盲人の耳は
耳と目の両方を兼ねている
カラーテレビは白黒テレビより
遥かに音がいい
離れたり、くっついたりの若い男女
熱がいっぱい燃え上がるドラマ
始まる時、終わる時の音楽は
きれいで柔らかく、いい音
出て来るドラマの若い衆に
年も忘れ、盲人ということも忘れ
頭の中、胸の中で
昔を振り返って
最高にいいぞ
来たお客さんは
「へんな事聞いて馬鹿みたい、おれ本当馬鹿みたい」
そんなふうに言って帰っていった
この詩のキーワードは何か。そのことばがなければ詩が成り立たないことばは何か。一行目にいきなり登場する「お客さん」である。「友達」でもなければ「知人」でもない。もちろん固有名詞でもない。これは作者にとって重要な人、ありがたい人ではないことを暗示している。「招かれざる客」ということばがあるが、その「客」である。「来てくれた」と書いているが、作者が何度も招き、やってきた「客」という感じではない。それまでに深い交流があった「知人」ではない。本当に「初めて」会った「客」なのだろう。
作者はハンセン病の元患者さんだ。療養所に生活している。普通の人はめったに訪問しない。その療養所へ人がやってきた。断るわけにもいかない。療養所から外出し、普通の人を訪問するのは難しい。療養所で普通の人を待ち受けるというのが、作者の交流の方法なのだろう。むべに断れば、他の入所者への訪問も減るかもしれない。そういう配慮が働くのはあり得ることだろう。
この「お客さん」はハンセン病の元患者さんの生活について何も知らない。療養所の生活について何も知らない。療養所にどんなテレビがあるかを事前に知っていたわけではない。つまり元患者さんたちがどんなテレビを見ているか、事前に知っていたわけではない。そういった普通の人である。普通の人(ハンセン病の元患者さんと深い交流がある人でもなければ、ハンセン病について深い知識があるわけでもない)だから、失礼な質問をしてしまう。「白黒の小さなテレビでいいんでしょ」と聞く。目が見えなければ「白黒」のテレビ、しかも「小さな」テレビで十分だと、「客」はかってに判断している。作者がテレビをどんな思いでつけているか、知りもしないで「白黒の小さなテレビでいいんでしょ」と自分の認識を押しつけてくる。(「招かれざる客」とは、自分の価値観を押しつけてくる「客」のことである。)
作者は、この「客」の失礼さを叱りはしない。何も知らない相手を叱っても意味はない。怒りを爆発させても意味はない。丁寧に、カラーテレビをつけている理由を説明する。この説明は美しい。そのことばにこころが震える。(これは前回書いたので省略する。)
しかし、怒りのことばがないから「客」の非礼さを受け入れたわけではない。許容したわけではない。本当にただ黙って許容するなら詩を書きはしない。詩に書いたということは、作者の許容が単なる許容ではなく、もっと別の意味があるということを「客」に、あるいは読者に知らせるためである。知ってもらいたいのは、書かれたことば、書かれた感情だけではない。ことばにひっそりと託した思いである。
「客」はハンセン病について何も知らない。療養所の生活について、療養所の中で元患者さんたちがどんなに切ない気持ちで生きているかを知らない。健康だったときの思い出、懐かしいふるさとの記憶、そこで手にしたであろう幸福を夢見て生きているという実態を知らない。懐かしい夢、思い描いていた理想の生活--そうしたものを身近に感じられるなら何でもしたい(見えないカラーテレビにさえすがりたい)、という気持ちをまったく知らない。
作者が「最高」というとき、実は、「怒り」が渦巻いている。何も知らない「客」に対する怒りに腹を煮えたぎらせながら、それを抑え、「客」に向き合って、丁寧なことばを語っている。
作者は振幅の大きな感情を生きている。その振幅の大きさが「最高」ということばを深いところで支えている。「客」の目の前では見せなかった思い、それがすべて「お客さん」ということばに込められている。--そうしたことを明確に把握しない限り、この作品の美しさを把握したことにはならないだろう。
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ハンセン病について少し触れておきたい。上記の作品に登場する「お客さん」とあるサイトで語り合う機会があった。そのとき耳を疑う発言を聞いた。「らい予防法」の問題点は何か、という話題になったとき、「お客さん」は「入所規定があっても退所規定がないことだ」というのが「お客さん」の意見である。これは、まるで元患者さんたちを療養所に隔離した責任を問われたときの療養所所長の発言ではないか。
元患者さん「病気が治ったのですから療養所を出たいのですが」
療養所所長「希望どおり退所させてあげたいのですが、退所規定がないので退所させてあげることができません。私が悪いのではなく、法律が悪いのです」
治療薬が発明され、病状が完治するようになったとき、たぶん、そういうやりとりがいくつもの療養所で繰り返されたであろう。「私が悪いのではない。法律が悪いのです。私は法律に従っているだけなのです」という弁明が繰り返されたのではないだろうか。
法律は現実のなかで実効性をもってこそ意味を持つ。現実とどんな関係にあるかを見ていかなければならない。元患者さんたちはなぜ療養所に隔離されたのか。「らい予防法」の第6条は県知事らが患者さんを療養所に「入所させることができる」と規定している。この「できる」を「可能性」ではなく「権限」として「らい予防法」は運用されたのではないのか。隔離政策がとられたのではないのか。第6条第4項には「医師が当該患者を診察した結果、その者がらいを伝染させるおそれがあると診断した場合でなければ、行うことができない」という規定もあるが、ハンセン病が感染力が弱く、完治する病気であるとわかっても、この4項は活用されることがなく、隔離政策は維持された。そのときの「方便」として、何人かの療養所長が「退所規定がないので退所はできない」と主張しただろうことは容易に想像できる。
また、現実と法律とのかかわりを本当に問題にするなら、「退所規定がないなら、いつ退所しても自由だ」という主張も可能なはずである。法律の多くは「……してはいけない」という禁止項目から成り立っている。「らい予防法」が「退所すれば、これこれの罰則がある」と規定がないなら、法律は退所を制限できないはずである。(らい予防法の第15条は「外出の制限」を厳しく規定しているが、退所を規制する条項はない。)そうした反論もなく、「退所規定がないから退所できない」という論理がまかりとおったのは、普通なら当然主張されるであろう主張(退所規定がないのだから退所は自由)さえ、療養所では封じ込められたということかもしれない。
現実とことばの関係をもっと見つめなおす必要がある。ある発言は、現実の何を写し取っているか、何を排除しているかを厳しく見つめる必要がある。
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この「お客さん」の説によると江戸時代はらい(ハンセン病)に対する差別はなかったそうである。差別は「らい予防法」によって政策として作り出されたもの、というのが「お客さん」の考えらしい。
江戸時代に差別がなかったという根拠に、「お客さん」は関東のある村には患者さんが集まって暮らしていて、患者さんは近隣の村に買い物などに出かけていた。普通の人と交流していた、という「現実」をあげる。
「現実」は視点によって違って見える。「お客さん」の取り上げている現実は、私にはまったく違った事実に見える。ある村に患者さんが集団で暮らすのは、差別がないからではない。差別があったからだ。自分自身の生まれ育った故郷で暮らしてはいけない。だから特定の場所に集まって暮らすのだ。そういう場所があるということが差別が存在した証拠である。
差別がないとは、人が自由に自分の生活の場所を選べるということである。患者さんが生まれ育った場所で家族と一緒に暮らす。友達と一緒にくらす。そんなふうに生活できることが差別がないということだ。
差別は法律によって生まれるのではない。法律で「隔離政策」がとられていなくても、周りの人の暗黙の圧力で「隔離」されてしまう生活がある。そういうものも差別である。差別の長い歴史があったからこそ、「らい予防法」は成立し、間違った政策がとられつづけたのである。
「お客さん」には、こうした歴史が見えないらしい。
同様に、「お客さん」には、香山末子さんが「最高」ということばを語るまでの、彼女の歴史が見えないのだろう。「お客さん」ということばに込められた怒りが見えないのだろう。