京郷新聞の書評で「植民地近代のパラドクス」という題名を持つ本が
取り上げられていた。
書評を読む限り、現代韓国人の精神性の一断面を鋭く穿つ、
なかなか骨太の評論のようだ。
次回の訪韓時にでも是非、購入したいと思う。
まずは、書評記事の翻訳練習に取り組んでみた。なお、一度の
投稿で済ませるため、韓国語本文の引用は省いている。
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■ [本と生活]
国家は独立しても思考は依然、植民地状態
(京郷新聞 11月9日)
▲식민지 근대의 패러독스…윤해동/휴머니스트
「植民地近代のパラドクス」...ユン・ヘドン/ヒューマニスト出版
この本は著者の母親と大学時代の恩師についての話から始まる。
1927年生まれの母親は日本統治時代に高等普通女学校を
卒業しており、今でも日本語を母国語のように駆使し、日本式の
生活様式に深く馴染んでいる。母親は彼が幼い頃から日本統治
時代の思い出話をよく聞かせてくれた。
日本人の植民地統治や教育方法が韓国人にとっていかに
悪辣で差別的なものであったかを繰り返し説明しながらも、一方で
大部分の日本人はとても正直で勤勉だったし、誠実に暮らしていた
という話を必ず付け加える母親の話は、彼を深く混乱させるもの
だった。
彼の混乱は、大学に進みさらに深まった。教授たちが語る分裂的
植民地観に再び大きな衝撃を受けることになったのである。学会の
重鎮でもあったある教授は、公的な場では非常に反日的な態度を
取り、学生には日本の書籍を読ませないようにしていたにも
かかわらず、私的な場では、自分の学問的業績や権威を産み
育ててくれた源泉が他ならぬ日本であることを語っていた。こうした
姿に接しながら彼の心は一層混乱するしかなかった。本の中で
著者は、「母の態度が無意識的な二律背反であったとすれば、
公的な地位にあったインテリ層の態度は、明らかに意識的で
偽善的なものであった。それを『植民地分裂症』と呼ぶことも
できる」と手厳しく指摘する。
植民地時代の理解をめぐり、学会ではいつの頃からか「収奪と
抵抗」に要約される収奪論と「支配と開発」に要約される植民地
近代化論が、お互いに交わることのない平行線上を走っていた。
植民地時代の歴史を専攻した著者は、こうした二分法の枠の
中では植民地時代に対する正確な理解は難しいのではないかと
考えた。
彼は二分法的な「並行線」を縦横に超えようと、既存の学会の
関心軸とは別の方向に進んだ。植民地国家から「社会」へ、民族
から「公共性」へと視線を転じることで当時の朝鮮人の実際の姿に
より接近することができると考えたのだ。彼は「抵抗民族主義」の
上に築かれた「国史」という「記憶の民族総動員」から解放された
視点で植民地時代を覗くことで、今まで見えなかった多くのものが
見えてくると言う。
結局、植民地時代をめぐる第3の理解は「植民地近代」という概念を
生み出した。名称は「植民地近代化論」と似ているが、視点は
大きく異なっている。「植民地近代」は植民地時代を理解する過程で
得られた近代批判論でもあるためだ。この概念は「植民地は近代
世界の最も典型的な現象だ」とする命題に凝縮される。
著者は、帝国と植民地は相互に作用する一つの「一貫した世界」を
構築したのであり、植民地支配から政治的に解放され独立国家を
樹立したり親日派を清算したからと言って、植民地支配の呪縛から
完全に解放されるものではないと指摘する。
この本を読めば、韓国人もまた、身の程知らずな過剰な自信から
簡単に「ミニ帝国主義者」になってしまう危険性があり、その中で
形成される韓国の内なる植民地を警戒する必要があることが、
よく理解できる。
定価1万8000ウォン。
(終わり)
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