福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

4代連続世襲議員

2008年09月23日 |   〇日本を読む

自民党の麻生新総裁が首相に指名されれば、4代続けて世襲
議員が日本の総理大臣の座に就くことになるのだと言う。

近々、仮に政権交代が実現したとしても、世襲議員が幅を
利かせている点では自民党も民主党も極端な差はない。

「ヲタク」は日本の発展を望む日本人の一人として、こうした
事態を憂わざるを得ない。

何も世襲議員自体が問題だとは言わない。

問題は、日本の国会が国民生活から完全に遊離した特殊な閉鎖
空間と化しており、ごく一部の世襲政治家以外の人材が参入し
能力を発揮することが困難な「システム」になっていることだろう。

どんな集団や組織であれ、閉鎖された空間に発展など望めない・・・。



△「また評論家気どりか・・・
少なくともオレは世襲打者ではないッ!
(写真とは無関係)

・・・・・・・・・・・・・・・

■日 총리 4대 연속 세습 정치인 기록
日本、4代続けて世襲議員が首相に
(連合ニュース 9月23日)

아소 다로(麻生太) 일본 자민당 총재가 24일 임시국회에서
총리로 지명되면 일본에서 4대 연속 세습 정치인이 총리에
오르는 기록을 세우게 된다.
自民党の麻生太郎総裁が24日の臨時国会で首相に指名
されれば、4代続けて世襲議員が首相の座に就くという
新しい記録が生まれる。

자민당 소속 의원 가운데 부모나 조부모가 국회의원을
역임한 바 있는 세습 정치인이 전체의 30% 가량에 달한다.

自民党所属議員では、両親や祖父母の地盤を受け継いだ
世襲議員が3割を超える。

아소 차기 총리는 외조부가 요시다 시게루(吉田茂) 전
총리이며 아베 신조(安倍晋三) 전 총리의 외조부는 기시
노부스케(岸信介) 전 총리다.
麻生次期首相は外祖父が吉田茂元首相であり、安倍晋三
前首相の外祖父は岸信介元首相だ。

후쿠다 야스오(福田康夫) 현 총리는 고인이 된 후쿠다
다케오(福田赳夫) 전 총리의 장남이다. 고이즈미 준이치로
(小泉純一) 전 총리의 경우도 조부와 부친이 모두
각료를 역임했다.
福田康夫現首相は故人となった福田赳夫元首相の長男だ。
小泉純一郎元首相も、祖父と父親がともに大臣を経験した
国会議員だった。

고이즈미, 아베 전 총리와 후쿠다 총리, 아소 차기 총리
모두가 총리나 각료를 역임한 가문 출신인 세습정치인인
것이다. 특히 아베 전 총리에 이은 3대 총리는 모두
총리 집안 출신이다.
小泉、安倍の両元首相と現福田首相、そして麻生次期首相の
4人ともが首相や大臣経験者を近親に持つ家系出身の世襲議員だ。
特に安倍元首相から数えると3代続けて首相経験者を近親に
持つ家系の出身者が首相となる。

제1야당인 민주당의 간 나오토(菅直人) 대표대행은 지난
22일 TV 프로그램에 출연한 자리에서 "자민당은 총리의
손자가 아니면 총리가 될 수 없는 정당이냐"고 비꼬았다.
野党第1党である民主党の菅直人代表代行は22日のテレビ
番組の中で、「自民党は首相の孫でなければ首相になれない
政党なのか」と皮肉った。

(終わり)


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現代車と三菱

2008年09月23日 |   〇政治・経済

日本の三菱自動車が、10月から三菱ブランドの車を韓国で
販売することになった。

過去、韓国の自動車産業の発展に大きく寄与した三菱自動車の
韓国進出であるだけに、韓国メディアでも少なからず関心を
集めていた。


△三菱ランサーエボリューション(ゴーニュース)

「ヲタク」が目を通した関連報道だけに限っても、その論調は
好意的なものから極端な酷評までと、実に幅広かった。

ここではその中間的な(?)東亜日報の記事を翻訳練習してみる。

なお、例によって紙面の都合で韓国語原文の引用は省いた。

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■현대차와 미쓰비시…
現代自動車と三菱・・・
(東亜日報 9月23日)

・현대차와 미쓰비시 ‘고운정 - 미운정’
・現代自動車と三菱、愛憎相半ばする関係とは

過去の一時期、現代自動車に技術を供与し「師匠」の役割を
担った日本の三菱自動車
が22日、韓国市場に進出した。

両者が公式に技術提携を発表したのは1981年11月のことだが、
実質的な協力関係は韓国初の国産大衆車「ポニー」が開発された
1970年代初めにまでさかのぼる。

フォードの技術協力で1967年に会社を設立した現代自動車は、
フォードの「コニータ」や「マークV」、「グラナダ」などの製造図面と
部品を持ち込み乗用車を生産した。ところが、小型車の開発をめぐり
フォードとの協力関係にきしみが生じ、現代自動車は独自モデルの
開発に取り組むことになった。しかし、適当な技術提携相手を
見つけることができなかった。

幸運にも最後に話を持ちかけた三菱が小型車開発に手を貸すことを
約束してくれ、車体やエンジン、ギアの生産技術を提供してくれた
のだ。その結果、1976年1月にポニーを発売することができた。
三菱の助けがなかったらポニーも生まれていなかったかもしれない

三菱の技術供与は当時の久保富夫社長が大の韓国びいきだった
おかげで実現したとの説もある。彼は「私は百済人の末裔だ」と
語り、初めて現代の蔚山工場を訪問した際には、百済の古都、
扶余を旅行させてくれるよう頼んだと言う。

その後、両社は本格的な協力関係を結んだ。最初は現代自動車が
三菱自動車から技術を供与される立場だったが、対等な協力関係を
経て、後には優越的な協力関係にまで発展
して行くことになった。

1986年に発売された現代「グレンジャー」は三菱「デボネア」で
あったし、「エラントラ」や「ソナタ」などに搭載されたエンジンは
三菱のものであった。また、現代モービスの前身である現代精工の
「ギャラッパー」は三菱「パジェロ」、同じく「サンタモ」は三菱
「シャリオ」だった。

三菱の伝統的な大型セダンだったデボネアは、日本では「三菱の
重役しか乗らない車」と揶揄されるほど人気がなかったが、
韓国ではヒットモデルとなった。同車の後続車種である「エクス」は、
両社が対等な関係で分業生産したモデルだ。

「エクス」の開発以降、現代自動車は三菱と協力する必要性を
感じなくなり、現在の協力関係は非常に希薄なものとなっている。
一方、20年前には比較にもならなかった両社の格が、現在は
完全に逆転
している。現代自動車は世界5位の大メーカーに
躍進したが、三菱は10位内にも入っていない

今や、三菱は大宇自動車販売が設立した子会社を通じて韓国に
進出し、今後、現代自動車と競争を繰り広げて行くことになった

国家であれ企業であれ、永遠の同志もいなければ永遠の敵も
いないのだ。

(終わり)


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