BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

PSYCHO-PASS サイコパス 3 第8話『Cubism』 感想

2019-12-14 00:35:38 | サイコパス
なんか、なんにも解決された感じがしないまま、終わってしまった。
続きは、来春の映画らしい。

うーん。
さすがにそれはないだろう。。。

常守は勾留中、狡噛や宜野座は再登場したものの外務省勤務で国際犯罪担当、ということで、微妙に一期の面々が脇を固めているものの、新たに登場した監査官の慎導やイグナトフが前半こそバディ感のある活躍をしていたけれど、終盤では、特に最終話の8話では、ひたすらいがみ合っていて、なんだかよくわからない。

その一方で、シビュラは、霜月を操りつつ常守にも接近するという感じで、何か企んでる。

もっとも、基本的にシビュラの思惑は、シビュラシステムの本当の姿の隠蔽と、シビュラシステムの裏をかく犯罪者・犯罪グループをマークし、できるだけ速やかに排除することにあるので、なんだかんだいってコングレスマン、という輩をどう処理するか、そのための最善策を計っているのだろう。

・・・とかいう状況はなんとなく2話を見終わったあたりで思っていたのだけど、結局、そこからほとんど話は進まず。

刑事ものによくある新登場人物たちのバックストーリーを描くためのエピソードがいくつか続いたところで、時間切れ、という感じ。

なんだかなぁ。

冲方丁は、マルドゥックの頃から読んでいるので嫌いではないけれど、とはいえ、今回の「3」については、さすがにこれはないんじゃない?というレベル。

冲方は、昔、30代になったら読者のイメージが沸かないから、もうラノベは書けない、といって、時代小説の方に移ったはずだったのだけど。

でも、攻殻機動隊とかこのサイコパスとかには起用されているから、周りからは、まだ、ラノベ的感性やSF的感性は残っているとみなされている、ということなんだろう。

でも、攻殻機動隊の方もそうだけど、設定がすでにあるところでの脚本作業は、どうしてもただこなしているようにしか見えなくて、昔のような創作に対する「熱」が感じられない気がする。

それは、ファフナーのTHE BEYONDでも感じたことだけど。

シビュラシステムというこの社会の核にやっぱり迫らないと物語的には盛り上がらないね。それは、常守になにか腹案があるのだろうけど。

ということで、始まる前はそれなりに期待していたけど、終わってみれば及第点も厳しい感じの出来だった。

いや、映画に続くという展開そのものは否定しないけど、それにしたって、もう少し、何が起こっているのか、何が本シリーズで解明すべき大きな謎なのか、そのあたりは明示すべきだったと思う。

アメリカのドラマシリーズなら、シーズンごとのテーマを、そのシーズンの冒頭ではっきり出してくるから。

そういうパタンからして模索中というのが、なんとなく感じられてしまうのはやばい。

なんかしまらないシリーズだったなぁ。

狡噛や宜野座が出てきたのは、映画で活躍させるためなんだろうけど。
もちろん、常守も。

しかし彼らの腹づもりが何なのか、もう少し描いても良かったんじゃないのかな。
ファンサービスとして登場させているなら、なおのこと、ね。

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五等分の花嫁 第114話 感想7: 最後は「五等分の花嫁」から「花嫁の五等分」へ

2019-12-13 21:35:20 | 五等分の花嫁
もちろん、この物語の幕切れのこと。
エンディングが見えた!、というやつ(笑

いや、最後に結婚式場で「五つ子ゲーム」を行うであろうことは、読者にとっては、もはや想定内の、なかば既定路線だけどね。

でも、それをわざわざ書いているのは、「最後の祭り」において四葉を選択させるという、ひねりのないストレートのオチを仕掛けてきたことから、この作者は、ガチで想定通り!の展開を押してくるにちがいないことがわかったので。

となると、最後も予想通り、予定調和な展開として五つ子ゲームを行い、それを「幸せは五等分」という、彼女たちの母・零奈の教えにしたがい、「花嫁の(機会も)五等分」として位置づける。

そうして、タイトルの「五等分の花嫁」もめでたく回収、そして終幕!、という算段。

で、そのような幕切れなら、終盤で誰が選ばれても、なんとかなる、ということだよね。

なんだったら、結婚式だけでなく、その後の生活もそうすればよいのかもw

いやいや重婚は日本では無理でしょ、なんて無粋なツッコミをしてはいけなくて、五つ子の誰が誰であるかは(愛のない)第三者が見てもわからないのだから、時間を区切って「花嫁を五等分」にすればいい。これ、マンガなんだからw.

もともと、第三者には見分けのつかない五つ子美人姉妹が全員ヒロインだ、なんて設定からして非現実的なのだから、その物語に理屈やリアリズムを持ち込みすぎるのはさして意味がない、ってこと。

女優の一花はこういうイタズラには絶対乗ってくるだろうし、三玖も、無堂撃退の時に、姉妹の誰かに変装するのを極めることになぜか強いモチベーションを持つようになったみたいだし、これは余興だよ、といわれれば、二乃も五月も乗ってくるでしょ、きっと・・・、うん、たぶんw

ということで、むしろ、次の山場は結婚式をどうジャックするか、って話かな。

いや、さすがにちょっと投げやりなんじゃないの?というツッコミもありそうだけど、でもねー、なんか、この物語はそれくらいギリギリのコースを実は突いてくるのではないかという気がとてもしてきている。

今回、痛感したのはこのことだったので。

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五等分の花嫁 第114話 感想6: 五月は風太郎の「裏の正妻」ではなかったのか?

2019-12-13 11:28:18 | 五等分の花嫁
114話で一瞬登場した五月は、一瞬躊躇してみせる風太郎に対して、間髪いれず毅然とした態度で

「あなたが向かうべき場所はひとつのはずです。」

といい、続いて

「余計な気遣いは傷つけるだけですよ!」

とハッパをかけていた。

まさに二乃いうところの「優等生的態度」なわけだけど、でも、要するに、作者の立場からすると、風太郎に代わって五月が他の姉妹を「気遣う」必要が生じるこのときのために、五月は、風太郎の恋人にはしなかったのだろうな、と強く感じた。

だって、さすがに全員が風太郎争奪戦に乗じていているところで、一人だけを選ぶ(五つ子の間での)「公開=公正イベント」が実施されていたら、もはや死屍累々の地獄絵しか生じようもないからね。

この天下分け目の大一番での戦後処理のなだめ役のために五月はキープされていた、ということなんだね。

つまり、五月は、風太郎に対しては、かつての竹林のポジション。

あ、だから、日の出祭で竹林に遭遇した時、あんなに妙に対抗意識を燃やしていたのか?

どこまでも風太郎の行動を読み、その方向に風太郎が行動するよう指導する、というか、強制する役割w

要は、おかんポジションなのだけど、でもまぁ、その行き届いた気遣いのあり方は、いわゆる「正妻」の位置だよね。

他の姉妹と違って、風太郎が四葉を追いかけたからといって、自分と風太郎の「今の関係」が変わるなどとは微塵も思っていない。

まさに正妻!

一花が、他の姉妹を排して、自分とだけ風太郎が会う時間を作るように仕向けた点で、愛人ポジションだったのとは好対照。

最も乙女していた二乃を、もはや同類感の高い三玖がなだめつつ、一花がこの結末にひとり納得しながらも寂寥感に浸っているところに、五月が、優等生的に、「さぁ、お祝いに行きましょう!」と、ある意味で空気を読まずに「正しい」行為を促しに行くのだろうな、きっと。

まさに、おかん!

でも、ひとりくらいは正気の姉妹がいなかったら、気持ちの切り替えは容易ではないよね。

そうした「感情」の配分も含めて「五等分」だったのだから。

ホント、母にして正妻、という五月の安定感。
あ、だから、あんなに食べてばかりだったのかw


でもねー。

こう見てくると、やっぱり、もう少し尺があるようだったら、この先で、四葉と五月の一騎打ち、そして、五月が最終的に勝利するという展開もあったような気もして。

つまり、言葉は悪いけど、今回の選択は、あくまでも、一花、二乃、三玖を選外にするための、いわば予選で、そこで勝ち残った四葉に対して、五月が自分の気持ちにいまさらならが気づいて・・・、という展開もあり得たかなぁ、と思うのだけど。

でもまぁ、作者が14巻で完結!、といったは、そうした無駄な期待を事前に排除するためだったのだろうな。

四葉が勝利した、というだけでなく、五月の参戦はもうない、と言外に宣言するために。


いや、でもさ、冷静に考えて、高校で付き合った子、というか、初恋の子と、結婚まで進む?

その後の人生経験から、普通、相手って変わるものだよね?

いや、今回、風太郎が四葉に伝えた、ドジを踏んだ時に横にいて支えてほしいのは四葉だ、というのは、「今」は全くの真実の言葉であることは間違いないのだけど。

でも、それも含めて、人は変わるものだよね、というのが、このお話の一つのテーマでもあったと思うのだけど。

要するに、成長。

もっとも、この物語の場合は、冒頭で、花嫁は五つ子のなかのひとり、とネタバレ、というか運命づけられてしまっているからなぁ。

それでも、未練がましいことを重々自覚した上でいえば、まだ鐘キスとかもろもろの伏線が解消されたわけでもないし。

今回の風太郎の四葉への告白は、ただただ、高2で出会って以来、今日まで自分を応援し続けてきてくれた女の子への好意の表明だったわけだから。

なので、ホント、尺があったら、五月にワンチャンありえた展開だったな―、と。

だって、四葉のバレは物語の終幕までに絶対やらなければいけない必須案件だったわけで。まさか、それがそのままファイナルアンサーになるとは思ってはいなかった。その先にもう一捻りあって当然と思っていたからね。

そういう意味では、竹林の訪問は、五月に対して、かつて、風太郎がどれだけ京都で会った女の子、すなわち四葉のことを大事に思っていたか、再確認させるためのものでも会ったのだろうな。

「そうですか、上杉くん、あの時からずっと四葉のことを思っていてくれたのですね!(あぁ、なんてロマンティック!)」

なんて感じで、余計に「零奈」を演じた者として、四葉バレの使命感に燃えてしまったのかもしれない(笑)。

そうか、竹林は、ガソリンを撒いて薪をくべる役割だったのかw

ともあれ、五月が正気のままでいてくれた優等生で、母にして正妻であったことで、今回の「祭り」は、収まるべきところに支障なくおさまることができた、ということなのだろね。

それにしても、もう少し尺があればなぁ。

五月が、今更ながら自分の本当の気持ちに気づいて激しく動揺する、という場面も見てみたかった気がする。

だって、風太郎とのやりとりだけだったら、終盤、苦言も呈せる、マジで正妻、パートナーだったから。

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五等分の花嫁 第114話 感想5: 結局、五月とは何だっのか?―「演じる」ことの意味。

2019-12-12 11:25:46 | 五等分の花嫁
いや知っての通り、五月って、ただのくいしんぼの語り部だったんだけどね。

ただ、前のエントリーでも最後の方で書いたように、五月は「母になる」という自己暗示、というか自縄自縛の「演技」があったからこそ、風太郎に対して、正気で対処することができた。

つまり、五つ子が風太郎に抱いた感情が、恋愛というよりも不在の「父」を埋め合わせるものだった、という本質に気づいていた。

風太郎から「おまえらの父になる」という言葉を聞かされていたしね。

反対に五月は、しばしば上杉家にお邪魔して、最も上杉家の人びとと親しかったわけで。

そういう意味では、上杉家が母不在の父子家庭だったことも、微妙に効いている。
五月が上杉家の食卓を囲んでも、なんら違和感がなかった。むしろ、母、というか、らいはからすると、兄嫁みたいな姉がいるような感じだったし。

そうして「母」の役割をずっと「演じ」続けてることで、逆説的に、上杉家において、彼女も上杉家の一員になることができていた。

だから、風太郎が五つ子の父になっていたとしたら、五月は上杉家の母になっていた、つまりは、風太郎の母にもなっていた、ということだよね。まったくもってポンコツだけどw

その結果、五月は風太郎を、恋愛対象からは外していた。

うーん、ここちょっと難しいところだけど、すでに食卓を上杉家で一緒に囲むことに寄って、恋をする前に愛情を抱いてしまったのだろうな、母としての。

そのため、五月にとって風太郎は、恋愛の対象ではなく、尊敬する対象に落ち着いた。

まぁ、だから、この恋をするよりも先に愛を抱いた五月は、もう少し物語に尺があれば、この先、風太郎を、大人として恋愛対象にする、という展開もあり得たと思うのだけど。

だから、ちょっと惜しい。
恋愛をする前に、いわば正妻の位置についてしまったようなもので。

ただ、それもこれも、五つ子と風太郎が行っていたのは、基本的に恋愛ゲームでなく家族ゲームだったせいだと思う。

だって、二乃なんて完全に父親の姿を求めていたわけじゃない。

そういう意味では、マルオとの関係が改善された時点で、実は彼女にとっての風太郎の役割は終わっていたのかもしれない。その意味で『最後の祭りが二乃の場合』は一つの終わりを暗示していた。

でも、この風太郎との家族ゲームという「ちょっと歪な事実」に、五月は、母を演じることを普段からしていたため、気づいていた。その分、彼女は、正気を保っていられた。恋愛感情には発展させず、あくまでも、父の姿を重ねるレベル。せいぜいが「兄」に対する思慕くらい。

その上、五月の場合は、四葉の依頼で零奈になりすます、ということも中盤から始めてしまい、最後は、四葉の意向を無視して、自分から零奈になりすます、というところまで言ってしまったわけだけど。

この「零奈を演じる」というのも、結局、五月に対して、風太郎との関係を客観的に見ることをしいてしまったのだろうなぁ、と。

いや、「零奈」は五つ子の母の名前だから、客観的に見れば、五月は、変わらず「母を演じ続けている」だけなんだけどねw

ただ、かつてと今の四葉の気持ちを、零奈を演じる過程で慮らないわけがなく、結局、これをきっかけに、五月は、四葉の気持ちを風太郎に届けるメッセンジャーの役割を演じるようになってしまって。

簡単に言えば、五月って、自分の「本当の」気持ちがどこにあるか、よくわからなくなってしまったのだろうな。

だから、「母のような教師になる」という目標を掲げたところで干渉してきた実父・無堂との一件で、風太郎がマンションまで駆けつけて支えてくれようとしたところで、彼女は彼女で、キュン!としたはずなのだけど。

ただ、すでに(連載終了に向けた)時間切れw

風太郎を、理想と仰ぐ気持ちを素直に表明したところで終わってしまった。

で、何が言いたいのか、というと、五月の場合、母を演じ、零奈を演じ続けたことが、ヒロイン化を阻む心理的要因になっていた。

同時に、作者からすれば、五月を「くいしんぼの語り部」に作劇的に留めるための安全弁だったのだろうな、と思う。

なので、繰り返しになるけど、もう少し連載期間があったら、もう一段回進んで、五月も花嫁レースに参戦、ということにもなったのだろうけど。。。

惜しい。

しかし、そう考えると、この物語は、ホント、「演じる」ことが大きな役割を果たしているね。

一花が女優の卵であるだけでなく、その一花を越える「嘘つき=名優」ぶりを示していたのが、風太郎と高2で再会して以後の四葉だったわけだし。。。

よくよく考えたら、最後は不問になってしまったようだけど、一花が、6年前の京都での風太郎への接触をきっかけに、そもそも(高2の時点でも)四葉が占めるべき「幼馴染」の場所を一花が締めようとしていたところもあったのだから。

物語の随所で「演じる」こと、すなわち「嘘をつく」ことが大きな役割を果たしてきた。

恋愛ゲームをしていたようで、その実体は家族ゲームだったこと。

家族ゲームを成立させるために、五つ子は(養父はいるけれど)事実上の孤児、上杉家は父子家庭、という、「家族」という主題を自然に扱えるような設定が導入されていた。

その環境の中で、五月を、語り部の役にとどまらせることができた。

ホント、隅から隅までよく練られた物語。

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五等分の花嫁 第114話 感想4: これは『君の名は。』のような転生譚を装ったボーイ・ミーツ・ガールの物語

2019-12-12 01:43:26 | 五等分の花嫁
互いに過去にすでに出会っていたことに目を向けず、今の出会いに運命的な意味を見いだした、という点では、この物語は、一種の「転生」ものだった、と言い切ることもできるのかもしれない。

少なくとも四葉にとっては。

物語の結構としては『君の名は。』のようなもの。

その「運命感」の出どころは、自分が落第した結果、他の四姉妹ともども転校した先で、6年前の「彼」である風太郎に「たまたま」出会ってしまったこと。

でも彼と自分の現状をみると、その彼に、あの時の子だよ、なんて言い出すこともできず、ずっと別人であるかのように振る舞ってきた。

だから、まぁ、自発的な「転生」みたいなものだよね、四葉の場合。

もっとも、面白いことに、風太郎も風貌は、6年前と全然変わっていたわけで。

それは、日の出祭中に現れた竹林との対比でも明らかで。

風太郎は、竹林も変わった、と言っていたけど、いやいや、どう見ても、風太郎、別人でしょw

ということで、この物語は、転生した二人が、前世の記憶を持たずに再び出会い、まるでそれが運命であるかのように惹かれ合う・・・という今どきのちょっとオカルトじみた恋愛譚を、強引に「現代の高校を舞台にしたラブコメ」の形に変えてみせた、という、結構、力技の物語だった、ってことだったんだな。

うん、そう思うと、最後の最後で、四葉が6年前を封印する、あえていえば健忘する策にでるというトリッキーなひねりに及んだのも理解できる。

もっとも、114話の「四葉大逆転劇」に一番ビックリしているのは、この状態を一種の転生のように6年前とは異なる人物としてそのキャラを演じていた四葉の方であって、風太郎の方は、114話の説明を聞くと、実は、もう少しドライに現実的な視点から捉えていたようにもみえる。

てか、風太郎、やっぱり恋愛オンチ?

だって、いや、ホント、四葉がいてくれたから、ここまで来れたわ、お前がいなかったら、今みたいに五つ子みんなと仲良しになんてなれてなかった、という感じだったのがちょっと可笑しい。

要するに、四葉がいなかったら、そもそも出発点にあった五つ子の家庭教師が成立していなかった、というんだもんね。

なんていうか、五つ子の貢献度ポイントを加算方式で集計したら、うん、グンバツで四葉がトップだった、だから君に俺をこれからも支えてほしい、といってるのだから。

これ、恋愛脳とはちょっと違うよね、というか、実はズレてるw

そこが、一花に指摘されていた、フータロー君、結構俗っぽいところあるから!、というところ。

実は、四葉とは似た者同士の、オコチャマだった、ってことだよね、風太郎も。

だって、四葉が運動の方に振れたバカだったとしたら、風太郎は勉強の方に振れたバカだったわけで。

ベクトルが違うだけの似た者同士のバカップルw

その互いのバカっぷりの原点は、6年前の「必要な人になる」という二人で交わした誓い/呪いなんだよね。

そう思うと、今回の選択も自然なものに思えてくる。

そういう意味では、四葉は封印したけど、風太郎と四葉の二人は、恋愛精神年齢としては、かつて出会った時の小学生くらいのレベルのママ、ってことなんだろうね。

その意味では、お似合いの二人。

まぁ、四葉はオコチャマパンツをはいたままだし、風太郎は風太郎で恋愛マニュアル本を読んで、もっと勉強せねば!と夏休みに言ってたくらいだからw

そりゃ、一花や二乃、三玖は選ばないよなー。

だって、彼女たち乙女のテイストとは、出発点から合わないんだものw

実際、冷静になって見直すと、風太郎の独白って家庭教師関係でテンパったときのようなものばかりで、恋愛については、ほとんどゼロだったものね。

そうすると、恋愛偏差値の程度を考えると、実は、収まるべきところに収まった、というのが今回の結果だったのかもしれない。

お子様同士の似たもの夫婦。
割れ鍋に綴じ蓋w

風太郎の心情が大して描かれないのをいいことに、勉強ができるから色恋沙汰にも一定の理解を示していると勝手に思ってしまっていたけど、実は、そんなことはなかったw

要するに、読者も、いつの間にか、一花視点、二乃視点、三玖視点で、風太郎をカッコイイ奴と勘違いさせられていた、ということだね。

見事に誘導されていた。

でも、風太郎の本質は、6年前のヤンキーっぽかった風太郎と全然、変わっていなかったw

風太郎が自分でいってる通り、「ダサい」情けない野郎、ということ。
(だって、いまどき、ダサい、という言葉を使っているあたりが、心底、アレだよね)。

いやー、いい感じに騙されていたw

だから、たとえば二乃だったら、ホント、あのバイクで迎えに来られた時に、何か吊り橋効果的なものに騙されてしまったにちがいないw

風太郎は、いつの間にか、美化されていたわけだ。

そこを差っ引くと、素直にバカをやれる四葉が実は一番、ナチュラルにあっていた。

つまり、風太郎は風太郎で、四葉同様、勉強バカに転じたことで自分を偽っていた、ということだよね。

で、その勉強だけやれば必要な人になれると思いこんでいた歪さに気づかせてくれたのが四葉だった。

だいたい、小学生の時に決めた目標で高3まで過ごしてきたのだから、それは確かに歪んでいるといえば確かに歪んでいる。
ガタイは高3だけど、心の本質は小学生のままのようなものだから。

そういう意味では、四葉以外の五つ子、特に二乃と三玖は、そうした歪さを抱えた風太郎をそのままホンモノの風太郎と思うしかなかったのが敗因といえば敗因。

一花は、自分が女優をしているからか、一定の人間観察力はあって、風太郎の「歪さ」に気づいていたから、「誰も選ばない」なんていわないで、と主張していたのだろうし、

五月は五月で、五つ子が風太郎に抱いていた気持ちが、恋愛というよりも不在の「父」を埋め合わせるものだった、という本質に気づいていて、それゆえ、尊敬する対象ではあっても、恋愛の対象ではない、というところに彼女のポジションは落ち着いたのだろうね。

つまり、五つ子と風太郎が行っていたのは、基本的に恋愛ゲームでなく家族ゲームであったと。

それは、五月も、母を演じることを普段からしていたからこそ、気づけたことだった。それゆえ、五月だけが、最初から最後まで正気でいることができた。だから、恋愛感情には発展しなかった。あくまでも、父の姿を重ねるレベル。
強いて言えば「兄」としての思慕。
(だから、五月は、らいはと仲が良かったのだと思う)

裏返すと、他の姉妹は、風太郎に父を重ねていることに意識がいかないだけに、少しばかり、正気を失っていた。

その中で、風太郎の本質を最初から知った上でここまで付き合ってきたのが四葉だった、ってことだよね。

とはいえ、四葉と風太郎は、互いに6年前にかけた誓いという一種の呪いを解かなければいけなくなっていたのも確かで、その作業もまた、二人で臨むしかなかった。

ということで、やっぱり、一応、転生譚の変形みたいなものだったんだな。
もともと、互いに互いを縛りあった間柄だったわけだから。
つまりは、運命の赤い糸。

やっぱり、『君の名は。』に近いなぁ。

なので、収まるべきところに二人は収まった、というだけのこと。

とはいえ、それも、若干正気だった姉の一花と母の五月のアシストがあればこそのことだったわけだけど。


もっとも、こんな見方、全部が終わらないと無理なことなので、完全に後知恵にすぎない。

いやー、改めて、興味深い物語だったってことに驚くな。

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五等分の花嫁 第114話 感想3: 気がつけば風太郎はいつも四葉のあとを追いかけていた

2019-12-11 19:04:19 | 五等分の花嫁
今回の114話、風太郎の告白に、恐れ慄いた四葉は、案の定、脱兎のごとく逃げ出したわけだけど。

でも、よくよく考えれば、風太郎って、いつも四葉の後を追いかけていたように思う。

で、体力バカwの四葉に、いつも置いてきぼりを食らわされていたw

でも、このよく見た風景が、風太郎が、恋愛対象として自ら追いかける相手として四葉を選ぶことを、なんだかんだ象徴していたんだろうね。

追われる側ではなく、追う側として。

そういう意味では、言葉は悪いけど、すでに攻略済みの一花、二乃、三玖に対しては、文字通り、「釣った魚には餌はやらない」という無慈悲を貫いたともいえる。

追ってくる相手には、ごくごく自然に振る舞うに留める。

そういう意味では、ケーキ屋店長さんから、天然のジゴロ呼ばわりされていたのも納得できてしまう。

だって、結局のところ、一花、二乃、三玖からの攻勢に対しては、ある意味で、等距離外交を貫いたのだから。

実際、中盤以降、三人の愛は、傍から見てても、だんだん重たいものになっていったものね。

一花の闇落ち、二乃のツンデレツン、三玖のパン屋修行・・・

それをいなし続けて、結局のところ、陰で支えてくれた四葉を追いかけるのだから。

でも、そう思うと、やっぱり今回の、とにかく誰か一人を選ばなくちゃいけない、という状況を生み出した一花の功績は大きいなぁ。

今回、四葉以外の面々がどうしたか気にかけた風太郎に対して、今は四葉こそ追いかけるべき時、と五月は叱咤していたけど、実際のところ、負け組三人は、どうしていたのだろう。

二乃と三玖が泣きながら抱き合っていた描写はすでにあったけど、

一花はどうだったんだろう。


それにしても、実際に「ひとり」が選ばれると、風太郎を奪い合っていたのが五つ子の姉妹だという設定は、結構、きつい。

二乃ではないけど、悔しいけど、同時に、祝福しないわけにはいかないわけで。

そういう意味では、まだ三学期が残っているこの学園祭の時期に決着をつけさせたのは、ちょっと、作者、ずるいんじゃない?、とも感じる。

まだ、学校で会い続けないといけないからね。

むしろ、この後の、卒業後の分枝のゆくえについてこそ、ちゃんと描いてほしいなぁ。

まぁ、だからあと8話を残しているんだろうけどね。

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五等分の花嫁 第114話 感想2: 結局、四葉は最高の「嘘つき」だった!(いい意味で)

2019-12-11 11:32:31 | 五等分の花嫁
114話の最後の場面で、四葉が「好きです」というシーンを見て、ああ、そういうことだったのか!と思ったことが、実は2つあった。

ひとつは、もちろん、全く同じ構図、つまり、寝転がった風太郎の頭を抱えて上から四葉が覗き込むようにする構図が、以前にもあったこと(21話)。
ああ、あの時に、すでに四葉の隠していた気持ちは漏れていたんだ、ということ。

・・・といっても、このことは、もはや読者にとっては周知の事実だけどね。

で、もうひとつは、21話のこの四葉のなんちゃって告白シーンを思い出してのことで、その時に発せられた「嘘(ウッソー)」という言葉だった。

で、その結果、なにを思い出したかといえば、一花が京都で言った「全部、嘘」という言葉。

あの「全部、嘘」という言葉は、風太郎の視点に立つと、もちろん、一花、こいつ、なに言ってんだ?という疑問であることは間違いないのだけど、でも、それと合わせて、あれ、そういえば、前にも、嘘、って言われたことあったっけ?、ということで、その相手は、他でもない四葉であったこと。

いや、だから、

あの一花の「全部、嘘」という言葉も、四葉の「ウッソー」という言葉を思い出すための鍵のような言葉だったのだろうなー、ということ。

さらにいえば、あの一花の「全部、嘘」の言葉の直前に、一花は風太郎の頬にキスをしていたわけだけど、あの場所も以前に、四葉がケーキのクリームを取るために(という口実で?)風太郎にほっぺチューをしたところと同じだったんだよね。

それを一花が狙っていたかどうかはわからないけど、少なくとも作者は狙っていたのだろうな、と思う。

その上で、風太郎からしたら、四葉の「嘘」に気づいちゃったんだろうね。

その意味では、一花と四葉とで、嘘つきの習熟度が違っていたということ。

恐るべしは、四葉の、嘘マスターっぷり。
見事なまでの本心を隠す演技力。

それにしても、まさか一花の「全部、嘘」が、四葉の「ウッソー」と対比される形で、逆に、四葉が筋金入りの「嘘つき=演技上手」であることが示唆されるとは思わなかった。

本心を隠す、という点で、四葉の演技のほうが徹底していた、ということだね。

つまりは、四葉は、最高の「嘘つき」だった。

それがゆえの、芝居上手。

そして、その表現の機微を風太郎も最後には気づいていた。

というか、おおむね、京都の修学旅行のときには気づきかけていたということだけど。
逃走した三玖を追って、四葉とバスで追いかけていたところね。

でもそんなことがあったからこそ、114話の最後で風太郎は、ダメ人間どうしだけど、お互いに支えあえる存在として、四葉を選んだのだろうな。

二乃のような、一方的なアタックでもなければ、
三玖のような、思慕を向ける対象でもなく、
一花のように、恋愛の駆け引きを楽しむ相手でもなく。

そういうめんどくさい、手続きをすっ飛ばして、
お互いに支えあえるパートナー。

それば四葉だった。

溢れ出す好意を身体で全面に表しながらも、言葉には決して出すことのなかった嘘つきの四葉。
彼女を風太郎は最終的にを選んだ。

もちろん、この風太郎の決断には、というか、風太郎に四葉を選ばせた作者の目論見には思うところがないわけでないのだけれど。

だって、

グイグイアタックしてくる肉食系の女子たち(二乃は言うに及ばず、三玖も最後はそうなっていた)よりも、

策を弄して自分に向かうように場を支配しようとする女子(一花のことね)よりも、

一途な思いをひた隠しにしながら、ひたすら自分を陰で支え続けようとする健気な女子(四葉)

が、最後に選ばれるのだから。

それが読者にはヒットしている、と作者は捉えているということだよね。

無条件に尽くしてくれる(元気いっぱいの)大和撫子

それが当代の理想の女子、というのが、新ラブコメ王のねぎ先生の結論だった。

それはそうなんだろうな。
王道中の王道。

その健気さを、決して古っぽくなく、ましてやあざとくもなく描くための仕掛けとして用意されたのが、四葉の過去に、風太郎との出会いと、前高校の退学処分を全員に負わせた姉妹への負い目、という2つの重たいエピソードを配したことだった。


にしても、この先の8話あまり、なにを描くのだろう。
いや、進路、受験、卒業、結婚式とイベント目白押しだから、あっという間に消化できるのか?

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五等分の花嫁 第114話 『最後の祭りが風太郎の場合②』 感想:終わってみれば、ド直球のハイスクール・ラブストーリー!

2019-12-11 09:33:22 | 五等分の花嫁
あー、終わったー、終わったー
「最後の祭り」が終わったー

そうかー、ストレートにそう来たかー。
最後のひねりはなかったかー

それにしても、『最後の祭りが風太郎の場合』の②が来るとねw
前回が①ではなかったので、地味に騙されたよ。

で、書きたいことはまた、たくさんあるのだけれど。。。

まずは、四葉、おめでとう!、だよね。

文字通り、紆余曲折あったわけだけど、風太郎がずっときちんと見ていてくれていて、よかった。

終わってみれば、結局、一番大事だったことは、第1話冒頭にあった「君と出会った高校2年の日」という言葉だったということで。

風太郎にとって重要だったのは、高校2年のときに「初めて」出会った相手としての四葉だった、ということだよね。

いや、これは「京都の子」問題をずっと引きずっていたこの物語からすれば、最高にトリッキーなところだったわけだけど。

でも、それも、四葉の封印マジックで押し切られてしまった。

『最後の祭りが四葉の場合②』の108話で最後に四葉自身が言っていたように、四葉としては、風太郎と京都と6年前に出会っていた事実については、もう過去のこととして振り返らないと決めていた。

その決心を風太郎に対しても押し切ることに決めた、ということだよね。

だから、今回、風太郎が、一応、四葉が京都の子であることを確認しようとした言葉に対しては、無理矢理、その問いを遮ることで押し通した。

でも、実は風太郎にとっても、四葉が6年前の京都の子であったかどうかはもはや大して重要な意味を持っていなかったわけで。

それよりも大事なのは、この高校で四葉と出会ってから過ごした日々とのことだった。

いや、よくよく考えれば、そうなんだよね。

別に6年前に結婚の誓いをしたわけでもなんでもないのだから。

要するに、普通に、高校生の男女が、普通に高校で出会って、林間学校、修学旅行、学園祭、という高校のイベントを二人でこなしていった。

そして、その過程で、二度とできないような、よい思い出を積み重ねてきた、ということ。

ただそれだけだった。
それだけの話だった。

その意味での、ハイスクール・ラブストーリー

だから、一番のミスリーディングは、「京都で出会った子」という謎だった。

これにはやられたなぁ。。。

いや、作劇的には、かなり反則ギリギリで。
だって、いや、あれ関係なかったんです!、なかったことにします!ってことだから。

そこに最後までこだわったために、いいように踊らされてしまったw

いや、もちろん、いい意味でね。
楽しかったしw

そもそも、最後の、いろいろな思いを振り切ってようやく「好きです」という言葉を伝えた時の四葉の姿は、そのまま以前、三玖のコロッケを試食しすぎて倒れてしまった風太郎を介抱してしながら「好きだから」でも嘘!と言った時の四葉の姿と同じだったのだから。

要するに、あの時、四葉は、すでに、五つ子の中で誰よりも早く、好き、という気持ちを伝えていたのだから。

物語の最初からもう誰が花嫁か?という問いへの答えは示されていた。

まぁ、それを撹乱させるための、五つ子という、設定だったわけだけど。

「五月の森」ならぬ「四葉の森」だった。


とまれ、四葉、おめでとう!

書きたいことは、まだたくさんあるので、またあとに書くと思うけどw

しかし、そうすると、来週は、風太郎と四葉で、二人だけのキャンプファイアーダンスなのかな?

いや、その場に、五つ子が駆けつけるのか?
いやいや、さすがにそれはないかな?

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進撃の巨人 第124話 『氷解』 感想:エレンはルルーシュなのか?

2019-12-10 11:01:05 | 進撃
ついに来た、アニの復活!

今回、びっくりしたのは最後の最後で示されたこの場面ね。
同時に、あぁ、ホントにこのお話も終盤、もうすぐ終わりなんだなと思ったこと。

そして、このエレンが一体何をしたいのか、まったくわからない状態で、アニが復活したときに、アルミンのなかにアルベルトの記憶もある、という事実ね。

作者、なんか、凄い仕込をしてきたね。

ちょうど新作映画を見たタイミングだから、というわけではないけど、今のエレンのとっている、はたから見ると不可解な行動は、ちょうどゼロレクイエムのときのルルーシュみたいだな。

すでに壁も破壊されて「地ならし」が始まっている、という黙示録的状況がうまれているなか、このままでは全滅をさとったひとびとが、マーレ軍も調査兵団も関係なく、対エレンで集結しそうな雰囲気とか。

悪逆皇帝ルルーシュをなぞるエレン・イェーガー。

ジャンのいう、エレンは俺たちを守ろうとしている、という言葉からすれば、エレンにとっての調査兵団の面々は、ルルーシュにとってのナナリーみたいなもの、ということだよね。

欺いて嫌われたとしても、守り抜きたい相手、ということで。

嫌われても構わない、と思っているのは、全てが終わった暁には、自分の命もないと知っているから。

でも、だからこそ、ここで、まだライナー、アニ、ベルトルト=アルミン、がいるのは上手い。なぜなら、ベルトルト=アルミンがちょうど蝶番になって、ライナーとアニと、ジャンとミカサたちを再び結集させることができるから。

そうして、最後に、調査兵団の同期たちで、エレンを止めに奔走することになるから。

そのあたりも、最後にブリタニアと黒の騎士団が結託してルルーシュに対峙した構図に近いなぁ、と。

ただ、エレンたちには、まだ、ヒストリアが残っているんだよね。
彼女がどう絡んでくるか、そして、彼女の子どもがどうこの先の物語を紡ぐのか。


しかし、たまたま「復活のルルーシュ」を見た後に読んだだけだったのだけど、よくよく考えると、この2つの物語は構造的によく似ているね。

ざっと思いついたことだけでも、

●主人公の行動のきっかけは、子どもの頃に母を殺されたこと。
●超常の力を、超常の世界の理(ユミルの世界、Cの世界)から授かったこと。
●当面の敵を倒したら外側に本当の敵がいたこと。
●その敵は、「社会」そのものだったこと。
●異母兄が当面の宿敵になること。
●王の力が物語の鍵を握ること。
●主人公が最終章で一見すると心変わりしたような行動を取ること。
●主人公に何者にも代えがたい庇護対象が存在すること
●学校の同期生が、結局、物語終盤の鍵を握ること
●世代交代を担う子どもが終盤現れること
・・・

この他にも、細かいところを見ればきっと説話構造の類似性は見られるのだろうな。

それだけに、やっぱりアニの復活は大きいな。

いよいよもって終わりだと思うけど、こちらは大団円であってほしい。
楽しみ。

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UQ HOLDER! 第167話 『新オスティア』 感想

2019-12-10 10:17:13 | UQH/ネギま!
とりあえず、UQHによる裏火星の攻略戦。
どうやらヨルダとつるんでいたバウルの転移陣があるようで、その拠点たる武装組織の拠点を潰して、そこから次回以降、一気にヨルダのもとへ攻め入ろうということみたい。

いよいよ、というか、ようやく、この物語も終りが見えた、ってことね。
長くても来年いっぱいには終わる感じだね。
いや、ホッとしたよ。

で、前回までのUQHどうしによる盛大な内輪もめ的ケンカを経て、やっと一体感をもったUQHによる総攻撃が実現。

このあたりは、単にみんな、すごいねー、成長したねー、という描写だね。

相手が雑魚すぎだからw

あとは、予想はしていたけど、ニキティスくんが、完全にネタキャラしていて(笑。

ともあれ、こんな雑魚相手に苦戦してたらいつまでたってもヨルダに届かないから、とばかりに、圧倒的戦力で、ただのヤラレ役として出てきた武装組織を一蹴w

で、なぜかここに来て再登場の龍宮隊長!とともに、転移陣を確保。
その後は、一転して、お色気タイムのお風呂タイムw

戦闘シーンからお風呂場シーンというコンボw
呆れるくらいw 安易だよなぁw

で、もはやビックリ要因となった七尾は、ここは精霊らしく無性であるという都合の良い設定が付されて、なぜか女湯にいる、という展開。

あとは、お約束の展開。

で、最後に、ようやく幼女姿のエヴァが登場して、そのままセプ子wの計らいで、刀太との裸デートが実現。

うむ。
刀太とロリエヴァの二人の再登場も、いよいよ終わりだな、と感じさせてくれる。

しかし、そうなると、この話、ネギの救出は既定路線としても、救出したあと、どんなオチで終わるのかね?

一応、これまで出てきたネタだと、結末に向けた目標は2つあって、

一つは、刀太が、ネギの偉業の上を行くような、よりよい世界の到来を実現させること。

もう一つは、刀太が、ロリエヴァとの恋を実らせること。

要するに、どちらも、刀太がネギを超えることなんだけどね。

ただネギはネギで、この世界は、千雨が死んでしまった世界だからね。

彼を支える役割は、やっぱりエヴァのような気もするのだけど。。。

そうすると、刀太の相手は、キリヱを始めとする今の女子たちなのかなー、とも思ったり。

最悪のケースは、ネギがヨルダとともに消失する、という展開だけど。。。

しかし、今回も、ちょっと出てきた、刀太が受け継いだはずの魔法科無効化能力。

その「火星の白」のオリジナルホルダーたる明日菜は、この期に及んでも、ただヨルダの力を封じるための役割しかしないのだろうか?

オリジナルの明日菜が目覚めてもいい気がするんだけどね―。
でも、それじゃ、刀太の見せ場が減っちゃうのかぁ。。。

あと、ザジはザジで、別働隊で動いてるのかね?

最後のヨルダ戦は、総力戦になることは間違いないと思うので、そこにUQHの他に誰が駆けつけるのか、ちょっと楽しみではある。

ともあれ、次回は、(本来の姿の)エヴァのデレ?が見られるのかな。

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