落語について書いた本を読み終えて、夕方のニュースをみたら、「おとつい談志逝く」と。
熱狂的でもなく、寄席に通うほどでもない私が、弟子の志らくが書いた本をちょうど読み終えた直後というのが、だからどうしたの?って言われそうだけど。
志らくが「談志が、」「師匠が、」と書いているのを読み続けていた頃、弟子が談志の枕元で、見守っていたのかと思うとその死が、何かを贈ってくれているかのように感じてしまう。
この本の最後に落語「鉄拐」について
※本来の落ちは、「口から吐き出されたのは李白と陶淵明」。
落語の美学としては断然こちらだが、あまりにも難解すぎる。
この二人が中国の有名な酒豪だったというエピソードはもはや
知り人は少ない。美学をとるか、わかり易さを取るかで悩むのだ
が、私のこしらえた落ちは噺の流れに無理がなく、もしかしたら
これが鉄拐」の落ちのスタンダードになるのではとさえ思える。
落語家とはこのような非生産的な実にくだらないことを日夜思考
し、その全人格を落語に捧げているのであるから、はたから見れ
ば狂気の沙汰なのだ。
〈落語進化論 立川志らく著 新潮選書より〉
落語の落ちに李白と陶淵明が使われたことがあり、時代が下り、それが今では、難解と言われるようにになり、そんな時代に、私は、詩吟をやっているのよね。
この本は、もう一度といわず何度か読みかえさなくちゃ。高座にも、足を運んで、、、なんて思ったら、訃報だなんて。
談志は、メディアから、反骨、反乱の人としか受け止めてなかったけど、こよなく談志を愛する弟子に語られた談志は、ものすごく興味を沸かせる人でした。
志らくのあとがきで、第三作を13年後に書く予定、それまで生きていて欲しいと言われ、NHKのインタビューでは、100年後も生きているかもねと自分で言っていたのに、、、
心からお悔やみを申し上げます。
その後のニュースでは、談志は家族にだけ看取られたとありました。
志らくのこの本は2011年6月25日の発行とありました。
師匠のこのことを知っていてか、知らずか、師匠へのエールだったんだね。
熱狂的でもなく、寄席に通うほどでもない私が、弟子の志らくが書いた本をちょうど読み終えた直後というのが、だからどうしたの?って言われそうだけど。
志らくが「談志が、」「師匠が、」と書いているのを読み続けていた頃、弟子が談志の枕元で、見守っていたのかと思うとその死が、何かを贈ってくれているかのように感じてしまう。
この本の最後に落語「鉄拐」について
※本来の落ちは、「口から吐き出されたのは李白と陶淵明」。
落語の美学としては断然こちらだが、あまりにも難解すぎる。
この二人が中国の有名な酒豪だったというエピソードはもはや
知り人は少ない。美学をとるか、わかり易さを取るかで悩むのだ
が、私のこしらえた落ちは噺の流れに無理がなく、もしかしたら
これが鉄拐」の落ちのスタンダードになるのではとさえ思える。
落語家とはこのような非生産的な実にくだらないことを日夜思考
し、その全人格を落語に捧げているのであるから、はたから見れ
ば狂気の沙汰なのだ。
〈落語進化論 立川志らく著 新潮選書より〉
落語の落ちに李白と陶淵明が使われたことがあり、時代が下り、それが今では、難解と言われるようにになり、そんな時代に、私は、詩吟をやっているのよね。
この本は、もう一度といわず何度か読みかえさなくちゃ。高座にも、足を運んで、、、なんて思ったら、訃報だなんて。
談志は、メディアから、反骨、反乱の人としか受け止めてなかったけど、こよなく談志を愛する弟子に語られた談志は、ものすごく興味を沸かせる人でした。
志らくのあとがきで、第三作を13年後に書く予定、それまで生きていて欲しいと言われ、NHKのインタビューでは、100年後も生きているかもねと自分で言っていたのに、、、
心からお悔やみを申し上げます。
その後のニュースでは、談志は家族にだけ看取られたとありました。
志らくのこの本は2011年6月25日の発行とありました。
師匠のこのことを知っていてか、知らずか、師匠へのエールだったんだね。