初吟会の出吟吟題は、「佳賓好主」佐藤一斎作
初吟会に月と梅が好主として佳賓として、好一対。この贅沢な春の夕暮れ。
素敵な漢詩と思う。月と梅と好一対。今日の交流会の一対の詩吟の会「鉄皚会松戸支部」と「東京芦孝会」は、好一対となるのだろうか。
漢詩の作り方の約束事から外れているのは、漢詩を見ただけでもわかる。
そして、ある先生によると、押韻と同じ文字は、使ってはいけないという余り知られてない約束事を会の終わった後に教えていただきました。
佐藤一斎が漢詩を作るときは、何と何を考えて、それでもこの漢詩を完成と決めたのだろう。
平仄を合わせると、中国語で読むだけで、美しいのだそうだ。
それを日本語に読みかえた時、どんな印象に変わるのかなぁ。
そして、その詩を吟じたら、今日のようになるのよねぇ。
さて、漢詩の作り方の約束事は、それとして、今日の吟詠は、CDの伴奏曲で、できる限り練習をしました。
伴奏の終わりに、3秒ほどの無音状態があり、吟詠の終わりが早すぎると伴奏が終わったのに、吟がまだ続いていることになる。
ほんの少しのタイミングで、それより遅く吟詠を終わることができると、最後の言葉の「春」を言い終わったと同時に琴の音が始まり、伴奏はまだ終わってなかったとわかり、ちょうど良かったとわかる。
そして、「春」のことばを、無音の状態で、吟じるから、「春」の言葉をことさら優しく吟じなくては、悪目立ちをしてしまう。
それを、面白がって練習したのだけれど。
伴奏を吟剣の6番に決めたのは、始まりが気に入ったからで、最後まで良く聞いたわけではなかった。
練習するうちに、しまったと思った。
練習するうちに、ゲーム感覚で、吟詠の終わりのタイミングを面白がって練習することができた。
絶妙のタイミングで、吟の終わりが来るワクワク感をスリルと共に味わい、わくわく感いっぱいで吟詠をすることを久し振りに楽しんだ。
あぁ、それなのに。
伴奏の始まりの音量が、小さすぎて、始まったのがわかっただけで、聞き取りにくかった。
もう一度、かけなおしてくれることを期待したのだけれど、その様子がないので、仕方なく、作者 吟題を言って、その流れのままで吟詠を始めるしかなかった。かなり始まりが遅かったと思う。
だから、もう、流れで、吟をするしかなくて、最後のタイミングなどと言っている場合ではないことを察した。
それでも何とか慌てなくて済んだのは、事前に、2回ほど声出しができていたからだろう。
つい最近まで、CDを流すけれど、コンダクター代わりと考えていたことを、思うと、進歩したものだねぇ。
CDで伴奏を入れると、確かに楽なのだね。
これは困ったなぁ。だって、私は、吟詠に乗り乗りになればなるほど、吟詠時間が長くなるのだから、CDの終了時間に合わせる様な吟じ方は、今までしたことがなかったけど...
尺をあわせる。ゲーム感覚では、楽しめた。
「自由に楽しく」の楽しいは、クリア。
でもね、やっぱり、アカペラが好きだ。