風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
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丹田と呼吸と体調と

2016年03月19日 | 体を整える
その時々と体調により、体操を山田先生がアレンジしてくださっていますが、今は、膝をのばす体操をしています。

言葉では表現しにくいのですが、山田先生の指導の通りに足を動かしていると、とても気持ちの良い場所があります。
痛いとか、頑張るとか、無理をすると言うことから、遠い位置にある体操は、日々続けることが大事です。

その心地よい感覚を頼りに、自宅で、朝、晩やっていると、膝の位置がどんどんと変わっていきます。
膝の位置が変わる?  そうです、変わるのです。

今までずっと右膝の内側が痛かったのが改善されました。階段もかなり楽に降りられるようになってきました。

ところが、この新しい体操をはじめたら、はじめて膝の後側に痛みが起こりました。
立っている分には、良いのですが、膝を延ばすときに一瞬動きを止めなければならないくらい痛くなりました。

快調に自転車をこげるようになっていたのになぁ。。。

ここで、痛みの場所が変わり、痛みの具合も変わってくるということは、何らかの変調、それも良い方への変調と考えることが、身についてきています。

さて、痛いときは、熱刺激でしょうとばかり、もう一度「すごい熱刺激」の本を読み返して、蒸しタオル療法を、始めます。


同じタオルを当てているのですから、同じ温度の刺激が届いているのですが、膝の裏側は、見事に真っ赤になりました。
ところが、今は痛みを感じてないひざの内側は、大きな斑点のまだら状態。
そして、同じ温度でも、裏側は、熱さをさほど感じないのに、膝の内側はあっちっち!なのです。

痛みが起こっているところが一番悪いところと、考えがちですが、この斑具合を見るとやはり、膝の内側の方が、状態が悪いということになります。
そして、その膝の内側の症状は、もっと、根本的に取り組まねばならない、箇所があるはずと、教えられます。

目に見える異変や痛みは、サインなのだということです。
たとえるなら、痛みは、雨漏りの水が床に落ちる音、そして、おおもとの問題点は、屋根の破れなのだと。

床を拭いても拭いても、屋根の破れを治さねば、やがては、家は,腐って唐黷驍フです。
(このたとえは、歯医者さんのセミナーに行ったときのたとえ話、ちょいと拝借)




さて、熱刺激に戻ると、「なるほどねぇ、本には、何度くらいという記述がない」のは、こういうことなんだなぁと、一人で納得しながら、温タオルを取り換えるのでした。

それを三日ほど続けていると、その熱刺激の平仄がわかってくる。
確かに温めた時、心地よいのは確かです。その半日後くらいに、急に何かの動作の時に、患部が心地よさを感じて、快方に向かっていることを感じるのです。

ある部分に熱刺激を与えたら、滞りが改善されて、周りに波及するというか、流れが起こるというか、そのような体の変化が起こっていると感じます。

波及して、改善するというのは、すごいことだと、感動する。
それが、他力本願でなく、自分の起こしたアクションで、自分自身を改善改良していっているのだから、この温タオルタオルによる熱刺激療法はすごいと思う。

そして、先日の16日が、山田先生の施術の日だったのですが、膝伸ばしの体操をさらにバージョンアップして効果のあらわれるように、ご指導いただきました。

バージョンアップしたというのは、先生の指導内容がアップしたのではなく、私の受け止め方が、上手になって、結果的に、より、心地よく感じる角度を身につけてアップしてたということでしょうか。

体操は、受け止める者の感受性と習熟によって、効果が絶大に変わります。
最初は、なかなか受け入れがたく、難しく感じたとしても、受け止めたように体を動かせばよい、受け止めることが肝要で、繰り返し受け止めながら続けていると、限りなくゼロに近い効果だったのが、習熟度がアップして、絶大な効果が表れてくるのです。
そして、嬉しいと余計に体が変化したいと、思うようになれば、しめたものです。

そうすると、どんどん体が変わってきて、幸せ感を味わえるようになります。
良い体からは、素直な感性が育ち、少々の攻撃では、負けない柔軟性が育まれる。

痛みや不快感を我慢しているうちに、知らず知らずのうちに頑固になり柔軟性を欠くようになっていることがわかってくる。

痛いのは、苦しい、いやだ。

さて、熱刺激と、施術と、体操の結果、今日は、痛みからの解放だ。ばんざーい。


痛みからの解放は、幸せとしか言いようがない。
正座ができるようになるのも、夢物語ではないかもしれない。





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