風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ゼロではなくイチ

2017年03月24日 | 詩吟
今日の夢青葉はゼロではなく私が一人いるではないか!
         だから、ゼロではなくイチ

淡い期待を抱きながら、市民センターへ、一応ロビーを覗くけれど、ソファーは無人。

手続き支払いをして、1時になったけど、やはり、訪れる人は居ない。


鍵を開けて、はぁーーとため息をつく。

             今日は独り占めだ!

 
 
だから、ため息ではなく、いつもの練習を始めて、息を吐くことだ。

ただ、整体的には、ため息は、体をリラックスさせる良い意味をもっているのだから、いま、私は落ち込んだのではなく、スタートボタンを押したことになる。
 
 
発声練習をし、気を入れて、姿勢と、声の生まれるところをよーく確認して、体がだんだん温まってくるのを、感じながら、私だけのペースで進める。
 
これが、私の気持ちを引き出したようです。
最初は出にくかった声も、そして、何時までやれるかな?という不安もいつの間にか、吹き飛んで、結局、1時ちょっと過ぎから、4時半まで、中間で、小休止を入れて、テキスト順に吟詠また吟詠。

CD伴奏集「駱駝」をいつもの1本下にして、流しっぱなしにして、次々と。
吟題もテキストの順番に詠って行く。

1本下の音は、細かいところを頭の中に再現しながら、ゆったりと長く声を引いて発声するのには、ちょうど良い。
声を支えて、五言の絶句を吟じるときのように、間を取り、言葉をはっきりと言う。
滑らかさを忘れないで、はっきり言う。

最初はただやみくもに始まったのだけれど、吟じながら、それらのことを心がけながら、どう発声できているかを想像し感じ取っていくようになった。

吟詠も、哲学だわ。



気が付いたら、迷いと当惑がどこかへ飛んで行って、いつまででも吟詠し続けたいトランス状態となる。
そうなると、揺りはバンバン入るし、フェイドアウトもできるのだ。

私は、こんな吟詠をしたいと思っていたことがわかる。








三時間超えの練習は、学生時代はよくやりました。バンカラスタイルでね。

吟仲間が、一人カラオケで、何時間も練習をなさるという話を聞いて、すごいと思ったことがあります。
一人カラオケは、挑戦してみたけれど、1時間がせいぜいで、定期的には、気持ちの上で始めることができなかった。

バンカラ吟詠の矯正を始めて、何年たったかなぁ。。。
今日の練習で、声の嗄れがかなり軽減されて、発声も楽になってきたのを実感しました。
何よりも、結句の大山に、余力ができて、息が足りないことがなくなったこと。
律詩も、この調子で、スタミナが続くように、息の調整に取り組みたい。
すこし、トンネルの先が見えてきた気がする。

西のほうの人たちは、「今頃?」と言うだろうか。

やはり、私は、声を出しているのが好きなんだなぁ。

無心になれてとてもうれしい。

いつだったか、何がきっかけだったか忘れたけれど「もし、誰も来なかったら、自分の練習をすればよい」と言ったことがある。
実際にそんな日が来るとは、思っても見なかった時のこと。

カラオケ屋さんの暗い部屋では、一人でいると、空しくなるけれど、明るく広い部屋で、存分に声を出していると、いろんなことがわかってくる。

これで、自己満足ではなく、聞いてくれる人が居て、問題点を出し合って「侃々諤々」ができたらなぁ。

今日も、何度も繰り返すことで、見えて来た欠点は、転句から結句に至る低音部分の音色と構成だった。
今までは、高音部にのみ注意が行っていたけれど、この部分は、青葉の会員さんにも幾度か指摘してきたことだけど、自分自身がこんなにもできていないことが、わかり、われとわが身を振り返ることができました。


とても貴重な時間をもらいました。

この状態の二度目があるとしたら、もっと、有意義に使えると思います。
そして、もっと前向きなため息から始めよう。


4時半の定刻に、練習を終えて一人互礼をして、今日のお稽古は終わりました。

事務所へ鍵を届けた時、あまりに気持ちが良かったので、三人の事務の人たちに、満面の笑みでご挨拶ができました。なんとなく、事務方との間にフィルターのようなものがあったのだけれど、一気に消えた気がする。

これから、何かと相談することがあるでしょう。
此の気持ちの素通し感は、大事だねぇ。





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