朝、伴吟をする舞手とのご挨拶ができなかったので、チャンスを狙っていたら、午前の部の詩舞にも、出場されていたので、その、出番が終わるのを待ち、楽屋で、ご挨拶をして、一度だけ、あわせることができました。
関吟流は、譜の長いところがあって、日ごろお稽古をしている詩吟の流派での舞には、合わせにくいところがあるのでしょうが、完全に合わせて舞っていました。
若いゆえに、つたなくても、体を矯めることができるようです。
よく吟をを聞いてくださっていると、感じました。
小西如泉先生の発表会での伴吟は何度かお手合わせをして、ほとんどは、吟詠に合わせるのですが、時には、舞に合わせて、譜を変えてみたりしたことがありました。
今日の伴吟の菊穂流の舞に合わせられるのか心配していましたが、杞憂でした。
伴吟と決まったら、さっそく吟詠のテープを送ったら、送りっぱなしです。
舞手さんは、ひたすら、その吟詠に合わせて練習をして、当日の本番で初めて合わせるということが通例のようでした。
若い舞いてさんは、本当にすがすがしく、出待ちの舞台の上手と下手で、お互いにガッツメ[ズをしあって、意思の疎通をいたしました。
これで、すっと、気持ちが落ち着き、詩にほとんど目をやることなく、吟じることができました。すがすがしく邪念の無い、彼女のおかげです。
気持ちの良い伴吟でした。
そして、私の吟詠ですが、午前中の一般吟詠では、緊張が残っていたそうですが、こちらの伴吟では、よく声が出て、マイクにも遠ざからず良かったとの、評をいただきました。
私自身も、近来にない気持ちの良い吟詠でした。
この吟詠が、独吟の舞台で、できたら、良いのですねぇ。
聞いていてくださった方のコメントは、舞台も一日に、二度目になると慣れたねぇ、「だから、なんでも慣れなんだよ」と。
だから、ジャンジャン舞台に上がりなさいってことなんですね。