風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

三分通話

2019年03月29日 | 徒然に日々のことを
あれっ月曜日だったっけ?と思ったら、休み明けだから、思わず電話をしたくなったんだって。

昨日は、初めて、基本を破った花を活けたらしい。

基本通りに力のあるお花を活けるお師匠さんに20年以上師事し、その通りに活けてきた娘です。その師匠が逝ってしまって、1年後、師匠の先輩となる方の教場へ行って教えを受けるようになって、別の世界観を手にし始めたようだ。

娘との話は、イマジネーションの世界でのやり取りだから、一瞬でわかるのだけれど、それを、ここに移し替えるのは、至難の技で、誤解を招くのを承知で、書いている。

娘とのやり取りは柔らかい彩に満ちていて、楽しいのだが、文字にするとどうしてこうも固くなるのか。やれ、やれ。


師匠の生前からのお付き合いもあり、一番近い位置にいる先輩師匠と雖も、違う人格と感性でご指導いただくのだから、慣れるまでは、いろいろと苦労をしてきたことだろうと想像しています。

昨日は、亡くなった師匠の思いを汲みながら、ご自身の伝えたいことを、どう伝えるかを考えながら、娘と接して来られて、ある程度の満足感を得られたのではないかと、思います。

基本をしっかり教えられ、身につけてきたから、新しい師匠の活け方にも獅ュ対応できるようになり、褒められたのだと思う。

「あいだみつお」のへたうまの文字は、活字かと思わせるような破たんのない正確無比の般若心経を書けるまで、修業を積んでいます。
そこまで筆のコントロールができて初めて、人の心を打つ文字へと昇華したのだから、基本の基を徹底的に修行するのは、正しいことなのだろうと思う。

「基本の基をだいじに」というと、型にはまった融通の利かないというイメージになりがちだけれど、そうではなく、自在に自分と素材をコントロールできるようになるということなのだから、融通が利かないどころか、自由に飛翔する最強の技術を手にすることなのである。


娘の思いは、生き急いだ師匠にもっと長生きしてもらって、師匠のお花をもっと習い続けたかったのになぁ。

型を崩すのは、まだ早いと思っているのだろうか、それとも、それも良しと思えたのだろうか。





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