風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

納涼会

2019年08月10日 | 詩吟
江戸川道場へ。

自分の詩吟が、自分の声が、どのように聞こえるのか、知りたいと言う。

私も、そうです。

2年前からやっているはずのことを、今年の2月に、まんまと直されて、一体私は、どういう吟詠をして居るのだろうと、知りたくてしょうがない。

半音の下げ、止め、最後の音を流さない。

微妙である。

ブレーキを踏んで、このくらいで止まるはず、このくらいセーブすれば、避けられると、見当を付ける。
見当が間違うと、ぶつかって、痛い思いをする。
あるいは、届かなくて、もう一度アクセルを踏みなおす。

これは自分で、はっきりと、理解できる。そして、体が覚えていく。


そんな具合に、吟詠も、自分で確かめられて、自分で試行錯誤できると良いねぇ。

声という見えないものは、ぶつからないし、耳の具合によって、受け取り方も違うしねぇ。

大体、感性というものは、そう簡単に、割り切って決めることはできないから。


目を見張る上達をしても、それでも、完璧からほど遠いと、いくらでもダメ出しが入る。

そのダメ出しがなければ、奮い立たたせて、頑張る気持ちを起こさせることもない訳で、ダメ出しと、ご褒美とあって、バランスが取れるねぇ。

今日は、私は、ご褒美組で、良いところを見つけることをした。
気持ちが良かった。

手放しで、誉めることができるのは、ダメ出しをする人がいてのことであるから、今日は、良い人の役をさせて頂いて、ありがとうございました。

吟詠も、関吟の流統から外れない限りは、それぞれの好みで、吟じて良いはず。
コンクールの規定通りの吟詠をするのも良し、自分の感性とテクニックで、好きに吟じるのも良し。

ご指導いただく先生によって、変わる場合もあるし、変わらない場合もある。

自由にのびのびと吟じて、その人らしさを演出するも良し。


型にはめながらも、自由に吟詠するのも良し。

一番型を重視する発言をしながら、実は、自由に吟じたいのは、私自身。

さて、あなたは、どっちを選ぶ?
場面場面によって、吟じ分けるそれって、
甘い?すっぱい?からい??



だから、詩吟は、面白い。





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