風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

最後の忘年会

2019年12月24日 | 詩吟
今日は、芦孝会の教場の中で今年の一番最後に出席する忘年会。

去年正式発足をして、順調に成長してきている吟詠池上サークル。
名前にカタカナがついているのが、唯一の私の不満だけれど、深い思いがあって、S先生が命名したのだから、文句を言う筋合いではない。

高齢の参加者を大切に感謝して、会員としてお迎えして、その方たちが定着して居るのは、先生のお人柄によるのでしょうか。
そして、そのサメ[トをするビジターの女性会員もいて、とても暖かい。
その傍らでは、コンクールに特化した練習にも十分に対応している。

今日は、他教場のような一言一吟ではなく、最後の一時間は、新A≠Pの1から10番までの漢詩を、本数を変えての連続全員合吟。

これが、とても良く、心身がほぐされ、新人さんたちには、吟詠の構成が、ほんの少しでもつかめたかと、思われました。
経験者には、合吟の連続をどの程度楽しんだかは測り兼ねますが、こんな時間を持つことがとても大事とわかったらよかったなぁ。

喉の調子も整って、会員さんのお店へと繰り出して、忘年会。
滑らかになった喉で、カラオケを堪能、お酒もかなり酌み交わしていました。
私も、おちょこに一杯は頂きましたよ。

去年のこの会では、カラオケを不承不承お付き合いでやりましたが、今回は、チャンと準備して、私としては満足の行く歌でした。

この処、家での練習がままならなくなったので、カラオケを利用することがあり、発声練習の代わりに、適当な歌を歌っていたら、音の高さと歌う気分がわかって来て、とりあえず、楽しく歌えるようになったのは、一つの効用でした。




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体を固くする

2019年12月24日 | 徒然に日々のことを
「夢をもって、花を咲かせよう」の言葉は、自分に向けてのものであった。
人から、受けるものではないと、わかってくる。

そして、一つの花を咲かせれば、その花の良い香り、優しい彩によって、周りも幸せになり、やがて、その花が寄りあって、満開になる。

頭だけで考えたこざかしい言葉であったけれど、今、体がほぐされて、リラックスして、凝り固まってしまった頭も、ほぐされてくると、自分でも気が付かなかったその先にあるものが、浮上して来て、あらたな気づきを得た。

先日の、おちょこいっぱいの日本酒に、絶妙にほぐされて、柔軟な心持ちを、体験しました。
お酒も良いものだと、過ごさないで、良いタイミングで、飲み終える術を心得たお手本となる人たちが、私の周りに居らっしゃるので、その飲み方を、見習おう。

酒とは、良きものなのねぇ。

心がほぐれると、体もほぐれてくる。
ほぐれてくると、凝り固まっていたのが、やっとわかってくる。

首のこわばりから、かなり解放されて見ると、見えてきたこと。

そして、喉を詰めて歌うことから、かなり解放されてきたら、歌も歌えるようになってくる。
そして、無理をしないで、音を下げてみると、もっと、楽で、楽しい。

こだわりがなくなってくると、気になっていたことが気にならなくなるものだ。

そして、選択をするのが、楽になる。

「何かの決断で、別れを余儀なくされることがあっても、時が過ぎ久し振りに出会った時、穏やかに目合わせができ談笑できるような解決でなければ」と思う。

そのような決断をせねばならない局面に居るわけではないけれど、かつて、短絡的に、チョキン!と切ってしまったことがあるからねぇ。

良いときに、この言葉に出会ったものだと、何かの思し召しを有り難く頂こう。


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