風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

「長恨歌の世界へどうぞ」その1

2020年01月16日 | 論語と
須藤先生の越ケ谷コミュニティセンタ―の、講座「長恨歌」が、今日、第一日目を迎えました。

須藤先生が、読み解いて、その中の抜粋部分を、私たち吟詠メンバーが交代で、吟じます。
120行もある漢詩を、一挙に吟じきることは、未だかつてありません。
(yutubeで、関吟青年部が構成吟を乗せているようです。)
今日のように、解説をしていただいた上で、吟じるというのも、なかなかありません。

数年前にも須藤先生が「長恨歌」の講座を開きましたが、今回は先生の吟詠指示の箇所がかなり増えました。

一つには、須藤先生の私たちの吟詠への期待感が増大してきたこと。
二つ目は、吟詠でサメ[トするメンバーが増えたこともあるからでしょう。

先生は、自由にお話をして、おもいのままに吟詠の指示をする。
今日も、事前の打ち合わせとは違う順番で、講義がはじまり、思いがけないタイミングで吟詠の指示依頼がありました。
シナリオのない、運び方です。

それに、即座に対応できるのは、吟詠メンバーの実力のほどと、懐の深さであり、「人となり」ではないかと思う。

シナリオのない講義ができるのは、ひとえに、先生の深く広い学びと、周到な準備と、強い意志があるからこそです。
あまりに、語りたいことがあるので、その時の思いの強さによって、展開が変わってくるのでしょう。

私のような凡人には、到底、及びもつかないことです。

才能豊かな吟詠仲間が、どんなことにも、驚きもせず、淡々と、やってのけた。


今朝の娘の電話に、「ひととなり」というのが出てきたなぁ。


『優れた科学を生み出すのは「知性」だと多くの人は言う。
彼らは間違っている。
それは「人となり」である。 / アインシュタイン』



その言葉を、飲み会で、話題提供しようとしたら肝心な「人となり」の言葉が、どうしても口の端に登らなくて、やむなく断念。

いい気分の時に、したり顔で、この言葉を出さなくて良かった。
もう少しよく考えてみよう。

日本語の素晴らしさと、漢字の魅力についても、言及した今日の飲み会でした。




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