風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

喉と声

2020年08月29日 | 体を整える
昨日の施術の時に、山田先生も、「声は出さないと出なくなる」とおっしゃった。
でも、喉の詰まった状態で、無理な声の出し方をするのは、どうしてもできない。

少人数でも、広い場所に広がっていては、声も届きにくく、無理に声を出そうとして、だんだんに声が出にくくなってくる。
それでも、出さなくてはならないだろうか。
できれば、ささやき声で話したいのに。

ここは、未だかつてない、苦労のしどころなのだろうか。

体に聞いてみる。喉に聞いてみる。

喉は、声を出したくないと言っている。

そうなんだねぇ。

ちょうど、休止時期に、体の声を聴き、心の声を聴き、ゆったりと時間を過ごし、山田先生の教えを守り、教えを乞い、体の調子も上向きになってきたことだし。

この喉の問題は、体の声を聴いてみようと思う。

練習ありきではなく、私の「体の声」主導でね。

本をぱらぱらとしてみると、飛び込んできた言葉は、「無意識のうちに肘をついたり・・・」と言う部分。

肘をついていることに気が付いて、慌てて手をおろすと言うことが、まだ、結構あるなぁ。

それは、肋骨を支える力が足り無いってことかも。

大きく前に出ている肋骨は、後ろにある1本の背骨のアーチの弾力をもって支えねばなりません。そして、背骨の土台としてすべてを受け止めているのが、骨盤。

骨盤の負担が大きくなると、肘をついたり、足を組んだり、何かに凭れたりするようになる。
その動きが、ねじれとなって、骨盤に一層無理な力をかけてしまうようです。

最近、背もたれによりかかったり、足を組んだりが無くなってきたけれど、ともすると、肘をついているなぁ。

まだまだ、いろんなところに負担がかかっているわけで、その元凶を、井本整体で、正しい位置に戻しているわけです。

私の場合は、喉の当たりに問題ありと言うことは、それは、どう考えたらよいのだろうか。

ひざの痛みにしか興味の無かったのだが、本当のところは、膝ではなく、別のところにもあったという訳なの?

痛みを発する膝から出発して、太もも、股関節、肩から喉へと、先生とお話をする部位が、どんどんと変わって、動いて行く。

それって、核心に近づいているってことなの?

うーーーん、だんだんと面白くなっていく。

どこに向かって行くのか、興味津々。

一筋縄ではいかない、体の物語は、動きだして、面白いエピソードを聞かせてくれるらしい。
それは、とりもなおさず、楽器としての体の物語でもある。

死ぬまで鳴り続ける楽器の「想像」、「創造」、「創作」、「捜索」、「探検」、「探索」「ねじれ」、「もどす」、「のばす」 「もどす」 どの物語に、興味がある?

生まれた時の、束縛の無いからだに、戻れると思う?

ねじれや、拘りが、大人になるの言葉の呪縛から、柔軟性を欠いて今の体になったのを、元に戻すには、何が必要なのだとおもう?



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