風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

喉のつまり

2020年08月28日 | 体を整える
今日の収穫は、後頭部に意識を集中して行う体操を教えていただいたこと。

会話の中から、問題点を拾い上げるようにして、指摘くださいました。私の、不満(主に痛み)を解消するという形で、これまで、改善方法を指摘して下さったのですが、こんな形で、体操を教えていただくのは、初めてかもしれません。

その体操を行うと、頭の縛りが無くなって、何時も頭の中で鳴っていた音が、消えていくようでした。

「騒音になれていて、その音が無くなって初めて、騒音があったことに気づき、その騒音に対して意識しなかったストレスがあったことがわかる」というような図式。
頭と体の連携は、すれ違いがちと言う例の問題。

これは、喉へも影響があって、詰まっているようです。
これで、喉に関しては、二つのアプローチがあるということがわかりました。
これでは、伸びやかな声は出ないでしょうね。

こんな大きな気づきを下さったので、せっせと体操に励みましょう。
ただ、先生は、ちょっと難しいのですがとおっしゃりながら、教えてくださっただけに、微妙なところで、ャCントがずれてしまいます。
さらに、右手の動きから、左手の動きに移るとき、右の手の動きと角度で、せっかくャCントを掴んでいても、左手を動かそうとするちょっとした気持ちの動きにも、ふっと気が緩んで、目標を失ってしまいます。

はじめは、先生のサメ[トがあって、やっとできるのはいつものことですが、これは、特に家に帰ってやってみても、思いだすものがない。

こういう場面は、症状が生半可ではないということです。
ャCントを捉えるまでには、いく度となく、サメ[トを得ながら、繰り返すしかありません。

繰り返して、わけがわからないままに、体操を行っているうちに、やっと認識できる。
騒音を騒音と認識して、やっと、次の手が打てるわけです。

そういう、メカニズムがわかってくると、見えない、手ごたえがないものに使づいて、色を付けていく作業が、面白い。
色がついてくると、的となって、認識できる。そうなると、こっちのもの。

今、楽しく加減をしながら、体操ができるようになった部分については、面白いほど、改善が始まる。
あくまでも、心地よく感じるところで、ストップ。やりすぎはいけません。

気持ちが良いと感じるャCントは、角度、力の加減など、すべてが弥次郎兵衛みたいなばらんすで、生じるものであることが、またまた、わかってしまった。

無理やりとか、頑張ってとか、目いっぱいなどと言う表現は、そこには、無い。

そこに向かう気持ちは、脱力して、こだわらないことなのだと思う。



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マイクではなく拡声器

2020年08月28日 | 徒然に日々のことを
マイクではなく拡声器で、検索をしたら、格安で、目的のものがあった。

マイクとは、集音であったのだ。

見つけられるはずがなかった。

パソコンを始めたころは、検索ワードが適切ではないと、なかなか目的のものがさがせなかったものです。
お気に入りにいれることを忘れて、同じところに飛んでいこうとして、記憶では同じ言葉を入れたはずなのに、どうしてもたどり着かないことがあった。

最近は、いい加減にいれても、スペースで重ねて検索ワードが受け付けられるから、検索は、とても簡単になった。

それでも、マイクと拡声では、逆意味であたことが、探し物の失敗で、初めてわかる。
お笑い草だねぇ。
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