野村萬斎著 「狂言サイボーグ」日本経済新聞社刊
萬斎さんの首は、長いのだそうで、トロンボーンを想起してしまうそうです。
なぜなら、発声する声の高さによって、ノド仏の位置が変わるからです。
そうだったんだねぇ。やっぱりノド仏の位置って、変わるのよねぇ。
高い音の時は、私は、つむじに抜けるように出すのだけれど、低い音の時は、喉を開くようにしているつもりだったんだけど、それって、ノド仏の位置を下げるためだったのか。
高い音から、急に低い音に下がるとき、声が濁るのは、高い音のためのノド仏の位置で低い音を出すからなのかもしれません。
音程を変えるために、ノド仏の位置に頓着するなんて、考えたこともないからねぇ。
ゆっくりと降りてくる時は、意識しなくて、そのように動くのだろうけれど、素早く音程を下げなくてはいけない時は、しらないから、それができてなくてやみくもに音程だけを追求していたんだねぇ。
それが顕著な方に、どのように伝えたらよいのかわからなかったのですが、このことをお伝えしたら、わかっていただけるのでしょうか。
発声練習は、声に特化しているようだけれど、本当は、体の動かし方の訓練なのよねぇ。
発声について、専門的に習わないで、朗読の延長で、詠うと、このようなことが起きてしまうのでしょう。
見よう見まねで、身につけてきた、怨みとでも申しましょうか。
階段を上り下りする発声練習では、出来ないことが起こっているわけです。
何の意識もせず、そのコントロールのできている天才的な発声巧者もいるので、「あれ?おかしいなぁ」で、やり過ごしているらしい。
体のことから、アプローチしている私に取って、すごいことを教えていただきました。
もっと、体の使い方について、習熟して、見てわかる発声を身につけなくては。
声を出せないでいる時に、よくぞ、発見をしたものだ。
目標ができて、体も喜んでいるなぁ。
補習授業では、自分の時間もきっちり確保しよう。
この本、読み進んでいくと、体と声の関係が、良く表れています。
そして、「漢字」と言う章もあって、興味が湧くことばかりで、面白くてしょうがない。
題名についた「サイボーグ」の意味が、解明されて行くらしくて、うずうずしています。
そして、かつて、狂言師のところに、お話を伺いに言ったこともあったねぇ。
あの時は、せっかくのお話から、学びきれなかったなぁ。。。