原田マハも、方向音痴なんだそうです。
「山側は北。海側は南。方向音痴の私でも、神戸では方角を間違えようがない。そんな大らかな地図のような街が大好きだった。」と、言っている。
私が、方向音痴を自覚するようになったのは、関東平野に住むようになった時。
私も、《山側は北》の倉敷に育ったから、山がないと北を認識できないのです。
原田マハは、大原美術館に来たことがある。執筆のための取材だったのだが、長いこと、私は、大原美術館のキュレーターだと思っていました。
彼女は、創作するについて、走りっぷりは、まだ、1文字も書いてないのに、書きあがった先のことを約束させるほどの前のめりさんです。
なんとなく好ましいのだけれど、なんとなく気に入らないところのある、今までにない個性の人。
美術館巡りの番組のあるじにもなったし、ちっとも迎合せずむしろ戦っているようなところが、好きであり、嫌いであるのです。
きっと、「大原美術館」を餌に吊り上げられたと(楽園のカンヴァス)の被害妄想を、不遜にも思っているからかも。
自分でも笑ってしまう。
「山側は北。海側は南。方向音痴の私でも、神戸では方角を間違えようがない。そんな大らかな地図のような街が大好きだった。」と、言っている。
私が、方向音痴を自覚するようになったのは、関東平野に住むようになった時。
私も、《山側は北》の倉敷に育ったから、山がないと北を認識できないのです。
原田マハは、大原美術館に来たことがある。執筆のための取材だったのだが、長いこと、私は、大原美術館のキュレーターだと思っていました。
彼女は、創作するについて、走りっぷりは、まだ、1文字も書いてないのに、書きあがった先のことを約束させるほどの前のめりさんです。
なんとなく好ましいのだけれど、なんとなく気に入らないところのある、今までにない個性の人。
美術館巡りの番組のあるじにもなったし、ちっとも迎合せずむしろ戦っているようなところが、好きであり、嫌いであるのです。
きっと、「大原美術館」を餌に吊り上げられたと(楽園のカンヴァス)の被害妄想を、不遜にも思っているからかも。
自分でも笑ってしまう。