熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

私のショルダー・バッグの中身

2014年01月09日 | 生活随想・趣味
   若い頃には、外出する時には、最小限の手荷物にして、殆どのものはポケットに収容して、荷物を持って行かないことにしていた。
   しかし、何時からかは定かではないが、ショルダーバッグを使うようになった。
   通勤時に、混んだ電車でも本を読みたかったので、仕方なく使い始めたのかも知れない。

   必ずバッグの中に入れているのは、ハンカチやティッシュ・ペーパー、最低限の薬、折り畳み傘等々、それに、最近では、意識してかせずか、読書用メガネ、双眼鏡、カメラが入っている。
   何のことはない、私の趣味を満足させるための小道具で、メガネは、暇を見ては本を読むため、双眼鏡は、観劇などのため、そして、カメラは、時に及んでスナップ・ショットを撮るためである。

   この三つの道具は、私には必須だが、時々、なくしたり故障したりで、困ることが多い。
   メガネを壊したり、なくすケースが一番多く、そんなことは、年に二回くらいはある。
   先日は、偶々、国立能楽堂で、バッグから双眼鏡を取り出そうとしたはずみに落としたようで、翌日、電話を架けて聞いてみたら、保管して頂けたようで助かった。
   幸いと言うべきか、紛失頻度が高いので、目の調節が、その都度行われるので、調子は、アップツーデートで、不都合はない。

   双眼鏡は、私の場合には、遠方でなくて、至近距離でも、役者の表情や人形や面や衣装などは勿論、楽器の動きなども、アップで鑑賞することが多いので、非常に重宝している。
   一番最初に使い始めたのは、フィラデルフィアからニューヨークのメトロポリタン歌劇場に通っていた頃で、ピカデリーサーカスのカメラ店で、ビクセンを買った時である。
   もう、何代目になるか、先日、長く使っていたニコンの10×25の双眼鏡のピント合わせが出来なくなったので、やはり、ニコンの新しい双眼鏡に代えた。
   普通、劇場用の双眼鏡は、もう少し、倍率が低く簡易なものが利用されているが、私は、ずっと、普通のスポーツや野外用の小さい双眼鏡を使っている。
   このようなかなりシッカリした双眼鏡でも、すぐに、ピント合わせがダメになって、これまでに、ビクセンやケンコーなど、ボツにしてきた。
   昔のことを考えれば、双眼鏡の質も随分と向上したものだと思う。
   美術館や博物館などに行く時には、単眼鏡を持って行くことがあるが、偶にしか行かないので、忘れることが多い。

   カメラも、これで何代目になるのか、随分、多くのカメラを使って来たが、デジタル化した所為もあって、最近では、非常にコンパクトで質が向上したので、常時携行していても苦にはならなくなった。
   昔の銀塩カメラ時代には、野外で写真を撮ろうと思えば、かなり大きなカメラとフィルムなどを携行しなければならず、大変だったが、最近では、名刺大くらいのコンパクトカメラで、プロ並みの写真を撮れるようになったのである。

   さて、これだけ、バッグに携行しているだけなのだが、コンパクトながら、結構、重い。
   それに、私の場合には、必ず、2~3冊の単行本が入っており、これに、何か買い物をしたものが加わると、バッグがパンパンになって、重くて苦痛になる。
   尤も、若い人たちも、ノートパソコンやタブレットを持っているが、これなども大変かもしれない。

   中学生の頃のように、タスキ掛けでバッグを下げれば良いのだが、何故か、良い歳をしてと言う思いがあって出来ない。
   運動不足でもあるので、多少、重くても辛抱して歩けば、カロリーカットにもなるとやせ我慢気味のところもあるのが、一寸、気にはなっている。
   
   
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初春大歌舞伎・・・「東慶寺花だより」

2014年01月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   歌舞伎座の新作「陰陽師」に安倍晴明役で主演した市川染五郎(40)が、再び新作に挑戦したのが、今回の「東慶寺花だより」。
   井上やすしが、駆け込み寺で有名な鎌倉の東慶寺を舞台にして描いた男女の悲喜劇物語を、非常に軽妙洒脱なタッチで、歌舞伎化していて、非常に面白い。

   ここで、登場するのは、夫を愛するが故に駆け込んで来た唐子屋内儀おせん(片岡孝太郎)、女房お陸(片岡秀太郎)に頭が上がらず激しい夜の要求に音をあげて逃げてきた作り酒屋国分屋惣右衛門(中村翫雀)、幼馴染に添いたくて労咳を装って堀切屋の隠居から逃れようとする妾のおぎん(市川笑也)。
   悩み抜いて必死になって苦境から逃れようと足掻きながら、東慶寺に駆け込んで来た夫々の男女を題材にして、医者見習の信次郎(染五郎)が、そういった女性たちの身柄を預かる東慶寺門前の御用宿柏屋に間借りをしながら、滑稽本の作者として修業中であり、彼の目を通して、悲喜劇の数々が展開される。
   「蚤蚊虱の大合戦」と言う奇天烈な滑稽本しか書いたことのない新米戯作本作家の信次郎に智慧をつけながら、狂言回しを演じるのが、柏屋主人の源兵衛(彌十郎)で、雇い人たちが、茶々を入れてかき回す。

   面白いのは、駆け込み寺である東慶寺の尼僧模様で、男子禁制であるから、男気に縁のない女性だけの世界であり、男だと言うだけで、色めき立つ庵主法秀尼(東蔵)や法光尼、そして、駆け込んで来て修業をしている女たちの男を見る目が、実に面白い。
   固い筈の法秀尼の藤蔵が、医者代理として患者おぎんを診察に来た信次郎に「若い若い」と言いながらそわそわしながらすり寄ったり、男・惣右衛門が駆け込んで来たと聞くと、信次郎をそっちのけで駆け出して行ったり・・・。

   駆け込み寺であるから、男でも離縁できると勘違いして、遠路はるばる大坂から逃げてきた恐妻家の惣右衛門の翫雀と女房お陸の秀太郎は、大阪弁丸出しのしゃべくりで、特に、翫雀の一気に滔々と吐露する女房の寝間での責め苦をまくし立てる語り口は、藤十郎の紙屋主人の治兵衛の語り口を彷彿とさせて、味があって実に面白い。
   エスプリも諧謔のひねくりも衒いも一切なく、ストレートで思いをまくし立てるこの語り口は、大阪の漫才の世界そのものであろうか。
   上方歌舞伎の重鎮秀太郎の色摩と称された大坂の大店のおかみ・お陸のアタック姿も、新鮮で面白かった。
   とにかく、江戸時代、幕府公認の縁切寺であったこの鎌倉の東慶寺に離縁を求めて多くの女性が駆け込んで来たのだが、男の駆け込みを扱った発想が実にユニークで楽しい。

   そして、舞台をギュッと引き締めていたのは芸達者なおせんの孝太郎で、立て板に水、染五郎や彌十郎の受け答えを手玉にとって受答えする間合いと語り口の良さは、流石である。
   もう一人の駆け込み人のおぎんの笑也だが、実に、ムードのある役者で、薄幸の女を演じさせると、これ程雰囲気のある風情を感じさせて、しっとりと語りかけてくれる人はいない。

   さて、主役の染五郎だが、謂わば、原作者の井上ひさしの分身と言うべきか。
   コミカルタッチのピボット的な役回りだが、このあたりの芸域の広がりは、実父幸四郎よりは、叔父吉右衛門に近く、弥生まで演じ切れる染五郎であるから、これまでにはなかった万能役者としての高麗屋の始まりであろうか。
   井上ひさしの世界からは、まだまだ距離のある駆け出し状態かも知れないが、今、近松門左衛門の心中ものを演じさせても、江戸ベースの役者としては最高峰の役者であるから、将来が楽しみである。

   さて、東慶寺だが、私は、花の寺として、良く訪れる。
   元尼寺であった所為もあってか、花木や草花の植栽が実に優しくて、一風、イングリッシュ・ガーデンの雰囲気があって良い。
   鎌倉に移り住んだので、すぐに行ける距離になったが、まだ、その機会はない。
   
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新春の歌舞伎座の賑わい

2014年01月05日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   関西と比べて、東京の冬は、天気も良くて、かなり温かく、夏もそうだが、過ごし易いと思っている。
   今年の新春も、天気が良くて穏やかな日が続いた。

   今日午後、思ったより寒かったが、歌舞伎座の夜の部の観劇のために、東京に出かけた。
   正月休みの最終日と言う中休みの所為か、東海道線も空いていて、社内で本も読めた。中川右介の「坂東玉三郎」である。

   時間があったので、散歩も兼ねて、新橋で下りて、木挽町まで歩くことにした。
   日曜日なので、中央通りは歩行者天国となっていたし、かなり、商店もオープンしていたが、客は疎らで、イルミネーションをバックにして、中国人らしきグループが写真を撮っているのが目立った程度であった。
   銀座を歩いていて、一眼レフの大型カメラを構えて写真に興じているのは、大概、中国人(恐らく、香港か台湾の中国人)で、若いカップルの数グループであるか、あるいは、地方からだと思える日本人のアマチュア・カメラマンと言った感じである。

   歌舞伎座に着いたのは、丁度、昼夜入れ替え時間であったので、歌舞伎座の前は、客でごった返していた。
   尤も、あっちこっちで歌舞伎が上演されている所為なのか、何故だか分からないのだが、チケットも随分残っているし、空席もあって、杮葺落公演も色褪せたのか、劇場の賑わいも、もう一つで、賑わっているのは、三階席ロビーの鯛焼きコーナーだけであろうか。
   
   
   

   ロビーに入ると、やはり、正月飾りの華やかさもあり、それに、着飾った和装の婦人客も多いので、ホンワカとした新春の香りと雰囲気が漂っていて、中々、良いものである。
   正面に、でんと大きなお鏡餅が置かれていて、二階ロビー下の袖の提灯や凧等のディスプレィが華やかで面白い。
   元々、歌舞伎の舞台そのものが、極彩色の世界であるから、欧米の劇場とは違って、華やかであれば華やかである程、雰囲気が出る筈なのである。
   ロビーには、看板役者である藤十郎、幸四郎、吉右衛門の御婦人方が、おられた。
   
   

   仮名手本忠臣蔵の「山科閑居」の後の休憩で、外に出ると、もう、真っ暗で、銀座方向のネオンは明るかったが、珍しく、歌舞伎座の前の道路は、閑散としていた。
   この日の観劇の印象記は、別稿に譲るが、この「山科閑居」は、仮名手本忠臣蔵の中でも、最も充実した舞台だと思うのだが、他の段と違ってストーリーとしての連続性に欠けるので、通し狂言から外されることが多い。
   今回は、幸四郎と吉右衛門と言う決定版とも言うべき役者が、加古川本蔵と由良之助を演じるのだが、重鎮過ぎる芸の頂点を極めた筈の藤十郎が戸無瀬を、そして、梅玉が力弥を演じており、お石の魁春は、適役だと思うのだが、舞台そのものが余りにも重すぎて、劇薬を飲んでいるようで、芸術としてはそれで素晴らしいとしても、私には、すんなりと楽しめなかった。
   その意味では、最後の井上ひさし原作の新作歌舞伎「東慶寺花だより」の、染五郎以下芸達者なパンチの利いた役者たちの軽妙洒脱で、謂わば、中身は無味乾燥ながら、恋ありお色気あり、最後はあべこべ社会を笑い飛ばすと言うオチで終わる舞台が、結構楽しませてくれた。
   
   
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ガーデニングの初仕事

2014年01月04日 | わが庭の歳時記
   穏やかな温かい日であったので、庭に出て、花木を相手に時間を過ごした。
   初仕事と言っても、まず、これまでの庭の手直しと言う感じで、植え替えも含めて、私自身が、千葉の旧居から、鉢植えで持ち込んできた花木を、適当なところに、植えることである。

   専門の庭師が作り上げた庭なので、ガーデニングの定石に従って植栽がなされていて、多くの種類の植木や下草が整然と植えられているのだが、当然、自然主義の私の趣味とは大きく違っていて、バラもなければ、椿の木も申し訳程度にしか植わっていないし、牡丹も芍薬もない。
   クリスマス・ローズはかなり植えられているのだが、春や秋の草花は、地上部分が出ていないので、水仙程度しか分からないが、枯葉や実から見るとアヤメや菖蒲系統が、かなり、植わっている感じである。 
   上部が枯れてなくなっているもので、私が持ち込んできたのは、数個のユリの球根と、芽が出始めた数株の芍薬くらいだが、それ以上、掘り起こす余裕がなかった。
   この庭も、植木が植わっていないところなど掘り起こしていると、良く分からない球根や宿根が出て来くるので、春には、何らかの花が咲くのであろうが、無視して、花木を植えることにした。

   まず、夏椿だろうか、大きな木の下の花壇に、何も植わっていなかったので、万両、千両、やぶこうじなどの実もの、それに、まだ小さいので、黒椿のナイトライダー、プロフュージョンと言う小リンゴの木などを植えた。
   大きな松や梅、ハナミズキ、ネズミモチ、モミジと言った主木の下などの、庭の要所要所の空間に、ジョリーパー、タマグリッターズ、ピンク賀茂本阿弥、式部、フルグラントピンクと言った私の好きな椿を植えつけた。
   多少木陰にはなるが、黄色い牡丹を数株持ってきたので植えつけ、多少、日当たりの良いところに、芍薬を植えた。
   龍のひげ、ツワブキ、ヤブラン、ミヤコワスレ、クリスマス・ローズ、ピンクユキヤナギ、それに、名前を失念した下草類も、適当に植えつけてみると、少し、恰好がついて来た。

   全く自己流で、植木本やテキストでの指南や園芸の定石から離れているのだが、元々、日本庭園に、多くの花木を持ち込もうとしているのであるから、無理は承知の上での話で、季節の移り変わりを身近に感じながら、私自身が、楽しめれば、それが、一番良いと思っている。
   まだ、少し、大きくなるので、菊枝垂桜、鹿児島紅梅、獅子頭モミジを、何処に植えるべきか、まだ、逡巡している。
   バラは、当分、鉢植え栽培だけにして、様子を見ようと思っている。
   私としては、必ず、何かの花を咲かせておいて、何時でも、庭の花を摘んで、花瓶などに挿して楽しむのを旨としていて、その中でも、バラは、四季咲きが多くて、格好の花なのである。

   まだ、千葉の家は、庭を壊したくないので、何の手も打たずに、そのまま、残したままで出て来た。
   晩秋に植木屋さんが手入れをしてくれたので、綺麗な状態で、椿など、侘助は咲き、他の椿の花芽が膨らみ始めていて、春の準備を待っている筈である。
   初春にピンク八重の枝垂れ梅が、放物線状の綺麗な弧を描き始めると、引き続いて、沢山の椿が咲き乱れるのだが、誰か、私が我流で作った庭ではあるけれど、愛でてくれる人が、引き継いでくれればと思っている。
     
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交通渋滞の経済効果は如何に

2014年01月02日 | 政治・経済・社会
   毎年、正月2日には、菩提寺を訪れて新年を祝うことにしている。
   鎌倉に移転したので、今年は、長女夫妻の運転で、かなり、朝早く家を出て佐原に向かったのだが、横浜の高速で事故車が交通渋滞を引き起こして、大分、遅くなってしまった。
   しかし、帰りの道中はもっと悲惨で、事故車もあったりしのだが、Uターンラッシュの始まりか、理由は良く分からなかったが、習志野あたりから少しずつ渋滞し始めて大井まで、都内の道中は、殆ど激しい渋滞で、車が動かなかった。

   尤も、今まで経験した交通渋滞で最悪と言う訳ではなかったが、年末年始の民族移動の最盛期ではなかった筈なので、首都圏の交通の激しさと言うか、人口稠密と言うか、東京一極集中と言うか、正月早々、その異常さにびっくりした。
   朝晩の通勤で、実際に自分で運転して通ったのは、アムステルダムとロンドンしかないので、一般的なことは語れないが、ロンドンの場合には、キューガーデンからセビル・ロー通りまでの道中で、ヒースロー空港を結ぶ幹線道路でもあったので、かなり、渋滞することはあったが、それでも比較的交通は流れていたし、特別な事情がなければ、これ程、渋滞状態を経験することはなかったように思う。

   そして、クリスマス休暇や夏期休暇のハイシーズンに、ヨーロッパの各地やイギリス国内を車で走りながら、休暇を過ごしていたが、例えば、パリでもフランクフルトでもウィーンでもコペンハーゲンでも、何キロにも亘る交通渋滞など、幸か不幸か、経験したことはなかったし、当然、その間のハイウェイやアウトバーンでも、同じく、交通渋滞に苦しむことが、殆どなかった。
   ある時など、イタリアの北端からブレンナー峠を越えて、ドイツをアウトバーンで通過して、夕刻にはアムステルダムに帰りついたことがあるが、ヨーロッパでは、そんなことが出来るから、ドイツなどでは、都市間のビジネス移動は、アウトバーンでの車が主体だと聞いていた。
   尤も、随分前の話などで、現状はどうかは知らないが、日本の首都圏の交通渋滞が、東南アジア各地の大都市などの交通渋滞同様に異常であることには間違いないと思っている。
  

   さて、問題は、日本の都市間交通や首都圏交通などの運輸交通システム、特に、道路交通体系そのものが、適切なのかどうかと言うことである。
   尤も、道路交通システムの隘路は、地方や田舎でも起こっていて、私など、千葉に長く住んでいて、296号線や51号線でも、もう、随分以前から必ず渋滞を起こして交通を遮断して、慢性的に渋滞状態を惹起している個所があるにも拘わらず、一向に解消されることがないのを見ていると、日本の道路交通行政の貧弱性を疑わざるを得なくなる。

   むだな公共事業を減らして社会保障や子育て支援に財源を回そうと、民主党が2009年の総選挙で掲げた「コンクリートから人へ 」と言った提言について、とやかく言うつもりはないが、何が無駄かと言う定見もなしにスローガンを豪語する前に、コンクリートの構築およびその活用体制が適切なのかどうかを、考える常識なり知見を持つべきだったと思っている。
   高速料金をタダにすれば、経済が活性化するのではなくて、道路交通システムを、サラサラの血液の流れのように、如何にすれば、スムーズに脈打ちながら流れるのか、その方策なり実現への戦略戦術を知恵を絞って考えるのが先であった。

   交通経済学について、特に、勉強したわけではなく、専門家でもないので、これ以上深追いするつもりはないが、このような慢性的交通渋滞を起こしている道路交通システムが、果たして、日本経済に、どのような効果を持っているのかと言う問題提起をしておきたい。
   この現象について、日本経済に、経済効率の悪化を来しており、著しい無駄と損失を惹起していると数字をあげて、マイナス効果を非難した論文が発表されたこともあった。
   大方の考え方は、これに倣うものと思われるが、逆に、無駄と苦渋を引き起こすことによって、無理に支出する必要のない支出や出費を出させて、経済需要創出効果で、経済効果をあげようとしているのではないかと、変な勘繰りをしたくもなる。
   
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新しい年にあたって思うこと

2014年01月01日 | 生活随想・趣味
   久しぶりに、大晦日は、紅白歌合戦を見て、ゆく年くる年の日本の風景をテレビで眺めながら、新年を迎えた。
   悠々自適と言うか、昔のように、すまじき宮仕えからも離れて、勝手気ままな晴耕雨読の生活に入ると、特に、新年と言っても何の特別な感慨もないが、それでも、自分なりに充実した新しい年を送りたいと言う気概はある。

   この口絵写真は、旅行で10年ほど前に行ったフィラデルフィアの「自由の鐘」越しに見たインディペンデンス・ホールで、いわば、私が、40年前に、海外に開基(?)した原点のような原風景なのである。
   今は、この割れた自由の鐘は立派な祈念館に安置されているのだが、当時は、インディペンデンス・ホール中央に無造作に置かれていた。
   これまで、何百回と言う程飛行機に乗って海外を歩いて来たが、この時、初めて飛行機で海外に出て、このフィラデルフィアで2年間過ごしながら、何度もここを訪れて、アメリカ独立の息吹を感じながら、発奮した。

   私は、今でも、大学院生活を、このフィラデルフィアで送れたことを、幸せだと思っている。
   ペンシルべニア大学は、アメリカ独立宣言を起草したベンジャミン・フランクリンが1740年に創立したアメリカ最古のユニバーシティだが、このインディペンデンス・ホールは、アメリカ独立の原点であり、狭い質素な議場の中の、この目の前で、ワシントンやジェファーソンやフランクリンたちが、口角泡を飛ばしてアメリカの独立について激論を交わしていたのだろうと思うだけで、胸の高鳴りを覚えて感動した。
   ボストンなども、アメリカ史にとっては貴重な都市だが、フィラデルフィアは、格別であったような気がする。
   
   アメリカについては、色々な思いが錯綜しているのだが、一宿一飯の恩義を感じる以上に、偉大な歴史と伝統を持った素晴らしい国だと思っており、私自身が、国際戦士(自分では、そう思っている)として、心置きなく戦えたのは、このフィラデルフィアでの経験と勉強があったからだと思っており、私の今日ある姿の原点でもあった。

   こんな感慨は、シェイクスピアの故郷・ストラトフォード・アポン・エイヴォンの街の中を歩いた時も、シェイクスピアもここをあるいた筈だと感じて感激したり、ロンドンのイタリアン・レストランのクォ・ヴァディスの3階の屋根裏部屋で、ここで寝起きして大英博物館に通い詰めていた筈のカール・マルクスに思いを馳せたり、ヴァチカンでミケランジェロやラファエロを感じたり・・・そんな思いは数々あるが、フィラデルフィアでの思いは、最初であるから強烈であった。

   ところで、私の新年での思いは、その後、この世界は一つだと感じて歩んできた今、コンサルタント業からも離れて、散発的な大学などの非常勤の講義以外は全く世の中からの雑務から解放されたので、読書傾向を一気に方向転換をして、グローバルベースで、世界の歴史や文化文明を、もう一度原点から勉強し直して、人類の文化文明遺産の奥深さ、そして、人間の偉大さ・素晴らしさを実感したいと言うことである。
   
   幸い、鎌倉への移転を機会に、埋もれていた多くの蔵書の中から、これは絶対に読みたいと思って買っておきながら、失念していたその方面の関係本が、随分と出て来た。
   まず、トインビーやギボンやトゥキディデスあたりから挑戦しようと思っている。

   もう一つは、数年前から通い始めている能・狂言への鑑賞力を高めたいと言うことと、もう、20年以上も続けている歌舞伎や文楽、等々を含めて、もう少し、古典芸能の勉強と鑑賞を通して、日本の文化文明の凄さ素晴らしさを実感しながら、日本とは一体何なのか、自分自身のアイデンティティを確かめてみたいと言う思いである。
   学生時代には、寸暇を惜しんで歩き続けた京都と奈良などの歴史散策で、建築や仏像や庭園の素晴らしさに感激していたのだが、歳をとると生きたパーフォーマンス・アーツに興味が移ったと言うことでもあろうか。
   引退後は、奈良か京都に住みたいと思っていたのだが、勉強するためには、あるいは、生きた日本や世界を感じるためには、東京を離れる訳には行かないと思っているので、この鎌倉が終の棲家になるだろうと思っている。

   それに、幸いにも、千葉の家同様に、庭が広くて花木も豊かに植わっているので、植栽を少しずつ変えて行って、私なりの庭にかえて行こうと思っている。
   鉢植えに出来る花木は、かなり、持ち込んで来たので、面白い庭にしたい。
   そして、鎌倉やこの近辺には、立派な景勝地が多くて、散策のみならず、写真を撮るためにも格好の場所でもあるので、趣味と健康維持の実益を兼ねて、カメラを抱えて歩いてみたいと思っている。
   老いて益々盛んと言わないまでも、私には、それ程暇はないのかも知れないと思うことが多い今日この頃である。

   
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