熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

世につれて変わる「珈琲店」

2015年02月11日 | 生活随想・趣味
   今日の日経朝刊に、「すかいらーくも「珈琲店」」と言う記事で、コメダ珈琲店や星乃珈琲店のような、郊外型の珈琲店「むさしの森珈琲」を始めて、長居歓迎、客単価高めの、30~50代女性をターゲットにした店舗展開をする。と報じていた。
   都心のカフェのようなセルフサービス式ではなく、従業員が顧客の席にまで運ぶ、ソファなどを多くおいて、長く滞在してもらえるようにするのだと言う。
   これなら、ルノアールの郊外版ではないのかと思うのだが、どうであろうか。

   海外の仕事が長かったので、日本のコーヒー店には、それ程詳しくはないのだが、昔、我々が、仕事などで、「お茶でも・・・」と言って出かけて行ったのは、ルノアールのような喫茶店であって、趣向を凝らした個人経営の喫茶店も多かったと思うが、大体、似たり寄ったりの店が多くて、あまり特徴がなかったように思う。

   ところが、ドトールが店舗展開を始めて安くて簡便なコーヒー店が都市部に出来始めて、その後、スターバックスやタリーズなどのチェーン店が、喫茶店のイメージを革命的に変換し、マクドナルドなどファストフッド店も、安いコーヒーを提供するなど、珈琲店は、様変わりして行った。
   今では、これら都心のカフェーも、コンビニの安くて簡便なコーヒーに押されて大変だと言う。

   海外を歩いていて思うのだが、アメリカでもイギリスでも、スターバックスが店舗展開するまでは、日本のような喫茶店がなくて、町中で、コーヒーを飲むためには、ホテルのロビーに行くか、ファーストフード店に入るかくらいしかなくて、大変困った。
   イギリスのコーヒーは不味いし、紅茶の方がアフタヌーンティもあって、良かったのだが、その紅茶文化も、今や、スターバックスにやられていると言う。
   アメリカも、あの水っぽいアメリカンが主体であり、英米で、本当に美味しいコーヒーを飲みたければ、高級ホテルか高級レストランで、ディナーなどでサーブされるコーヒーを味わう以外になかったように思う。

   したがって、ハワード・シュルツが、ミラノで、エスプレッソとカフェラテの上手さに感激して起こしたスターバックスが、美味しいコーヒーを、安くて簡便に身近な店で味わえなかった英米人に提供したのであるから、皆が喜んで押しかけて人気を博したのは当然であり、爆発的な発展を遂げることとなった。
   素晴らしい喫茶店文化にどっぷりと浸かっていた我々日本人や、素晴らしい質の高いカフェ文化を謳歌していたウィーン子にとっては、当たり前のことが、英米では、そして、ドラッカーまでが、スターバックスをイノベーションだと囃し立てたのである。
   顧客の好みのレシペでコーヒーをサーブして貰えるなど多少日本の喫茶店よりイノベイティブであったとしても、素晴らしい場を提供したとするドラッカーの言などは、日本の喫茶店やシルクロードのチャイを考えれば、スターバックスが革命的でも、特別なイノベーションでもなんでもない。
   大切なことは、新しいビジネスモデルを構築して、ブルーオーシャン市場を開拓して、新規顧客を一網打尽に取り込んだ戦略戦術、経営革新の成果なのである。

   さて、日本の喫茶店だが、私は、ルノアールなども、食事をサーブし始めて臭いが充満し、喫煙の煙がもうもうと立ち込める雰囲気が嫌で、殆ど行かなくなり、地方などに行くと、昔懐かしい擬古的な個人経営の喫茶店を探して行っていたが、とにかく、最近は、スターバックスやタリーズなどくらいで、あまり行かなくなった。
   旅に出ると、モーニングサービスで憩うのが好きなので、個人経営の個性的な雰囲気のある喫茶店を探して出かけて行く。

   ところで、星乃珈琲店は行ったことがないのだが、コメダ珈琲店は、鎌倉にもあって、2軒ほど行ったことがあるが、混んでいて大衆化しているので、また行きたいとは思はないし、新しい「むさしの森珈琲」が、そのような店なら、食指が動きそうにはない。

   郊外であればあるほど、静かで落ち着いた雰囲気を醸し出すような喫茶店でなければ、意味がないと思っている。
   鎌倉市役所の前にあるスターバックスは、地元の人の利用も多いようだが、銭洗い弁天への観光客で、何時もごった返していて、それでも、並んで待っている人が多い。
   ところが、その通りにある小さな喫茶店や簡易レストランは、信用がないのか人気がないのか、閑古鳥が鳴いていたり潰れたりしており、人の嗜好は読みにくい。
   しかし、この道は、殆ど年中観光客の絶間がないのだから、やり方次第で、商機をつかめるのではないかと思っているが、殆ど住宅街なので難しいのかも知れない。
   

   珈琲店の経営も、ファーストフード店やレストランの経営と同じで、今流行りかけているとか流行っているとか言った感じのビジネスモデルに、新規参入するのは、考え物だと思う。
   何でもそうだが、ブルーオーシャンを目指して、誰もやっていないような魅力のある市場を生み出すべく、創意工夫を前面に押し出した経営戦略を追求することである。
   殆ど同じようなことをしていて、差別化の難しい飲食店などは、大小ではなく、顧客にとって魅力があるかどうか、他と違って如何に値打ちがあるかと言った、どこにもない新規性が勝負だと言う気がする。
   客が行きたいと思う店を立ち上げることである。
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二月大歌舞伎・・・「積恋雪関扉」「彦山権現誓助剱」

2015年02月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   さて、「積恋雪関扉」は、古風な味わいを持つ舞踊の大曲ということで、常磐津に合せて演じられる歌舞伎舞踊の演目のひとつで、登場人物は、3人だけ。
   初めて観る舞台であったので、興味深かったのだが、史実に沿ったストーリーがあるのかないのか知らないが、筋書は、大略、次の通り。

   不遇の最後を遂げた先帝の愛した「小町桜」が咲き誇っている逢阪の関所、そこに蟄居する寵臣・良峯少将宗貞(錦之助)のところへ、都に残してきた美しい姫君姿の恋人・小野小町姫(菊之助)が現れ、関守・関兵衛(幸四郎)が仲立ちして会わせる。
   関兵衛が、頭を下げた拍子に懐から「勘合の印」と「割符」を落とすが、これが先帝が陥れられた謀反の鍵を握る品で、関兵衛は慌ててそれを隠すが、二人は怪しむ。
   その場を繕って、関兵衛は座を外すが、怪しんだ二人の前に、鷹が飛んで来て、宗貞の弟・安貞の片袖を落としたので、その死を知り、小町姫に、「関を包囲せよ」との伝言を託し都へ向かわせる。
   大酒を飲んで酔っ払った関兵衛が、好機到来千載一遇のチャンスと悟って、天下調伏祈願の護摩木を切ろうと、石で大鉞を研ぐ。突然「勘合の印」と「割符」が懐から飛び出し、墨染桜の梢に飛び去ったので、怒った関兵衛は、妖しい墨染桜を切ろうと大鉞を振り上げると、墨染桜からの妖気に当たって気を失う。
   突然、美しい小町桜の精(菊之助)が、安貞恋しさに傾城墨染の姿を借りて現われる。
   撞木町から来たと言う墨染の手引きで廓遊びの踊りに浮れる関兵衛の懐から片袖を奪って、墨染は、安貞の死を知り涙にくれる。
   異常を悟った二人が、互いの素性を迫り、墨染は本性を顕し、関兵衛も、自らが天下を狙う謀反人・大伴黒主であると宣言し、その姿を現す。
   恋人を殺し国を滅ぼそうとする大悪人・大伴黒主と小町桜の精は、激しく闘う。

   憂いを帯びた傷心の貴公子然とした錦之助、美しくてその優雅さに陶然とさせる菊之助の小野小町と墨染の二役の艶姿、木こり風の小市民的な関守から大悪党然とした黒主に変身する幸四郎の貫録と重厚さ、三人の個性と持ち味を存分に見せた素晴らしい舞台は、正に魅せる舞台である。

   それに、この歌舞伎は、見顕し、すなわち、本来の身分や素性を隠している人物が正体を顕す、と言う手法を使っていて、黒主だけではなく遊女墨染も小町桜の精に見顕すという珍しいケースだと言うことであり
   その時に、一瞬にして衣裳を替える「引抜」の一種である、上半身の部分を仮に縫ってある糸を抜いて、ほどけた部分を腰から下に垂らして衣裳を替えると言う手法で、早変わりするので、これこそ、歌舞伎の醍醐味でもあって、見ていて楽しい。
   とにかく、幸四郎の大悪姿には、何度も接しているのだが、菊之助の見顕しは、初めてであったので、感激して見ていた。

   先月の国立劇場の菊之助の舞台も、中々の舞台であったが、この小野小町と墨染の菊之助も、実に、見せて魅せる舞台で、その進境の著しさに、感心している。

   「彦山権現誓助剱」は、殆ど記憶にないので、始めて見るようなものだが、毛谷村六助の菊五郎 と、お園の時蔵の舞台で、芝居としては、中途半端に終わっていて、多少物足りないのだが、六助を父の仇だと思って乗り込んできた虚無僧姿のお園が、実は、許嫁であったと知ってからの、いそいそとして嬉しそうな時蔵の変身ぶりが、中々、初々しくて色気があって面白い。

   一方、毛谷村に住む百姓ながらも剣術の達人である六助の菊五郎は、朴訥そのものの世話物風の物腰の柔らかさなり、おっとりとした雰囲気がどうに入っていて、時蔵のお園との受答え、掛け合いが、どこかコミカルで面白い。

   仇討ちに奮起する純朴な男を描いた名作だと言う触れ込みながら、ストーリー展開が、間接話法の積み重ねで、幕切れが、スタンドバイ風で幕引きをしているので、仇討と言う雰囲気は、あまり、出てこない和事の世界で終っている感じである。
   しかし、仇の微塵弾正の團蔵、お幸の東蔵、杣斧右衛門の左團次と言った重鎮が脇役を固めているので、必然的に、重厚な舞台を作り上げていた。
   

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ギリシャ:違法看護師が蔓延

2015年02月08日 | 政治・経済・社会
   今日、NYTの電子版を見ていたら、”Greek Austerity Spawns Fakery: Playing Nurse ”と言う記事が出ていて、アテネの大病院でも、違法な看護師が常態化していて、医療現場でも、緊縮財政による深刻な影響が出始めていると報じている。

   今や、患者が、病院に入る時には、適切なケアを受けるためには、自分自身で、違法と知りながら偽看護師を雇わなければならなくなっていると言う。
   私設看護師と言うのは、ギリシャのヘルス・ケアでは、常態となっているとしても、国家経済の悪化によって、多くの患者が、資金的余裕もなく健康保険もなく、正規の看護師を雇う余裕などなくなってしまっている。

   従って、必然的に、患者たちは、安くて殆ど訓練を受けておらず衛生観念もなく十分な知識さえない違法な看護師に頼らざるを得ず、政府高官も、看護師の半数は、18000の違法供給者からの看護師であると認めている。
   違法看護師は、患者の家族だとか長年の個人的な使用人だとかを装っているのだが、グルジアやルーマニアやウクライナなどからの移民であって殆どギリシャ語を話せないと言う。
   斡旋屋の男が、病院に入り込んで来て、まくらの下や待合室などに、写真入りの名刺を置いて行き、看護師長にも、堂々と斡旋を呼びかけるなどしていて、正規の看護師なら、6時間40分で70㌦なのを、12時間で60㌦以下で、未熟な偽看護師を送ってくる。

   偽看護師派遣は、序の口で、何でもレントで、救急車から、椅子やテレビなどあらゆるものが、見舞いの親族などへのレントだと言って、見知らぬ人間がアレンジしてくる。
   このような看護師等斡旋ブローカーたちが、病院の職場をコントロールしているのが実態だと、モロキス英国バース大教授が証言している。
   このために、正規の看護師が仕事を奪われる等、深刻な事態を引き起こしている。
   警察に訴えても、警官自体が、緊縮財政で大幅にリストラされて手薄なので、対応できる筈もない。
   関係機関のギリシャ保険協会の看護師適正検査も機能マヒ状態であるし、第一、問題の処理のための法的解決機能も上手く働かなくなっている。
   

   
   また、ギリシャのブラックマーケット、すなわち、国民所得に計上されない闇経済(アングラ経済)、は、昔から有名で、特にラテン国家やロシアなどの新興国などでは、GDPの数十%に及ぶほど巨大なのだが、この記事でも、
   機械工や配管工などの熟練労働者は、袖の下で納税を回避していると言及している。
   以前から、多くのギリシャ人が、税務官僚を買収して、税逃れをするので、税収が上がらないのだと、EUメンバーから非難されていたのだが、窮鼠猫を食むような状態に追い詰められて行けば行くほど、国民生活が、モラル軽視・無視に嵌まり込んで行くのは必然であろう。
   違法看護師の台頭も、背に腹は代えられない、ギリシャ国民の生きて行くための切羽詰った手段なのであろうが、根深いラテン気質にも問題がある。
   緊縮財政政策による生活水準の異常な低下が、EUから強制されている窮乏化政策に反旗を翻すネオナチ政党の台頭に油を注いだと述べている。

   賢こかった筈のギリシャ人が、何故、この体たらくか。
   私は、アテネのパルテノンに憧れて勉強して来たようなもので、もう、40年以上も前になるが、フィラデルフィアから飛んで、初めてパルテノンの丘に立った時には、感激して言葉も出なかった。
   あれから、2回、間をおいて、ギリシャを訪れているのだが、その度毎に、ギリシャの文化、学問芸術に思いを馳せて、感激を反芻している。
   懐かしくなって、大英博物館のエルギン・マーブルを度々訪れた。
   
   憧れのギリシャが、あのパルテノン神殿のように、音を立てて崩壊しようとしている。
   

   さて、これは、単なる対岸の火事であろうか。



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ギリシャ経済はどうなるのか

2015年02月07日 | 政治・経済・社会
   昨日のNYTのコラムで、クルーグマンは、”A Game of Chicken”を書いて、ギリシャへの対応に対して、ECBおよびドイツを激しく非難している。
   ドイツが、達成不可能な厳しい緊縮財政を強いてギリシャに債務全額を返済すべく要求するなどトロイカが強硬にギリシャに対し、ギリシャがその遵守を拒否して対抗する・・・正に、猛突進する二者の衝突寸前の激しいチキンレースである。

   ECBやドイツがギリシャに科す過酷な要求を緩めずにプラグを引き抜けば、ヨーロッパの経済のみならず、繁栄をシェアして平和と民主主義を確立すべく努力してきた60年の、ヨーロッパが営々と築き上げて来たすべてのプロジェクトに、甚大なリスクを齎す。ギリシャの銀行が崩壊し、ギリシャがユーロから離脱し、ドラクマに帰る。たとえ、一国がユーロを離脱したとしても、インベスターは、ヨーロッパのグランド通貨デザイン・ユーロが、可逆可能になったと宣告するであろう。
   ギリシャのカオスは、不吉な政治勢力に油を注いで、第二次大恐慌への引き金となリ得る可能性もあり、ギリシャの財務相が、ドイツとの交渉で、1930年代のナチスカードを切ったように、ギリシャでは、ネオナチ政党の”黄金の夜明け”が第三政党に躍り出て、ナチズムが鎌首を持ち上げ始めている。
   と、ヨーロッパが、大変な危機的状況にあると、クルーグマンは警告を発している。

   クルーグマンは、ECBの今回の緊急流動性支援への対応について論じて、ギリシャの為でなくて、ドイツへのウエイクアップ・コールだとして、銀行は、ドイツの債権者の為ではなく、ヨーロッパの経済と民主主義的な組織をセイフガードすべきだと、ドイツの覚醒を説いている。


   また、ロイター電は、”ギリシャ首相「もう命令に従わない」、欧州と対決姿勢”と、”ギリシャのチプラス首相は5日、欧州連合(EU)の緊縮財政政策を永遠に終わらせると表明し、支援プログラムの合意順守を迫る欧州諸国との対決姿勢をあらためて鮮明にした。”と報じている。
   首相や財務相のEU諸国行脚は、実質的には何の成果も得られなかったのであるから、当然の帰結であろう。


   追い打ちをかけるように、時事が、”ギリシャを格下げ=支援交渉難航で―米S&P”と、スタンダード&プアーズが、財政難に陥っているギリシャの国債格付けについて、既に投機的水準である「B」から「Bマイナス」に1段階引き下げ、短期のうちに再度格下げされる可能性もある”と伝えている。
   交渉が長期化すれば預金流出が深刻化し、ギリシャの金融安定性が一段と損なわれるとなり、最悪の場合、ギリシャがユーロ圏を離脱する恐れもあると言うのである。 
   どんどん、ギリシャは、窮地に追い込まれて行く。


   また、日経が、”[FT]ギリシャから距離を置く欧州中銀(社説)”を掲載している。
   ECBが,ギリシャの銀行に対してECBではなく同国の中央銀行から融資を受けるよう求めたことは、ECBが経済戦争を宣戦布告したというよりも、ギリシャの破綻を阻止するか否かの判断から手を引き、代わりに同国の新政権が欧州当局との交渉に取り組むことを表している。ギリシャのユーロ圏での未来は中央銀行ではなく、政治家が決めるべきだからだ。
   
   こうした問題は早急に解決されなくてはならなず、長引けば悲惨な結果を招きかねない。ギリシャの金融システム崩壊を阻止できるかはECBの手の内にある。だが、ギリシャがユーロ圏に残留するかどうかをECBが決める役割を担うべきではない。急進左派連合は有権者の願いを尊重しなくてはならないと言い張るが、ほかのユーロ圏各国政府にも同じ義務がある。
   ECBは今回の行動で、重大な決断は政治家が下すべきだという姿勢を鮮明にした。これは正しい判断だ。各国政府は決断する勇気を奮い起こすべきだ。と言うのである。
   先日も書いたように、ギリシャ問題は、最早、経済問題ではなく、政治問題であり、政治的決着以外に道は残っていないと思っている。
   

   EUの支援提供国には、ギリシャのこれまでの改革努力に一定の評価をして、窮地に立つギリシャの厳しい経済情勢や国民生活の困窮などに鑑み、支援融資の追加減免など援助の可能性があるとしているが、ギリシャが緊縮財政など改革を継続することを要求するなど、更に、関門は高い。
  しかし、それも、限定的なサポートに止まっているようで、チプラス政権が要求しているような大規模な緊縮見直しが認められる可能性は低く、FTが指摘するように、支援提供国の間にも、お家の事情があって、簡単に、ギリシャに譲れない事情があり、安易な妥協や譲歩を行えば、スペインやフランスなど各地で台頭する極左・極右勢力など、緊縮財政反対の政党を、増長拡大させる危険がある。もっと深刻なのは、欧州全土に、改革後退の動きが広がって、デフレ不況に突入しつつある経済情勢をさらに悪化させ、EUそのものの政治経済社会を窮地に追い込む懸念があると言うことである。
   しかし、一方、ギリシャの方も、緊縮財政政策を放棄して公共支出の拡大を図るなど、真っ向からEUの締め付けに反抗して選挙に勝利したギリシャ新政権も、一歩も譲歩しない覚悟で対しており、実際的にも、ギリシャの言い分が認められなければ、クルーグマンが説く如く、ギリシャ自身の命運が危うくなる。正に、熾烈なチキン・レースである。

   ギリシャ危機の原因は、須らく、ギリシャ国家の放漫財政と花見酒の経済運営にあったこと、それに、穿って言えば、EUなりユーロ体制の構造上や運営上の欠陥にあったのだろうが、起こってしまった以上、そして、EUなりユーロシステムが危機と試練に直面してしまった以上、今更、ギリシャを責めても仕方がない、EU全体が協力して解決する以外になかろう。
   




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二月大歌舞伎・・・「吉例寿曽我」

2015年02月06日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   曽我ものは、何種類もあるのだが、今回は、「吉例寿曽我」で、日頃見慣れている「寿曽我対面」とは違って、同じ対面でも、豪華な工藤の屋敷での対面ではなく、富士山を望む大磯の曲輪近くの工藤祐経のもとへ、曽我十郎と五郎がやって来て、父の仇の工藤に対面を果たす舞台になっていて、舞台が平舞台でシンプルなので、豪華で派手な衣装が引き立つ。。

   また、この「吉例寿曽我」は、“がんどう返し”という大掛かりな舞台転換や、闇の中で巻き物を奪い合う“だんまり”など歌舞伎の様式美が、前半の見せ場の一つである。
   鎌倉の鶴岡八幡宮の石段前で、近江小藤太の又五郎と、八幡三郎の錦之助が、華麗な殺陣を披露しながら、石段が90度背後に上がるがんどう返しに消えて行く。
   

   
   ところで、この曽我狂言だが、私にとっては、特に興味深いとも思えないのだが、何故、こんなに頻繁に歌舞伎座で上演されるのかと思っていた。
   橋本治氏の説明によると、江戸歌舞伎にとっては、曽我ものは、断トツの人気狂言で、特別な芝居であるらしい。

   1697年に、初代團十郎が、自作自演した「兵根元曽我」がバカ当たりして、十年二十年と経つうちに、曽我狂言が、「江戸の芝居にはなくてはならないもの」になった。
   曽我兄弟が、富士の裾野で、父の仇・工藤祐経を討ち果たしたのは五月なのだが、江戸歌舞伎の正月は、曽我狂言で始まり、次から次へ続きが出て、延々と5月まで続いたと言う。
   「助六」も、歌舞伎の形式上「曾我もの」の演目なのだが、何でも、実は曽我五郎、などと言って芝居を書けば、曽我ものになって人気が出たと言うことかも知れない。

   「日本三大仇討ち」は、赤穂浪士の忠臣蔵と荒木又右エ門の伊賀上野鍵屋の辻と、この曽我兄弟で、この仇討ちだけが、関東のもので、これも人気の基らしい。
   面白い話は、曽我兄弟の祖父伊藤祐親(平家方)の娘・辰姫、すなわち、兄弟のおばが、頼朝の最初の女性だったと言うのだが、この物語の対立も、鎌倉新政権と旧土着勢力との対決であって、幕府に弓を引かずに、祐経を仇としたところに、幕府に不満な分子にはストレス解消劇にはなったが、革命期待劇ではなかったと言うことである。
   江戸庶民にとっても、徳川幕府と鎌倉幕府が重なって、幕藩体制の太平の世の中を謳歌しながら、曽我狂言は、幕府支配に不満な人間にとってストレス解消、個人的な不満だけが散発的に花開く、格好の娯楽だったと言うことである。
   とにかく、幕府の規制もあって、恐れ多い江戸を避けて、舞台を鎌倉にしたり、時代を変えて時代物にしたり、しかしながら、勧善懲悪で、適当に悪を懲らしめる狂言で鬱憤を晴らす、江戸庶民の屈折した気持ちが分かるような気もする。

   火事と喧嘩が江戸の華、任侠ヤクザに粋を感じる、江戸庶民の錯綜した気持ちと、江戸歌舞伎の荒事好みとがマッチしたところに、芝居の醍醐味があるのかも知れないが、もう一つ、曽我ものを見ていて、衣装や舞台の豪華さ華麗さ、それに、役者が見せて魅せる美しくて絵になる見得の数々、どのショットを撮っても錦絵になる、そんなところに魅力があって、ストーリーなどは、二の次であったのかも知れない。
   尤も、あのシェイクスピア戯曲でも、毎日のように筋やストーリーが変わっていたし、翌日には、別の劇場で良く似た芝居がかかっていると言う状態であったから、江戸歌舞伎も、そうであっても当然なのだが、いずれにしても、曽我ものが年間の過半のプログラムを占め、それも、江戸時代17世紀後期から、ロングランを続けたと言うのだから、驚き入る。

   曽我兄弟で、五郎は弟だが、五郎の方が偉いと思われているのは、祐経を討って由比ヶ浜で斬首の刑で非業の死を遂げていて、五郎は御霊だと言った駄洒落混じりながらも、いわば神扱いで、舞台でも、神様芸の荒事を演じさせている。
   一方、十郎は、仇討前に殺されていて、女のような二枚目になっているのは、仇討を全うできずに死んでしまい、大磯の虎と言う愛人とラブシーンを演じる上方風の和事役者の傾城とされてしまったからだと言うのが面白い。

   さて、祐経演じるは、風格十分の歌六で、大磯の虎の芝雀の雅と貫録が光っており、五郎の歌昇と十郎の萬太郎の曽我兄弟の溌剌としたフレッシュな舞台、それに、梅枝と児太郎の中々華麗で嫋やかな傾城、性格俳優ぶりが傑出していた已之助の朝比奈三郎、剽軽な珍斉の橘三郎、颯爽とした国郷の国生など、若手の脇役陣が、それなりに、華やかな舞台をつくりあげていて、世代替わりを感じさせてくれて興味深い。

   近年の大御所の逝去、重鎮の病気休演が重なると、世代交代も当然であろう。
   最近は少なくなったが、プロンプターの声が喧しくて邪魔になったり、動きがままならない高名な老優の舞台よりも、多少荒削りでも、溌剌としたパンチの利いた芝居の方が良い場合がある。

   曽我ものの新作が、江戸の歌舞伎の人気を高めたと言うことで、当時は、團十郎など、どんどん新しい試みをして、庶民を魅了したと言うことだが、伝統は尊く守らなければならないとは思うのだが、最近の古典もの作品を見ていて、殆ど舞台に変化がなく、ハンで押したようなマンネリ芝居を観続けていると、何が古典芸能で伝統の継承なのか、多少、疑問に感じ始めている。

   
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歌舞伎座、神保町、そして、国立能楽堂

2015年02月04日 | 今日の日記
   久しぶりに、朝早く出て、歌舞伎座に向かった。
   大体、国立能楽堂や神保町に行くことが多いので、横浜から東横線に乗り換えて、渋谷からメトロで目的地に向かっている。
   今日も、中目黒から、日比谷線で、東銀座に出た。

   今月の歌舞伎は、夜の部では、吉右衛門の「一谷嫩軍記」や幸四郎の「筆屋幸兵衛」などで、これらは何回も見ており、マンネリ気味だろうと思って避けて、昼の部に出かけた。
   昼の部は、馴染みの「吉例寿曽我」、菊五郎の「毛谷村」、それに、幸四郎、菊之助、錦之介の「積恋雪関扉」
   ところが、「曽我」の方は、若返ってフレッシュな感じで、バックシーンも、雄大な富士を背景にした華やかな舞台で、面白かった。

   今月は、国立劇場の公演がないのにも拘らず、空席がかなりあって、何時も、長い列が並んでいて、売り切れの筈の鯛焼きが、売れ残っていた。
   私にも、毎月通っている歌舞伎座だが、昔、ロンドンのコベントガーデンに通って、毎月、ロイヤルオペラを楽しんでいた時のようなときめきが、なくなってしまっている。

   その後、どうしても、6時半開演の国立能楽堂の舞台には、時間が空くのだが、喫茶店で過ごすのも時間が惜しいので、東京駅の書店に立ち寄って、何時ものように、神保町に向かった。
   三省堂もそうだが、書店では、ピケッティとイスラム国関係の本、それに、芥川賞と直木賞受賞の本のコーナーが幅を利かせている。
   私には、当分、興味はない。

   ピケティについては、8月に書いた私のブログ”ピケティ「資本論」A Summary of Thomas Piketty's "Capital in the Twenty-first Century"が、結構読まれており、この知識と、来日時の講演や記事、それに、NHKのピケティのパリ講義などでの情報で、当分は十二分であり、気が向いた時に読めば良いと思っている。
   いつもそうだが、噂が広がると、結構難しい専門書が売れており、今回も、何故、ピケティの「資本論」が、13万部も売れるのか、不思議である。

   この日買った本は、
   新潮新書 辻芳樹著「和食の知られざる世界」
   橋本治著「大江戸歌舞伎はこんなもの」
   エドワード・J・エプスタイン著「ビッグ・ピクチャー」
   

   国立能楽堂の舞台は、
   蝋燭の灯りによる「国立能楽堂冬スペッシャル」で、
   京都の観世流井上裕久師たちによる「謡講」、
     謡講形式による「大晦日」「龍田」「蝉丸」
     衝立の背後で、能楽師が謡う素謡
   宝生流能「弱法師」
     シテ/俊徳丸 大坪喜美雄、ワキ/高安通俊 飯冨雅介
   

     俊徳丸の話は、歌舞伎の「摂州合邦辻」の舞台での印象が強いのだが、この能の舞台では、通俊が、他人の讒言によって追放し、盲目の乞食になって彷徨う息子俊徳丸に、天王寺で再会すると言うシンプルな話になっている。
   蝋燭の灯りに微かに揺れるシテの弱法師の面が悲しい。

   舞台が終わって、能楽堂を出たら、中天に、美しい満月が輝いていた。
   
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ジョセフ・S・ナイ著「大統領のリーダーシップ」

2015年02月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ジョセフ・S・ナイ教授の、どの指導者がアメリカの優位を造ったのか、20世紀における8人の大統領に焦点を当てて、アメリカの時代の構築と外交政策におけるリーダーの倫理の両面から、そのビジョンや業績など多方面から分析を加えて評価したのが、この本「大統領のリーダーシップ」。
   S・ルーズベルト、W・H・タフト、W・ウイルソン、F・D・ルーズベルト、H・S・トルーマン、D・D・アイゼンハワー、R・レーガン、W・H・W・ブッシュ(父)の8人で、ニクソンが抜けているのは分かるが、ケネディやクリントンなどは、米国歴史上、アメリカの卓越性が拡大した重要な時期に指揮をとったのではなく、それ程、貢献度が高くなかったと言うことであろうか。
   私にとって、身近な存在は、アイゼンハワー以降だが、一番よく知っている大統領は、アメリカに住んでいた頃のニクソン大統領で、ウォーターゲートで辞任に追い込まれた晩年であったため、日本にとっては、極めて影響があった沖縄返還や、それに、頭越しの中国訪問や金ドルの交換停止と言った2度のニクソン・ショックなどの印象は、殆ど消えていた。

   さて、ナイ教授の結論は、ウイルソンやレーガンのような変革型の大統領は世界に対するアメリカの見方を変えたが、アイゼンハワーやブッシュのような取引型の大統領は、ときとしてそうした変革型の大統領よりも大きな成果を上げ、倫理的にも優れていた。と言うのが、この調査による結果だが、従来の見方と違っていて、本人も意外だと述べているのが興味深い。

   アイゼンハワーは、ソ連を封じ込め、海外での恒常的なプレゼンスを維持するとしたトルーマンの決定を、堅実で持続可能なシステムに強化して、アメリカの卓越性を確固たるものに仕上げた大統領である。
   中西部の慎ましい家庭の出身で、バター工場の夜勤シフトの従業員からウエストポイントに進み、 連合国遠征軍最高司令部 最高司令官、陸軍参謀総長、NATO軍最高司令官、後ケネディが再任して陸軍元帥などを歴任した最高位の軍人で、コロンビア大学の学長を経て大統領になっている。
   陸軍士官学校で学ぶ機会に恵まれたことと第二次世界大戦での際立った軍歴のお蔭で、国際関係について、それまでのどの大統領よりも高い知性を具えていて、実地学習の必要性は全くなく、ナイ教授が効果的なリーダーシップに最も必要だとする状況を把握する知性(contextual intelligence)、すなわち、リーダーが変化を理解し、外の世界を解釈し、目標を設定し、戦略や戦術を整合させて新しい状況で賢明な政策を生み出すのに役立つ直観的な診断スキル、を持った大統領だと言うのである。

   アイゼンハワーは、8年間の在任中に、巻き返しを唱える変革型リーダーや彼ほど有能ではない人物だったら、突入していたかも知れない朝鮮半島やベトナムでの地上戦を回避し、国内経済を支えるために海外での支出を削減し、ヨーロッパや日本との新しい同盟関係を強化した。
   その期間に、アメリカの重要な同盟国を含めて、世界経済が目覚ましい成長を遂げたと言う。
   また、命令ではなく穏やかな説得によって「舞台裏からリードする」特異なリーダーシップスタイルの持ち主で、外交政策について幅広い国民のコンセンサスを築くことに成功した数少ない大統領だったと言う。

   このナイ教授のアイゼンハワー論を読んで気付いたのは、元々、経営学の戦略・戦術論など、組織の経営や国際舞台での活動などで根幹となる重要な理論なり哲学などの多くは、軍事学から生み出されており、そう考えれば、最高の軍人であったアイゼンハワーが傑出しているのは、理の当然であったのではないかと感じている。
   それに、風雲急を告げる激動期のヨーロッパでの貴重な経験は、何よりもまして超然たる覇権国家アメリカのトップリーダーとしの最高級の資格ではなかったかと思っている。

   尤も、同じ軍人でも、HBSのMBAで会計士であった、ヴェトナム戦争でアメリカを泥沼に追い込んだマクナマラ国防長官との差は歴然としているのだが、ナイ教授は、
   ブッシュ大統領も、著名な退役軍人であり、アイゼンハワーと同じく、国際関係についてもっとも経験豊かな大統領の一人で、そのお蔭で卓越した状況把握の知性を具えていて、同じように、有能な部下を選び、効果的な国家安全保障プロセスを築くと言う重要な能力を具えていたと高く評価している。

   さて、ブッシュは、クリントンに経済論争で負けて、たった一期ではあったが、その間に、ベルリンの壁の崩壊、東西ドイツの統一、ソ連の崩壊と言う、フクシマの説く歴史の終わりとも言うべきエポックメイキングな歴史上大変な時代に舵取りをした稀有な大統領であった。
   1990年、1年足らずのうちに2つのドイツ国家を、NATOに残留したまま再統一させることに成功し、翌1991年、ソ連の平和的解体を、並外れた手腕で実現した。と言う。
   特に、ドイツ統一については、アドバイザーや支持者の助言を無視して、ゴルバチョフとの関係を巧みに対処しながら、友人のコールの統一への熱い思いや努力に共感して支援をすると言う賭けをして、この歴史的な変革を実現したのである。

   私自身、この時代には、ロンドンで仕事をしていて、激動期のヨーロッパを歩き回っていたので、国際情勢には極めて敏感になっていた。
   ブッシュやコールなどの政治的な動きは知る由もなかったのだが、ベルリンの壁の崩壊前、最中、崩壊後と、何度か、東西ドイツと東西ベルリンを訪れており、当時を思い出しながら、この本を読んでいた。

   アイゼンハワーとブッシュで、長くなってしまったが、この本では、真珠湾攻撃を利用して第二次世界大戦参加に国民を誘導したルーズベルト、ヒロシマ長崎に原爆を落としたトルーマンの倫理観、沖縄返還や日本の再軍備等々、日本にとって興味深いトピックスも語られている。
   また、アメリカの卓越性が世界にとって良かったのか悪かったのかと言った問題に踏み込むなど、切っ先鋭いナイ教授の縦横無尽な理論展開が面白いし、超大国アメリカの大統領の目を通した20世紀の世界史を展望しているようで、読んでいて、非常に楽しい。
   ナイ教授の専門ではない経済的な観点から掘り下げて行くと、もう少し違ったアメリカの大統領のリーダーシップ論になるのではないかと思うのだが、
   最後に、21世紀に入って、ブッシュ大統領やオバマ大統領のリーダーシップ論をも展開していて、これも、参考になって興味深い。
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ギリシャ経済危機:ケインズならどう考えるか

2015年02月01日 | 政治・経済・社会
   これまで、NYTのクルーグマンのコラムとエコノミスト誌の記事を参考に、今回のチプラス政権の登場による今後のギリシャ経済危機について、どう考えたらよいのか、考えて来た。
   「リーダーなき経済」を読んでいて、ケインズが、第一次世界大戦後のドイツの賠償問題について約したベルサイユ条約の内容を批判した「平和の経済的帰結」で、今回のギリシャ問題について、極めて参考になる卓見を提示していることを知った。
   ケインズは、当時、大藏省で、英国の戦争方針の国際問題の全般を担当していて、首席代表としてパリ講和会議に派遣されて、講和交渉に参加した。
   ドイツに科された賠償金額が経済的に見て不合理であり、政治的に見て軽率であり、ベルサイユ条約は、分別を欠いている。と断じたのである。

   1914年以前のヨーロッパの繁栄はドイツの経済成長に依存していた点を考慮すれば、ドイツの経済を機能不全にすることは戦勝国側にとって最も重要な利益に反する。
   戦後の国際資本市場がどれだけ機能するのか不透明な状況では、国境を越えた実物資源の移転は困難であると見通して、ドイツに科された倍賞は懲罰的で常軌を逸しており、結局は役に立たず、平和ではなく、紛争の継続を齎すだろう。と示唆しているのである。

   ケインズは、説く。
   輸入の減少と輸出の増加で外国への支払いに利用できる黒字額を拡大することを何年にもあたって続けない限り、ドイツは、毎年科された支払いを遂行できない。財によってしか支払いは出来ない。
   ドイツを一世代にわたって、隷属状態に置き、何百人もの生活水準を低下させ、国民全体から幸福を奪うような政策は、おぞましく憎むべきものである。

   これは、トランスファー問題であって、ドイツが、賠償金として戦勝国に一定の外貨または現物を支払う(トランスファーする)義務を負っているので,ドイツは、経済成長を策して財を増殖し、かつ、貿易収支の拡大によって外貨獲得をしなければならない。ことを意味している。
   しかし、国土が荒廃し、根こそぎ経済資源を持って行かれたドイツは、完全に経済成長の芽を摘まれてしまって、生存さえ危ない状態にある。
   ケインズは、”敗戦国ドイツの諸般の事情の総てが、現状からの回復ではなく現状の継続を助長している。内紛と国際的憎悪、闘争、飢餓、略奪、虚言によって引き裂かれた今のヨーロッパは、非効率で失業が蔓延し、秩序を失っている。はたして、このような陰鬱な状態が少しでも改善すると請け合うことが出来ようか。”と言っているのである。

   賠償金は、ドイツの対外債務となった。
   ドイツは、外国向けに債権を発行したわけではないが、賠償金支払いスケジュールは、対外債務返済と性質的にはよく似ている。
   この賠償金を、消費ブームの所為で増発した国債による対外債務と同じだと考えてみると、不本意ながら強要された国々による支払い請求と見ることが出来、正に、ギリシャ問題を彷彿とさせる。
   理由如何に拘わらず、賠償金支払も、国債償還も、全く同じ対外債務であり、経済破綻を前にした債務国にとっては、死活問題であることには変わりがない。

   債権者に負担の共有を求めることなく、ギリシャに債務返済を迫る様子は1920年代の賠償協議を思い出させる。
   ケインズは、ベルサイユ条約と賠償金に対する敵意と反発が残ると予測した。
   と、「リーダーなき経済」の著者テミンとバインズは指摘して、その後のケインズの予見した悲劇について述べている。
   その後、一直線ではなかったが、ドイツではナチスの台頭を許し、戦勝国の経済をズタズタにし、アメリカで始動した大恐慌が世界経済を巻き込んで、第二次世界大戦い突入して行った。

   あれから一世紀を経た今日、過去の歴史から得た貴重な教訓を忘れて、ケインズの警告にも拘わらず、ヨーロッパの大国が、敗戦国ドイツに科したと同じような過酷な試練、と言うよりも、懲罰を、ギリシャに科そうとしている。
   これまでに触れたように、ギリシャが置かれた今日の状態で、EUが求めるような条件を科し続ければ、ギリシャ経済の崩壊は火を見るより明らかであり、今現在でも病んでいるヨーロッパの政治経済社会の状態を、益々悪化させるのは間違いない。
   非条理かも知れないが、戦争も、モラル欠如の国家経済も、恨むべきは起こってしまった結果のみであって、悪化した窮地から脱するためには、運命共同体としての連帯責任と協働解決しか方法がないと言うことである。

   ピケティの指摘を待つまでもなく、今や成熟国家連合のEUの経済成長は、どう転んでも、2%を越えることはないであろうし、国家債務はどんどん増殖して悪化して行き、この恒常化した低成長と国家債務の悪化が、少子高齢化、失業の増大と経済格差の増大を伴って、政治経済社会情勢を益々深刻化させて行く。
   ヨーロッパにおける文明の衝突とポピュリズムとナショナリズムの台頭、デフレ経済突入への経済状態の悪化懸念など、益々、暗雲が垂れ込めつつあるヨーロッパにおいて、ギリシャ問題の解決如何が、その帰趨をも暗示している。

   今こそ、ドイツの英知を示すべき時だと思われる。
   二度の世界大戦で、敗戦の悲哀を経験し、辛酸の限りを味わい尽くし地獄を見たドイツが、一番、ギリシャの痛み悲しみを、分かっている筈だと思うのだが。
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